★★★ 芦坊の書きたい放題 ★★★

   
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第611回 伊丹十三の欧州ウンチク話

2025-01-17 | エッセイ
 俳優、映画監督にとどまらず、多くの分野で才能を発揮、活躍されたのが、伊丹十三さん(1933-97年、以下「氏」)です。

 私にとっては、何よりもエッセイストです。ともすれば、俗で自慢っぽくなりがちな話題を、わかりやすく、イヤミなく伝えるワザが魅力でした。当ブログでも過去2回取り上げました(文末にリンクを貼っています)。今回は、「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)から、ヨーロッパの社会、風俗などについてのウンチク話をご紹介します。どうぞ気軽にお付き合いください。

★フランスで開催されるル・マン24時間と呼ばれる耐久カーレースがあります。ベンツ、フェラーリ、ポルシェなど世界の名だたるメーカーが全力をあげて建造した車に、超一流のレーサーが乗り込んで競う過酷なレースです。同レースも含めて世界的なレースで活躍した英国人のスターリング・モスという偉大なレーサーがいました。氏によれば、彼は、普段は自転車に乗っていた、というのです。彼とその愛車(車のほう)です。

「街を走っている自動車は、あれは自動車ではなくて、単なる足だ。どうせ足なら自転車のほうが健康にいい」(同書から)
「見識ではありませんか」との氏の評に、私は「イキだね」とも付け加えたくなりました。

★お次は、スペインの映画館で上映される外国映画の話題です。それらの映画はすべて「吹き替え」だというのです。字が読めない人が多い、という事情もあります。もうひとつの大きな理由は、この国がカトリックの強い国である、ということです。例えば、結婚していない恋人同士が、映画の中で一つのベッドで寝ることは許されません。
 そんな場合は、「1時間前に結婚したなんて、ほんとに夢みたいだね」とか、「お兄さまと一緒に寝るの、子供の時から随分久しぶりだわ」のように、セリフをまったく変えてしまうのです。随分乱暴なやり方で、話の辻褄をどう合わせるんだろう、とは余計な心配でしょうか。ラテンのノリで、気にしない、気にしない、と言われそうです。

★イギリスBBCに即興劇があります。俳優が即興でセリフをやりとりしていくうちに意外なドラマができあがる、というものです。ゆっくり進行している間はいいのですが、話題がとんでもない方向へ急速に発展し始めると、俳優の頭の回転が追いつかず、相手の言うことを繰り返すだけになるというのです。同書からの引用例です。
「きみは一体イギリスの人口問題をどう思っているんだ」
「ぼくが、イギリスの人口問題をどう思っているかって」
「そうさ、イギリスの人口の半分は犬と猫なんだぜ」
「まさか!イギリスの人口の半分が犬と猫だなんて」
「本当だとも。統計局へ行って調べて見給え」
「統計局へ行って調べる?」と、まだまだ続きますが、この辺にしておきましょう。
 氏は「どうでもいい会話」に応用することをススメます。相手の長い饒舌を、時折「イエス」などの相槌を入れて聞かされるより、いかにも熱心に聞いているとの印象(あくまで印象です)を与えられる有効なやり方だ、というのです。なるほど、こりゃ使える、と感心しました。

★小さい頃、左ハンドルといえば外車のことで、たまに見かければ、「おっ、カッコいい」なんて憧れたものです。でも左側通行の我が国では、右前方、つまり対向車線側が見通せませんから、追い越しはリスクを伴います。氏の友人は、雨の横浜バイパスで、前の車を追い越そうとして、中央ラインを超えたところで、対向車と正面衝突し、亡くなりました。その原因は左ハンドル車だったことだろう、と氏は推測しています。
 日本と同じ少数派の左側通行のイギリスでは、どんな対策を講じているのでしょうか?ロンドン近郊に増えつつある高速道路では、左ハンドル車を通行禁止にしました。一般道は「自己責任で」通行可というのが、いかにもオトナの国らしいルールです。

★本場フランスのレストランで、ワインをボトルで頼み、食事を終えて帰る時、ボトルに幾分か飲み残しておくのが不文律だ、というのです。イキがっているわけではなく、理由があります。それらの店には、ソムリエと呼ばれるワインの専門家がいます。ワイン庫の管理を任され、お客には、料理にあったワインをきめ細かくアドバイスしてくれます。あらゆる銘柄、産地、生産年などの知識を身につけるため、少年の頃からソムリエの下で、数多くのワインを味わい、記憶するという厳しい修行が課せられます。ただし、景気よくワインのボトルを開けてお勉強、というわけにはいきません。そこで飲み残しワインをじっくり味わい、その特徴を頭に叩き込んでいく、というわけです。優れたソムリエを代々育て、客もいつまでもいいワインを楽しめる・・・フランスらしいシャレた工夫、仕組みです。

 伊丹流ウンチク話の一端をお楽しみいただけましたか?冒頭でご紹介した過去記事は<第260回エッセイスト伊丹十三><第538回スパゲッティを正しく食す>です。合わせてご覧いただければ幸いです、それでは次回をお楽しみに。

第610回 「沖仲仕」の哲学者がいた

2025-01-10 | エッセイ
 かつて(日本では昭和40年代頃まで)、港に接岸できず、沖合に停泊している大型貨物船の荷は、艀(はしけ)(=小型の貨物艇)に移し替えて陸揚げされました。貨物船の船内で、その厳しい肉体労働に従事する人たちは「沖仲仕(おきなかし)」と呼ばれました(現在は、港の整備、大型クレーンの導入などで仕事の内容も変わり、「港湾労働者」などの呼称が一般的のようです)。
 さて、私が敬愛する書評家・岡崎武志氏の「読書の腕前」(光文社知恵の森文庫)の中に「「沖仲仕の哲学者」の生涯」という文章があり、感銘を受けました。思想内容ではなく、興味深いエピソード中心にお伝えします。最後まで気軽にお付き合いください。

