俳優、映画監督にとどまらず、多くの分野で才能を発揮、活躍されたのが、伊丹十三さん(1933-97年、以下「氏」)です。
私にとっては、何よりもエッセイストです。ともすれば、俗で自慢っぽくなりがちな話題を、わかりやすく、イヤミなく伝えるワザが魅力でした。当ブログでも過去2回取り上げました(文末にリンクを貼っています)。今回は、「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)から、ヨーロッパの社会、風俗などについてのウンチク話をご紹介します。どうぞ気軽にお付き合いください。
★フランスで開催されるル・マン24時間と呼ばれる耐久カーレースがあります。ベンツ、フェラーリ、ポルシェなど世界の名だたるメーカーが全力をあげて建造した車に、超一流のレーサーが乗り込んで競う過酷なレースです。同レースも含めて世界的なレースで活躍した英国人のスターリング・モスという偉大なレーサーがいました。氏によれば、彼は、普段は自転車に乗っていた、というのです。彼とその愛車(車のほう)です。
「街を走っている自動車は、あれは自動車ではなくて、単なる足だ。どうせ足なら自転車のほうが健康にいい」(同書から)
「見識ではありませんか」との氏の評に、私は「イキだね」とも付け加えたくなりました。
★お次は、スペインの映画館で上映される外国映画の話題です。それらの映画はすべて「吹き替え」だというのです。字が読めない人が多い、という事情もあります。もうひとつの大きな理由は、この国がカトリックの強い国である、ということです。例えば、結婚していない恋人同士が、映画の中で一つのベッドで寝ることは許されません。
そんな場合は、「1時間前に結婚したなんて、ほんとに夢みたいだね」とか、「お兄さまと一緒に寝るの、子供の時から随分久しぶりだわ」のように、セリフをまったく変えてしまうのです。随分乱暴なやり方で、話の辻褄をどう合わせるんだろう、とは余計な心配でしょうか。ラテンのノリで、気にしない、気にしない、と言われそうです。
★イギリスBBCに即興劇があります。俳優が即興でセリフをやりとりしていくうちに意外なドラマができあがる、というものです。ゆっくり進行している間はいいのですが、話題がとんでもない方向へ急速に発展し始めると、俳優の頭の回転が追いつかず、相手の言うことを繰り返すだけになるというのです。同書からの引用例です。
「きみは一体イギリスの人口問題をどう思っているんだ」
「ぼくが、イギリスの人口問題をどう思っているかって」
「そうさ、イギリスの人口の半分は犬と猫なんだぜ」
「まさか!イギリスの人口の半分が犬と猫だなんて」
「本当だとも。統計局へ行って調べて見給え」
「統計局へ行って調べる?」と、まだまだ続きますが、この辺にしておきましょう。
氏は「どうでもいい会話」に応用することをススメます。相手の長い饒舌を、時折「イエス」などの相槌を入れて聞かされるより、いかにも熱心に聞いているとの印象(あくまで印象です)を与えられる有効なやり方だ、というのです。なるほど、こりゃ使える、と感心しました。
★小さい頃、左ハンドルといえば外車のことで、たまに見かければ、「おっ、カッコいい」なんて憧れたものです。でも左側通行の我が国では、右前方、つまり対向車線側が見通せませんから、追い越しはリスクを伴います。氏の友人は、雨の横浜バイパスで、前の車を追い越そうとして、中央ラインを超えたところで、対向車と正面衝突し、亡くなりました。その原因は左ハンドル車だったことだろう、と氏は推測しています。
日本と同じ少数派の左側通行のイギリスでは、どんな対策を講じているのでしょうか?ロンドン近郊に増えつつある高速道路では、左ハンドル車を通行禁止にしました。一般道は「自己責任で」通行可というのが、いかにもオトナの国らしいルールです。
★本場フランスのレストランで、ワインをボトルで頼み、食事を終えて帰る時、ボトルに幾分か飲み残しておくのが不文律だ、というのです。イキがっているわけではなく、理由があります。それらの店には、ソムリエと呼ばれるワインの専門家がいます。ワイン庫の管理を任され、お客には、料理にあったワインをきめ細かくアドバイスしてくれます。あらゆる銘柄、産地、生産年などの知識を身につけるため、少年の頃からソムリエの下で、数多くのワインを味わい、記憶するという厳しい修行が課せられます。ただし、景気よくワインのボトルを開けてお勉強、というわけにはいきません。そこで飲み残しワインをじっくり味わい、その特徴を頭に叩き込んでいく、というわけです。優れたソムリエを代々育て、客もいつまでもいいワインを楽しめる・・・フランスらしいシャレた工夫、仕組みです。
伊丹流ウンチク話の一端をお楽しみいただけましたか?冒頭でご紹介した過去記事は<第260回エッセイスト伊丹十三>と<第538回スパゲッティを正しく食す>です。合わせてご覧いただければ幸いです、それでは次回をお楽しみに。