市民の憩いの場 宮崎県西都市「まちなかギャラリー夢たまご」ブログ

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伊東マンショ写真展

2011年12月20日 | 展覧会情報
あまりの霜の強さに、
しもやけしてしまった植物も。
小石は霜柱に持ち上げられているし。
皆様お元気にしていらっしゃいますか?

今週の夢たまごは「伊東マンショ 写真展」を開催しています。
とても興味深い写真もいろいろ。
どうぞお出かけ下さいね。

※なお、最終日は第31回ぞろ目ライブ、「天輝(あまてらす)ライブ」が
この会場の中で同時開催されます。(15時30分より)


展覧会名:伊東マンショ 写真展
主   宰:都於郡城史文化研究会
展示期間:12月20日(火)~12月25日(日)
開館時間:10時~17時



伊東マンショ 写真展


           

主宰者のご挨拶文より

 都於郡(とのごおり)出身の伊藤マンショは4人の「天正遣欧使節」の主席正使として、
初めて日本を世界に紹介しました。
 この写真展は歴史の中で長い間隠されてきた
マンショの生涯と偉業の一端を紹介するものです。
                               主催:都於郡城史文化研究会
                               お問い合せ:090-7926-7193(竹下)

 
伊東マンショについては、以前ブログに書きました。
本名は、生まれた時が「虎千代」。長じては「祐益」。
「マンショ」は、「満所」とも書き、クリスチャン名だそうです
今回の展示は写真の他に、書籍や渡欧時の服装を再現したもの、なども展示されています。
書籍は、マンショを語る会企画・編集の「マンショ」(鉱脈社刊)などです。

この本の中から一つご紹介しますとー

上の写真は、伊東マンショの肖像画です。
2006年イタリアで発見され、長崎県が購入。
木炭によるデッサンで、チョークで淡く色づけされている。
使節がローマ法王グレゴリウス13世に謁見した
1585年3月頃描かれたとされ、法王の子孫が保有していた。
現在、長崎県歴史文化博物館に展示保管されている…と書いてありました。

さて、「伊東マンショの歌」なるものが存在していました。
誰が作ったのかは正確には不明ですが、
地元の都於郡小学校で、まだ校歌がなかった頃(昭和30年代か?)
校歌の代わりに歌われていた時期があったそうで。
それをテープに吹き込み、楽譜に起こし…
天輝(あまてらす)の喜多輝一さんがギターで演奏し、
天野うずめさんが歌って…というCDが出来上がりました!
今、この会場で流れています。
歌詞をご紹介しますとー

1.桜の国を 船出して
   遠くローマの空にまで
   海を友とし 可憐なる
   伊東マンショ 名も高し

 2.八年(やとせ)の旅を すこやかに
   夢と希望を胸にして
   祖国日本の 輝きを
   伝えし日より 四百年
  



「都於郡城址まつり」で、小学生が武者行列をします。
各地区ごとに隊を組み、城址への階段を駆け上がる(登城)ところ。男子も女子もみんな大将!


西都市では、この偉人の足跡をたどって
「平成遣欧少年使節イタリア派遣事業」を展開しています。
遣欧少年使節にゆかりのある、長崎県大村市、雲仙市、南島原市、
西海市、波佐見町、及び西都市の5市1町で交流事業を行っています。

その一環として3年に1度、各自治体から中学生を海外に派遣。
少年使節ゆかりの地を訪れ、
現地の学生との交流などを行っているとのこと。
やはり西都市民にとっては偉大なる人物なんですねぇ。


伊東マンショは、有馬(長崎県)のセミナリオ(神学校)で、
語学(ポルトガル、ラテン語)、音楽、キリスト教義を学びます。
ローマから帰国後、豊臣秀吉に謁見して内容・成果を報告。
秀吉に仕官の道も勧められましたが、辞しました。
マンショはこう述べたそうです。
「変転する世俗の権力に対する不信と
不変なものである信仰と学問への欲求である。」と。
すごい意志の持ち主ですね。
もともとそうなのか、キリスト教との出会いでなのか…

来年は没後400年の記念事業があれこれ展開されるようです。
皆様のご来場を、100円の温かいコーヒー・梅こぶ茶と一緒にお待ちしております。

25日(日)のぞろ目ライブにもおいで下さい!








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