 沖仲仕も含めた様々な厳しい仕事に従事しながら、独学で壮大な哲学的世界を構築したのは、エリック・ホッファー(1902-1983年)というドイツ系移民でニューヨーク生まれのアメリカ人です。
 1971年に「波止場日記」の邦訳(みずず書房)が出た時には、開高健、鶴見良行などの目利きが書評を書いており、また、知の巨人・立花隆は、「「20世紀を代表する哲人(哲学者ではない)」と書いている」(本書から)とあります。
 で、岡崎氏がホッファーに多大な関心を寄せるきっかけとなったのが、亡くなって20年後の2003年に邦訳が出版された「エリック・ホッファー自伝 構想された真実」(中本義彦訳 作品社)だというのです。出版された時には、朝日新聞の「天声人語」が取り上げ、研究本も出るなど、大きな反響を呼び、一大ブームを巻き起こしたといいます。

 前置きが長くなりました。ホッファーのドラマチックな人生、生き方を、お約束通りエピソード中心でご紹介します。図書館で読書、研究にふける彼の姿と自伝の表紙です。

 エリックが5歳の時、母親が彼を抱いたまま階段から落ち、それがもとで母親は2年後に死亡、その年、7歳でエリックは視力を失います。不思議なことに、15歳で視力を回復しました。ここまでが、自伝でわずか3ページだといいます。「ここまでですでに大事(おおごと)だが、後にまだまだ波瀾が続くため、端折っているわけだ。しかし、記述に悲劇としての悲しみや恨みつらみはまったくない。」(同前)そして、話は、彼の若い頃、そして、その後に移ります。

 18歳から40歳近くまで、沖仲仕をはじめとして、農業関係の手伝い、炭鉱、砂金取り、皿洗い、レストランの従業員など様々な職を転々としながら、彼は全米を放浪します。その背景として、岡崎氏は自伝からこんなエピソードを拾っています。母親が亡くなって、エリックの世話をしていたマーサという女性が、彼に言います。「将来のことなんか心配することないのよ、エリック。お前の寿命は40歳までなんだから」(同前)。事実、彼の家族はみな短命で、父親は50歳で亡くなっています。将来の心配をする必要がない、と言われたのを覚えていて、あれこれ悩まず「私は旅人のように生きることができた」(同前)というのです。
 そんな肉体労働と放浪の合間を縫って、図書館へ通って読書し、数学、化学、物理、地理などの大学の教科書をマスターします。猛烈な勉強ぶりです。7歳で目が見えなくなるまでに、英語とドイツ語を一通りマスターしていたといいますから、もともと人並み外れた頭脳があったとはいえ、スゴイです。
 それを示すエピソードです。彼がレストランで給仕をしていた時、客としてきていた柑橘(かんきつ)類の専門学者が、ドイツ語の本の読解に呻吟している様子です。「何かお手伝いしましょうか」と声をかけ、ドイツ語の手助けをした上、レモンの病気の解決策まで考え出しました。その学者からは、研究室に来て、共同研究をしようと持ちかけられましたが、放浪生活が性に合っている、と断ったといいます。いかにも彼らしいです。

 岡崎氏は書きます。「彼は本からだけでなく、日々の労働するなかで、そこで働く人や働くことそのものからも学んでいく。彼が働く現場は社会の最底辺で、働く人々も社会不適応者が多いのだが、彼はそういう「弱者が演じる特異な役割こそが、人類に独自性を与えているのだ」という真理に行き着く。それが以後、信念となる。」と。
 その信念を、「大衆運動」という作品にまとめ、出版したのは、49歳の時です。先の立花隆によれば、バートランド・ラッセル、ハンナ・アーレントなど内外の知識人のほか、当時のアイゼンハワー大統領からも激賞されたといいます。
 それでも沖仲仕の仕事を続け、腰を据えて、大学で政治学を教えるようになるのは、なんと62歳の時。「人間、一生勉強だ」を地でいく凄まじい生き方でした。

 いかがでしたか?私は、エリックよりうんと恵まれた環境にありながら、大学で学問に打ち込んだ覚えはありません。その後は、関心の赴くままの読書、細々と英語の勉強を続けている程度です。少しは彼を見倣って、まだまだ続けなければ、と決意を新たにしたことでした。それでは次回をお楽しみに。

第609回 高田文夫さんで初笑い2025

2025-01-03 | エッセイ
 新年の最初の記事ですので、恒例の(と自分で勝手に決めてる)初笑いネタをお届けします。

 笑いの世界で、多芸多才ぶりが際立つ高田文夫さんには、80~90年代を中心に、テレビ、ラジオで大いに笑い、楽しませてもらいました。歯切れよく、スピーディーなトーク、ぽんぽん飛び出すギャグが、何よりの魅力で、笑い転げたのを思い出します。現在も、「ラジオビバリー昼ズ」で元気なトークを展開しておられるのが何よりです。

 以前、当ブログで高田さんとビートたけしさんとの交友ぶりなどをお伝えしました(文末にリンクを貼っています)。今回は、高田さんの「楽屋の王様」(講談社文庫)がネタ元です。単行本は92年刊行で、いささか古いのはご容赦の上、業界の楽屋噺、裏話をお楽しみいただこうという趣向です。よろしくお付き合いください。なお、<  >内は、本書からの引用です。

