6/2「不安の代償」
今日、
福島原発事故に対しての健康不安に対して、
その慰謝料を仲介する「紛争解決センター」が東電との和解金を提示した。
それによると慰謝料は
「大人が50万円、子供が100万円余り」と提示されたと言う。
私はその、余りの金額の低さに驚いてしまった。
原発事故による放射線被ばくは未だに続いている。
しかし、
その代償として、提示されたのが
この金額と思うと
将来など全く見通しが立たないと思う。
この金額は
飯館村の村民に対して提示された金額である。
かつて、
飯館村は「日本で一番美しい村」と言われた事があると言う。
私の知り合いの農業者も、
将来飯館村で農業をやろうとしていたらしく
見学に行った話を聞いた事がある。
それほどまでに
農業がやり易い村だったのに、
原発事故で将来を閉ざされ、
なおかつ
汚染された農地へ帰還しろと
言われなければならないと言う、
苦しみを背負わされ、
放射能の不安の代償として
これくらいの金額しか支払われないとは
なんとも悲しい現実だ。
つまり
飯館村住民は
「お金が欲しければ帰村しろ、さもなければ面倒は見ない。」
と言われたに過ぎない。
これは,
住民から見れば、
「自分の命をいつも不安に晒すか、そうでなければ、生活保護でひっそりと暮らすか」
どちらかを選択しなければならない
岐路に立たされている
と言っても過言ではない。
また、
農業は出来ても
その作物は業者に買いたたかれ、
最後には
「何の為に栽培しているのか」と
嘆くより仕方がないと言う局面に立たされる恐れは
十分にある。
その証拠として、
近くのスーパーでは安値の魚類は大抵、千葉、房総沖産であるし、
トマトは福島県産だ。
スーパ―側でも、
そうしないと消費者が買わないのだろうし、
その価格で売っても損をしないと言う事だからであろう。
私自身もそのように表示がされていれば
やはり、
避けて通る。
その光景を見たら、
「50万をもらってそこに住み続けるか、農地を手放してでも、棄民になるか。」
どちらかの選択を迫られると思う
かつて
はやり言葉に「喰う寝る所に住む所」
と言う言葉があった。
汚染した土地は飯館村ばかりではない。
日本国民全員が、
「喰う寝る所に住む所」
を汚染させられたのである。
こんな事態を許さないのは彼らだけではないと
思う。