幕末、薩長を中心とした倒幕勢力にとっては、遷都が大きな課題でした。京に都を置いたままでは、古いしがらみが抜けず、自分たちが主導権を取れません。そこで、とりあえず大坂(当時の表記)への遷都がほぼ決まっていました。それが、江戸へ、となったいきさつを以前記事にしました(文末にリンクを貼っています)。それから少しあと、NHKの「歴史探偵」という番組が江戸遷都を、たまたま取り上げたのです(2022年10月26日放映)。それを見て、江戸遷都という大作戦を、明治政府がいかに周到、巧妙に実行したかを知り、ひときわ興味を惹かれました。番組内容に沿ってご案内します。最後までよろしくお付き合いください。
江戸遷都のためには、天皇に江戸に住まい続けていただく必要があるのですが、これが実に大変なのです。14世紀以来、天皇は、ずっと御所住まいで、外出は極めて稀です。そのことを指す「行幸(ぎょうこう)」という専用の言葉があるくらいですから。
そこで明治政府が考えたのは、二段構えで、江戸への行幸を実施するというものでした。まずは1回目の行幸です。宮廷を納得、安心させるために持ち出した前例が、文久3(1863)年に行われた上賀茂神社への攘夷祈願の行幸で、それは、なんと237年ぶりでした。
今回の行幸は、「苦しんでいる東日本を救うため」(番組から)が目的とされ、明治元(1868)年9月20日、天皇の乗った鳳輦(ほうれん)は、3300名の従者を引き連れ、東海道で江戸に向かいました。そこには、ただの移動にはさせない大久保利通を中心とした政府の戦略がありました。
「外国では君主が国中を歩き、国民を撫育する」(番組から)という知識が、大久保にはありました。なので、今回の行幸では、天皇にできるだけ人々と触れ合ってもらって、親しみを持ってもらおうと画策したのです。現に、名古屋の熱田では、天皇は稲刈りをご覧になり、農民にお菓子を配っています。また、神奈川の大磯では、地引網漁を見学されました。その時には、フンドシ1枚の漁師が獲れた魚を直接天皇に差し出す、という(政府には嬉しい)ハプニングもありました。
そして、同年10月13日、いよいよ江戸城入りです。行幸出発の4か月前には、上野で新政府軍と彰義隊との激戦(上野戦争)があったばかりです。新政府に反発を抱く人々もおり、はたして江戸で天皇が歓迎されるか、明治政府も不安を抱えていました。
そこで打った手が、江戸の人々に酒を振る舞う、というものでした。京都から持って来た2斗2升入り7樽分の酒(「天酒」と呼ばれます)を、3000樽に分けて、江戸の人々に振る舞ったのです。その様子を描いた錦絵です。
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味も、有り難みもだいぶ薄れていたと思うのですが、人たちは大喜びで、飲んで騒いだといいます。約2か月滞在し、12月には京都に戻られ(還幸)ました。こうして、第1回目の行幸は大成功に終わりました。行ったきりになるのでは、と心配していた京の人たちも、ひとますホッとしたことでしょう。京都の各町内には、菊の御紋入りの「御土器(おんかわらけ)」ー皿を贈るなど、人々への対策も抜かりはありませんでした。
そんな気分が抜けやらぬ翌明治2年正月、二度目の江戸行幸が発表されました。今回は、皇后、太政官を帯同しての行幸です。これはいよいよ江戸へ都が移ると感じた京の人々は、寺社などへ押しかけ行幸反対の声を上げます。あわてた政府が引っ張り出したのが、すっかり政府に取り込まれていた元公家の岩倉具視です。「岩倉公実記」という彼の一代記には、その時、京の人々に向けて発したメッセージが記録されています。
「(江戸行幸を)「遷都をするかのように思っているものも少なからずいる」が「決して江戸に遷都してこの都府(京都)を廃されることは万々これなきはずなり」(番組から要約)
どれほど効果があったのかはわかりませんが、予定通り行幸は実施され、同年3月28日、江戸城改め東京城に入城しました。江戸入りを伝える錦絵(番組から)です。
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それ以来、天皇は代々、皇居にお住まいで、天皇による遷都の宣旨とか、定めた法律はなく、東京は「事実上の」首都として機能してきました。
番組の終わりで、代々、京都に残って商売を続けている商家の主人の一言が紹介されました。「天皇は ちょっと出かけてきます言うて行かはったんでしょ。いつ帰って来はってもええようにしっかり留守番しています」ヒネリの効いた、いかにも京都人らしい言葉です。
いかがでしたか?関西出身で、東京での便利な生活を楽しんでいる身には、ちょっぴり複雑な思いもあります。でも、大事を起こすに当たっての周到さ、戦略性、そして人心収攬に長けた明治の政治家のスゴさをあらためて思い知りました。なお、冒頭でご紹介した記事は、<第450回 投書が決めた江戸遷都>です。是非とも合わせてご覧ください。それでは次回をお楽しみに。