★落語家・立川藤志楼(とうしろう)としても活動していた高田さんの師匠にあたる立川談志さんが、海外から帰国した時のことです。成田空港の税関を通る時、麻薬犬にいきなり噛まれました。すわ一大事、と出迎えの弟子たちが色めく中、係官がポケットをあらためると、なんとクサヤ(強い臭いの魚の干物)が出てきたのです。<麻薬犬はクサヤは知らなかったらしい。しかしなんでクサヤなんて持って歩いているのだろう。>

★談志師匠が地方での仕事が終わっても、なかなかギャラがもらえません。<「うーー、どうなってんだ?こんなものは?」と四角くサインを出した。>「気がつきませんで」と詫びがあって、かなり分厚い茶封筒が渡されました。嬉しそうにトイレに駆け込んで封を切る師匠。出てきたのは、なんと「リルケ詩集」でした。

★映画好きの円楽師匠(五代目)が、ひとりで映画館で映画を見ていました。スーッと横に座った外人男性、昼間から着物を着ていたので、ゲイと思ったのでしょう、手を握ってきました。失礼があってはいけないと思い、握り返す師匠。寄席の出番が近づきましたが、外人は手を離してくれません。<なんとかこれから仕事だからと説明しようとしたのだがうまく言えない。円楽師「マイ、ビジネス!!」 と何を勘違いしたのかその外人が嬉しそうにたずねた。「ハウマッチ!?>

★三遊亭小遊三の息子さんが面接試験を受けました。お父さんの名前(天野幸夫)を訊かれて<「あまのゆきお」「ゆきおの「ゆき」はどういう字かな?」セガレ数十秒考えたのち、「不幸の「幸」!!」><「それを言うなら幸福の「幸」だろ」とぼやく小遊三。>

★林家彦六師匠。もらったキムチをバカな弟子が何も知らずに洗って出しました。<「バカヤ~~ロ~~赤い辛いところはどうしたい~~ン」「洗い流しました」「それじゃ、なにかい。おめ~~は、麻婆豆腐あらうのか~~い!?」>

★ホラ吹き勢朝という落語家が、売れない仲間のR師匠についての噂話を高田さんに吹き込みました。それによると、Rは「海千山千」だというのです。<仕事がないから海の仕事でも、山の仕事でも千円で行くんですよ。これを我々は海千山千といいます」だと。>
 売れないながら、「呑む打つ買う」の三道楽にも励んでいるという。<どんな仕事も「呑む」、暇だから家で釘を「打つ」>そして、<「あの師匠、家でうさぎ飼ってんです。これが本当の呑む打つ飼う」だと。>

★もうひとつ貧乏話といきましょう。三遊亭円丈師匠の弟子で、三遊亭新潟という男がいました。家賃1万2千円の池袋のアパート住まいです。20部屋のうち、日本人は彼だけで、あとは、フィリピン、イラン、中国など多国籍。真冬もTシャツ1枚、せいぜい重ね着で過ごします。そんな彼が、冬はやっぱり「鍋もの」だ、というのです。<どんな鍋ものを作るのかきくと、お肉屋さんの裏でひろってきたトリのホネでスープをとり、そこに季節の野菜を入れるという。「今の季節の野菜は何だい?」「そうですね・・・セイタカアワダチ草ですか」だと。土手でつんでくるらしい。セイタカアワダチ草はどんな味がするのか私は知りなくもない。>こんな草です。

★高田さんの友人が、寄席のトイレでバッタリ林家三平師匠と連れションになりました。<三平師匠おしっこをしながら、「どーも加山雄三です」とギャグをとばした。>
 そんな師匠が病に倒れました。<もう危ない。医者が脈をとりながら確かめる為「師匠お名前は?お名前は?」「・・・加山雄三です・・・」最後のひと言までギャグだった。>

 存分に初笑いしていただけましたか?なお、冒頭でご案内した記事へのリンクは、<第480回 たけしの時代と高田文夫>です。併せてご覧いただければ幸いです。それでは次回をお楽しみに。

芦坊より新年のご挨拶2025

2025-01-01 | エッセイ
★「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただいている皆様へ★

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は、巳年です。干支のヘビにちなんでこんなデジタル年賀状を作ってみました。


 どこが「ヘビにちなむ」の? との疑問はもっともです。ご説明いたします。
 高さ20cmほどの木彫りの像で、ずいぶん前に、骨董市で手に入れました。背中を丸めて一生懸命にタテ笛を吹いている姿、表情が可愛くて、大切にしている一品(一人?)です。
 笛の先に「ヘビ」がいるとご想像ください。そう、この少年は、「ヘビ使い」という見立てです。生々しいヘビを登場させない工夫をご納得いただければ幸いです。

 本年も、楽しくてタメになる記事をお届けできるよう決意を新たにしています。新年最初の記事は、1月3日(金)にアップの予定です。引き続きご愛読ください。
 皆様のご健勝、ご多幸、ご活躍をお祈りいたしております。

 2025年 元旦  芦坊拝

第608回 笑い納め2024年

2024-12-27 | エッセイ
 いいことも、よくないこともあった(ような気がする)2024年も暮れようとしています
 笑い納めていただくのがなによりと、年末恒例(と私が勝手に決めている)の企画のお届けです。ネタ元は、「最後のちょっといい話」(戸板康二 文春文庫 1994年)で、今回でその利用は最後になります(文末に直近2年分へのリンクを貼っています)。引用は原文を基本とし、いささかお古い話題ですので、適宜、人物に関する情報と私なりのコメントを<  >内に付記しました。合わせてお楽しみください。

古今亭志ん生が大昔、いわゆる「なめくじ長屋」にいたころ、本麻の蚊帳というのを「三十円の品物ですが即金なら十円に致します」という口上で売りに来た。

 キチンと畳んであるのをつい確かめもせず、長火鉢の引き出しから紙幣を渡してしまった。さて開いたら、蚊帳の切れっぱしを畳み、赤い縁と環をつけて、見せかけだけのイカサマ。しまったと口惜しがったが、ふと気がついた。「うちに十円札があるはずはないんだ。あれは一枚五厘で売っていたおもちゃの紙幣だった」<まんま、落語の世界ですね>

保志<相撲取り(本名)>が大関に昇進した時、本姓ではもうおかしいので、四股名を考えようということになり、はじめ十勝の生まれなので、十勝海としたいと言ったら、九重親方が「だめだね、十勝では優勝できない」
 それで、北勝海になった次第。

里見弴<作家>という筆名は、電話帳を開いて、パッとあけたページが「さとみ」だった。そのページをトンと突いたのが、弴になった。三島由紀夫もやはり電話帳だった。私も電話帳を番号を調べる以外に引くことがある。私の場合は小説の犯人の名前を決めたあと、それと同姓同名の人がいてはいけないからだ。<こんな「便利な」利用法がありました>

★私の近くでは、義父の名前が山口一、フルネームで七画である。一方、私が時々便りを書く作家綱淵謙錠という姓名は、最も字画が多い。本名をそのまま筆名を使わずいるのは立派だと敬服するが、子供のころから、さぞ大変だったであろうと推測する。

★毎年、酒造組合が、酒にちなんだカルタを公募する。ある年、1等は「ツケの一声」というのだったが、審査員の田辺聖子のも、おぼえている。
「たたけよ酒屋開かれん」

★大正時代に初代柳家小せんという落語家がいました。本名鈴木万次郎というので、仲間から万公と呼ばれていました。それで表札に「鈴木万公」と書いて出したら、巡査に叱られたとのこと。

★戦前のこと。劇場に臨官席というのがあって、警官が見に来ました。上演台本もあらかじめ届けて検閲を受ける仕組だ。
 ある時「一度でいいから接吻してください」の「接吻」をカットといわれた。カットされたセリフは客席を大いに喜ばせたという。どうか、カットして読んでみてほしい。

司葉子上原謙と共演した映画がある。撮影が終わったあと、丁重な礼状を出した。そのあとで再会した時、上原が「あなた、私が嫌いですか」といったので、おどろいて、「なぜそんなことをおっしゃるんです」と反問したら、「封筒の宛名が、上原嫌でしたよ」
<「嫌」って、「女偏」の漢字なんですけど・・・>

★テレビの悪役の名人といわれる八名信夫が、九州自然野菜組合で発売しているキャベツの青汁のCMをたのまれ、スタジオではじめてその汁を飲んだら、青くさくてたまらない。思わず苦い顔をして「まずい!」といってしまった。これではCMにならないと、同席していた組合の幹部がしばらく相談して、こう決めた。とにかく一杯飲んで、「まずい!」といったあと、次に「もう一杯」というのである。<このCMは覚えています。現場での機転が産んだ「名作」だったのですね>

 笑い納めていただけたでしょうか?直近2年分の「笑い納め」記事は<2022年><2023年>です。
 なお、来たる年は、1月1日(水)に新年のご挨拶とミニ記事を、そして、1月3日(金)から通常の記事をアップの予定です。本年も「芦坊の書きたい放題」をご愛読いただきありがとうございました。2025年も引き続きのご愛読をお願い申し上げます。どうぞ良い年をお迎えください。

 芦坊拝  

第607回 不思議な夢の話−2

2024-12-20 | エッセイ
 決してオカルト趣味ではありません。単純に「世の中、不思議なことがあるもんやなぁ」を楽しみたくて、時折そのテの話題を取り上げて来ました。今回は、だいぶ以前にお届けした「第331回 不思議な夢の話」(文末にリンクを貼っています)の続編になります。歴史上の人物二人が自らの死を予知していた(としか思えない)不思議な夢を話題にすることにしました。どうぞ最後までお気楽にお付き合いください。

★リンカーン大統領★

 私が小学生の頃、「世にも不思議な物語」というアメリカ制作のテレビ番組(シリーズもの)を見ていました。実際にあった不思議なエピソードを再現ドラマ仕立てで見せるのですが、中でも、リンカーン大統領の予知夢が、不気味でした。
 夢の中で、彼がひとりで、自宅(ホワイトハウス)の階下に降りてくると、部屋の中央に黒い棺(ひつぎ)が置かれています。棺の蓋を開けて覗き込むと、なんと、そこには自分の遺体が安置されているのです。ギョッと驚いたリンカーンの表情が、今でも脳裏に焼き付いています。

 比較的知られたエピソードのようで、もう少し詳しくお伝えしましょう。
 暗殺される数日前、執務に疲れた大統領が、ホワイトハウスの自室でうとうとしていると、夢の中で、多くの人が嘆き悲しんでいる声が聞こえてきました。ベッドから起き上がって、階下をさまよった挙げ句、とある部屋に入ると、棺が安置してあります。護衛の兵士に「ホワイトハウスで死んでいるのは誰だ?」と訊ねるリンカーンに「大統領です。大統領は暗殺者によって殺害されたのです」との返事が返ってきました。そして、大きな悲嘆の声が湧き起ったところで目が覚めた、というのです。
 そして、妻と、警備担当にだけ語ったこの夢の話が後世に伝えられたとされています。そんな不吉な作り話をするとは考えられませんから、夢を見たのは事実なのでしょう。つくづく不思議でリアルな夢です。

★大久保利通★
 もう一人は、日本から。西郷隆盛の政敵とされながらも、稀代の政略家として明治政界で実力をふるった大久保利通です。

 明治11年5月14日早朝、2頭立ての馬車で霞ヶ関の私邸から赤坂仮御所に向かった大久保利通は、千代田区紀尾井町で、6人の不平士族に襲われ、日本刀で斬殺されました(「紀尾井町の変」)。実は、事件の数日前、彼の忠実な部下で、のちに日本の郵便の父と呼ばれる前島密が、本人から妙な告白を聞いていた、というのです。

「相談することがあって、大久保公の屋敷へ行った。一緒に晩餐を食べていたら、「前島さん私は昨夕(ゆうべ)変な夢を見た。なんでも西郷と言い争って、終(しま)いには格闘したが、私は西郷に追われて高い崖(がけ)から落ちた。脳をひどく石に打ちつけて脳が砕けてしまった。自分の脳が砕けてピクピク動いているのがありありと見えたが、不思議な夢ではありませんか」というような話で平生夢のことなどは、一切話さぬ人であったから、不思議に思っていたが、偶然かどうか、二、三日して紀尾井町の変が起った。」(「大久保利通」(佐々木克監修 講談社学術文庫)から引用)

 さて、事件の当日は、太政官で会議があり、前島も大久保の到着を待っていたのですが、一向に現れません。その時のことを、前島は、報知新聞のインタビューで次のように述べています。
「大変に遅いがどうしたのだろうと言っていたら、使いが来て、今大久保公が紀尾井町で刺客の手に倒れたと報(しら)して来た。私はすぐに駆けつけた。公はまだ路上に倒れたままでおられたが、躰(からだ)は血だらけで、脳が砕けて、まだピクピクと動いていた。二、三日前に親しく聞いた公の悪夢を憶い出して慄然(ぞっ)とした。」(前掲書から引用)

 夢と現実の状況に違いはありますが、 「脳がピクピク動いていた」というのが、偶然の一致を越えて、リアルで、不気味です。
 なお、大久保が暗殺された際に乗っていた英国製の馬車が保存されています。

 永代供養のため、大久保家から寄付されたもので、五流尊瀧院(岡山県倉敷市)の所蔵です。大久保家にとっては、いかにも無念の遺品に違いありません。

 いかがでしたか?予知夢への不思議な思いを少しでも共有いただければ幸いです。なお。冒頭でご紹介した前回記事へのリンクは<こちら>です。それでは次回をお楽しみに。

第606回 人名いろいろ9 回文名ほか

2024-12-13 | エッセイ
 第9弾をお届けします(直近2回分へのリンクを文末に貼っています)。今回のネタ元は、時折、利用させていただいている「読むクスリ」シリーズ(上前淳一郎 文春文庫)です(文末に簡単な書誌を付記しています)。第19巻の「神の結びたまいし」に拠り、お届けします。我ながらよく続いているシリーズに、どうぞお気楽にお付き合いください。

★ 回文名前★
 鳥取県内の農協に勤める四門勝代さんの姓は珍しい上に、実は、上から読んでも下から読んでも「よつかどかつよ」。

 JR勤務のご主人と見合い結婚をして20年近く。「結婚式の1週間くらい前、これから名乗ることになる新しい姓の下に、子供のころからの自分の名を書いてみたんです」(同書から。以下の発言も)
 そこで上下どちらか読んでも同じことに気づいてびっくりしたそう。でも、恥ずかしいようで、新婚時代はなるべくカナで書かないようにしていたといいます。
 でも、二人の子供たちに手がかからなくなり、農協へ勤めに出るようになってから、自分の名前を売り込むことの大切さを知りました。「たとえば預金や年金加入の勧誘には、組合員の方たちにまずこちらの名前を知っていただかなくてはいけないんです」というわけです。そこで、打って変わって積極的なPR作戦を展開しました。
「よつかどかつよ、でございます。預金のご用は、上から読んでも下から読んでも同じこの私にぜひ・・・・」のように。これが大いにウケて、わざわざ農協を訪ねて来る人たちが現れるようになりました。「すごいのう。日本一の名前じゃよ」と言う人まで登場。
「いいえ、広い日本のこと、三門勝美(みつかどかつみ)さんという方もいらっしゃるかもしれません」と応じたのが、またウケて、座が和んだといいます。たまたま回文になる自分の名前を仕事に活かせたのも、このユーモア精神があったればこそ、と感心しました。

★同姓同名夫婦★ 
 四門勝代さんの知人で隣町にあるキリスト教会の河口秀さんは、夫人の名もまったく同じ「秀」さん。ご主人は「まさる」、奥さんは「ひで」と読み方は違うのですが・・・
 この教会に来て20年。地元では有名なご夫婦ですが、住んで間もない頃には、こんなエピソードがありました。
 「二人揃って選挙の投票に行った時のことです。まずぼくが町役場から送られてきた入場券を渡して投票用紙をもらい、次に家内が入場券を出したら、選管の人があわてちゃったんです」
 先に出した入場券と同じ名前ですから、奥さんの入場券に間違えてご主人の名前を印刷してしまった、と勘違いした係員たちが騒ぎ出しました。奥さんは投票できるのか、と額を寄せて相談しています。ご主人は「おかしくて仕方ありませんでしたが、真面目な顔で説明しまして」
 事情がわかって、奥様は無事投票を済ませ、係員も胸を撫でおろしました。この1件でいっぺんに役場に存在を知られて、それ以来、不便を感じることはなくなったそう。
 人口1万足らずの町のこと。銀行や郵便局でも同姓同名の牧師さん夫婦のことはよく知られていて、通帳の混同はありませんでした。それでも、うっかりルビを振るのを忘れて預貯金すると(当時は窓口で手続きするのが普通でしたから)「今日の分は、ご主人、奥さん、どちらでしたっけ」などと、あとで電話がかかってくることもあったとのこと。
 おふたりは、大阪・寝屋川で育ち、地元のキリスト教会で知り合いました。同じ漢字の一字名とわかって親しくなり、1968(昭和43)年に結婚。「神が作り給うた縁というべきだろう」との著者の思いが、コラムのタイトルになっています。
 さて、結婚の翌年、長女が生まれてから、もともと熱心なクリスチャンであった奥さんは神学校へ行きたいと言い出しました。まさるさんも一念発起して公務員を辞め、神学校に通い、牧師になったのです。四門さんが住む町の教会に赴任したのは、1973(昭和48)年のこと。勝代さんの親戚がこの教会に通っていた縁で、翌春の彼女の結婚式には牧師夫婦が招かれました。
 とはいえ、夫婦で同姓同名だと、ちょっと困ることもあるようです。3人の子供さんが通っている学校からは、両親の名前が同じになっている、とお叱りの電話がよくあるとのこと。別々に所得税を申告したのに、一人の収入とみなされて、高い税金を取られたことも。
 困るのは手紙で、開けてみるまでどちら宛かわかりません。「親しい友人は、ルビを降ってきますけどね」なるほど。中には二人宛の手紙をこう1行で片付ける友人もいるといいます。
 (河口秀)X2 様
 戸惑いながらも温かく接する周りの人たち。そして、ちょっとしたトラブルも楽しんでいるかのごときご夫婦の姿に心が温かくなりました。

 人名にまつわる「ちょっといい話」2題をお楽しみいただけましたか?なお、直近の2つの記事へのリンクは<その7><その8>です。それでは次回をお楽しみに。
<付記>「読むクスリ」シリーズは、1984年から2002年まで、著者が週刊文春に連載したコラムを書籍化したものです。企業人たちから聞いたちょっといい話、愉快な話などを幅広く紹介しています。文春文庫版は全37巻です。

第605回 面白「そうな」本たち−4

2024-12-06 | エッセイ
 シリーズ最終回となる第4弾のお届けです。今回も「HONZが選んだノンフィクション」(成毛眞 中央公論新社)から、3冊を取り上げます(未読本もありますので「そうな」となっています)。著者は、ノンフィクション本の書評、紹介サイト「HONZ」の主宰者で、お仲間とともに数多くの作品を紹介してこられました。さっそく本題に入ります。最後までお付き合いください。

★「弱くても勝てます」(高橋秀実 新潮文庫)★

「開成高校野球部のセオリー」と副題にあります。バリバリの進学校にして、都の大会でベスト16まで勝ち上がった実績もある同校野球部の強さの秘密(?)を探ろうという試みです。
 著者・高橋氏が、初めて開成高校の練習を見に行った際の感想「下手なのである。それも異常に」に魅きこまれます。「内野は打者に近いから怖い、外野は遠いから安心」という外野手、「球を投げるのは得意だが、補るのが(苦手じゃなく)下手」と語るショート、など、いかにもの選手たちの言葉が紹介されます。キャッチボールでもエラーがあるので、「危なくて気の抜けない取材」だった、との氏の言葉が笑えました。
 監督が、そんな選手たちのポジションを決める基準です。1.ピッチャーは投げ方が安定していること 2.内野手はそこそこ投げ方が安定していること 3.外野手はそれ以外、というもの。
 さて、試合の戦術です。送りバントやスクイズはありません。サインもありません。指示は監督が大きな声で出します。小技でチマチマと点を取っても、大量点を取られればパァーですから。
 打順は、1番から6番まで、とにかく強い球を打てる選手を並べます。そして、下位から始まる回がチャンスだといいます。下位打線に打たれて動揺している相手チームにつけ込んで得点する、というユニークな作戦です。
 監督の言葉が引用されています。「チームに貢献するなんていうのは人間の本能じゃないと思います」「思い切り振って球を遠くに飛ばす。それが一番楽しいはずなんです。生徒たちはグラウンドで本能的に大胆にやっていいのに、それを押し殺しているのを見ると、僕は本能的に我慢できない。たとえミスしてもワーッと元気よくやっていれば、怒れませんよ。のびやかに自由に暴れまくってほしい。野球は「俺が、俺が」でいいんです」
 成毛氏は、この本の読了後、同校野球部の部員たちをすっかり好きになった、と書いています。  
 私もこの本は読みました。勝利至上主義、厳しい練習などに疑問を感じていましたから、読後の爽やかな気分を思い出し、氏と大いに思いを共有しました。

★「翻訳できない世界の言葉」(エラ・サンダース 前田まゆみ訳(創元社))★

 言葉って、その言葉を話す人たちの文化、社会、習俗と密接に結びついています。なので、私たちには「翻訳できない」言葉があっても当然です。世界の様々な国で暮らした経験を持つこの本の著者が選んだ言葉のいくつかを成毛氏が紹介しています。
 長さ、重さなどを測る「単位」。フィンランド語には、「poronkusema(ポロンクセマ)」という単位があります。「トナカイが休憩なしで、疲れず移動できる距離」を指します。私たちには見当もつきませんが、約7.5kmになるそう。いかにも北欧的です。
 マレー語の「pisang zapra(ピサンザプラ)」というのは、「「バナナを食べる時の所要時間」だ。人によって、バナナの大きさによっても違うでしょ、と氏。全く同感です。
 ドイツ語の「Drachenfutter(ドラッフェンフッター)」は、直訳すると「龍のえさ」。「夫が悪いふるまいを妻に許してもらうために贈るプレゼント」のことです。行為としてはよくある(?)ことですが、それを一語で表すのがドイツ流。妻を龍にたとえると「逆に怒りを買わないのかと思わず心配になる」との氏のコメントに頬が緩みました。

★「地面師」(森功 講談社)★
 2016年10月、東京・新橋の一角で、資産家の女性の白骨死体が発見されました。驚くべきことに、彼女の土地が何者かによって転売されていたのです。
 大手住宅メーカーなど不動産取引のプロを巻き込み、他人の土地を、55億5000万円で売り抜けた詐欺集団が、「地面師」と呼ばれる連中で、事件後、続々と逮捕されました。
 取引のプロを欺すために、彼らは、案件ごとに10人程度のチームを組みます。全体の絵を描くリーダー、パスポートや免許証など書類を偽造する「印刷屋」、振込口座を用意する「銀行屋」、そして地主になりすます「なりすまし役」です。
 とりわけ「なりすまし役」は重要ですから、年恰好もちろん、矛盾なく話ができるかなどを、リーダーが面接して選定します。時に認知症気味の人物を当てることもあるといいます。その上で何度も取引を重ねて、取引の実態を見えにくくするのも彼らの常套手段です。今回は殺人事件が絡んでいましたから、警察も本格捜査、逮捕に至りました。「大規模の土地を持っていなくても回り回って地面師と関わることもゼロではないのだ」との氏の言葉を(無縁とは思いつつ)肝に銘じました。

 いかがでしたか?過去分のリンクは<第523回><第543回><第555回>です。なお、HONZ<https://honz.jp/>は、2024年7月で記事の更新を終了していますが、アクセスは可能です。それでは次回をお楽しみに。
 

第604回 21世紀への伝言by半藤さん-5

2024-11-29 | エッセイ
 シリーズ最終回の第5弾になります(文末に、直近2回分の記事へのリンクを貼っています)。ネタ元は、作家・半藤一利さんの「21世紀への伝言」(文藝春秋刊)です。著者が21世紀に伝えるべく選んだエピソードの中から、楽しい、スゴい、興味深い、ものなどをセレクトしてお届けしてきました。今回は、1970年代を中心とした時代の話題をご紹介します。
 <  >内の私なりのコメントと併せて、気楽にお楽しみください。

★いい夢を見させてもらった★
 プロ野球での金字塔、空前絶後の記録はいろいろあります。タイガースファンにとっては、オールスター戦での9打者連続奪三振にとどめを刺しそうです。達成されたのは、1971(昭和46)年、西宮球場での試合です。スポーツニュースだけでなく、一般のニュースまでが大きく取り上げました。
 誰も達成したことがないこの記録を本人が予告していたのも驚きです。日本での18年の現役生活を終え、大リーグに挑戦しましたが、夢は叶いませんでした。「いい夢を見させてもらった」という江夏の言葉が残されています。こちらは、記録達成の瞬間です。

<テレビのニュースで何度も見て、興奮したのが懐かしいです。一塁ファールフライを「取るなっ!」と捕手の田淵に叫んだ、との噂(真偽は不明)を耳にしたのを覚えています>

★すぐやる課★
 市民からの要望があればとにかく駆けつけて相談にのる、処理する、
をモットーに、千葉県松戸市の「すぐやる課」ができたのが、1969(昭和44)年10月です。どぶさらいから蜂の巣処理まで、名前に違わぬ活動ぶりが随分マスコミでも話題になりました。
 当時の松本清市長(故人)の思いは脈々と受け継がれ、98年度で年間3千件あまりを処理していると本書にあります。
<現在も立派に活動しています。もっと追随する自治体が出てもいいと思うのですが、組織の壁は厚いようですね>

★サングラスを買った男が最初の客★
 1960年頃、大半の日本人は、夜は10時前に床に入っていました。それが、1975年には、その時間に寝ているのは4人のうちわずか1人。そんな生活時間の変化に合わせるように、日本初のコンビにであるセブン・イレブンの1号店が豊洲でオープンしたのが、1974(昭和49)年5月15日です。
 「どしゃぶりの雨の朝、サングラスを買った男が最初の客でした」との当時の店長が回想しているのが愉快です。
<ATMと公共料金、通販料金の支払いがもっぱらですが、ありがたい存在です。365日24時間営業の必要性なども話題に上るご時世に、時の流れを感じます>

★文章を書くのは脳なんです★
 ハイテクなんて言葉も随分古びてしまいました。東芝から日本で最初のワープロが売り出されたのが、1978(昭和53)年5月のことです。今やパソコン、タブレット、スマホとその手の機器の進化はとどまる所を知りません。当時の開発者の言葉です。
「使う道具が万年筆でもワープロでも、文章を書くのは脳なんです」
<パソコンで「便利に」ブログの記事を書きながら、ハッとさせられました>

★歴史は遡るように読むべきだ★
 「文藝春秋」の2000年2月特別号が、各界の著名人に行った「私のメモリアル・デイ」というアンケート結果を特集しています。
 1位が太平洋戦争の敗戦、以下、2位が三島由紀夫の割腹自殺。3位、昭和天皇崩御。4位、太平洋戦争開戦。5位、アポロ11号月面着陸。6位、2・26事件。同順7位、ベルリンの壁崩壊、阪神・淡路大震災と続きます。
 本書の最後で、著者は、フランスの歴史学者で、ゲシュタポに射殺されたマルク・ブロックの名言を引用しています。
 「歴史を古代から時代順に読むから考えなくなってしまう。歴史は現代から遡るように読むべきだ」<この記事を締めくくるにあたり、この言葉をしっかり噛みしめました>

 最後はちょっと真面目な話題でしたが、お楽しみいただけましたか?冒頭でご紹介した直近2回分へのリンクは、<第529回><第565回>です。それでは次回をお楽しみに。

第603回 タケシのトンデモTV企画集

2024-11-22 | エッセイ
 お笑いの世界で、一番親しみ、楽しんだタレントといえば、同世代でもあり、ビートたけしさん(以下、「タケシさん」)です。
 次々と飛び出す連発ギャグに仕込まれた風刺と毒に笑い転げました。少し古い本ですが、「コマネチ! ビートたけし全記録」(北野武編 新潮文庫)は、タイトル通り、タケシさん自身による思い出話、楽屋話などのほか、対談、お仲間からの寄稿、人気番組の誌上再録など盛りだくさんの内容で構成されています。こちらは、表紙です。

 今回は、本書の中から、タケシさんによる「だからTVは狂ってる」に拠り、ご自身や、お仲間が若い頃に関わったTV業界のトンデモ企画、失敗企画をご紹介することにしました。項目名と<   >内のコメントは、私が付けたものです。どうぞ最後までお楽しみください。

★ファミレスで落雷騒動★
 地方の大きなファミレスのお客さんを驚かそうという企画です。タケシさんは、雷様の格好で店の裏でクレーンに吊されます。照明と音でガラガラピカピカとやって、放水車から水を撒き、突然の雷雨を演出します。何事かと客が出てきたところへ、雷の紛争で太鼓を叩きながら、クレーンに吊るされたタケシさんが降りてきて、みんなを驚かそうという趣向です。道路使用許可を取ってなかったので警察が来る騒ぎになりました。スタッフは逃げてしまって、タケシさんは宙吊りのまま、こってり油を絞られたそう。最後は、プロデューサーが謝って、地上に降ろされました。<文字通り、人騒がせな企画でした>
★土佐犬と勝負?★
 身体じゅうに肉の塊を巻きつけたタレントのアゴ勇さんを、土佐犬がたくさんいる檻の中に垂らすという企画が実行されました。犬がジャンプしても届かないあたりまで、そぉーっと降ろして様子を見ることになっていました。ところが、降り始めた瞬間に紐が切れ、どーんと群れの真ん中へ。「アゴが犬を全部にらみつけてワワワワンって言ったら、土佐犬がみんな逃げちゃって助かった」(同書から)
 すぐに係員が犬を取り押さえて事なきを得ましたが、アゴさんは「怖かったよ~」とあとで泣き出したのをタケシさんは目撃しています。<とっさのワンワン芸で身を守れたのが何よりでした>
★死にそうになった手品★
 人が入った箱に、四方八方から剣を刺して、本人は平気、という手品があります。タケシさんが箱に入り、剣が刺さるごとに「痛い、痛い、ホントに刺さってるよ。話が違う」と叫んで笑いを取る趣向でした。でも、剣を入れる穴を間違えたヤツがいて、刺さってしまいました。「痛い、痛い、本当に刺さってる」と言っても、「またまた~」などと皆んな笑っています。幸い脇腹をかすっただけで済みました。<ひどい連中だ、と思い出して、怒ってるのが、笑えました>

★観光バスで○Xクイズ
 日本一の大型クレーン2台で、40人乗りくらいのバスを熱海の海岸から海の上に吊します。クイズが出て、不正解だとバスは下げられます。そのうち、下げ過ぎて、バスが丸ごと水の中に浸かってしまいました。待機していた20人の潜水夫が救助に当たりましたが、一人だけ上がってきません。なんとバスの天井に張り付いていて、そこの空気で助かりました。「あれは怖かったな」「よく無事終わったと思うよ」とタケシさん。<皆さん、よくぞご無事で>
★スポンサーにご用心★
 漫才などの舞台を生中継するときには、楽屋に、スポンサーの一覧が貼り出されます。薬品メーカーだと風邪ひきネタはダメ、酒造メーカーだと酔っ払いネタ、自動車メーカーだと事故ネタもダメ、というわけです。そこを際どく縫って笑いを取るのも芸ですが・・・
 キリンビールがスポンサーの時、タケシさんは、「「キリン 一番搾り」って、今まで二番絞りを飲まされていたの?」とか「「あなたはビール工場のビールを飲んだことがありますか?」って、今までは何の工場のビールを飲んでいたんだ?」との、ちょっとアブないツッコミで笑いを取りましたが、スポンサーから特に文句はなかったそう。<オトナのスポンサーでよかったですね>
★本音ニュース★
 例えば、ニュースで「○○さんが落とした虎の子の50万円を届けた正直運転手、感謝され金一封を贈られる」というのがよくあります。それをパロディにして、本職のアナウンサーが読み上げます。
「ばかやろうが酔っ払って落としたボーナスを、何をとち狂ったか、偽善者ぶりやがって警察に届けた奴がいて、2割取ろうと思ったところ、2万円しかもらえず、歯ぎしりして悔しがり、猫ばばすりゃよかったと思ったそうです」(同前)との原稿です。露木アナが読みながら吹き出してしまい、せっかくの企画は、1~2回でボツになりました。<今どきの政治ネタを「本音ニュース」で是非やってもらいたいものです>
 
 いかがでしたか?テレビがこんなに過激で、元気な時代があったですね。すっかりテレビ離れしている私は、懐かしく感じました。それでは次回をお楽しみに。