
白露となり 草露白しの候となりました。
待ちに待った秋風がようやく吹いてくれました。
このまま猛暑日とはお別れしたいものです。
明日は重陽、菊の節句です。
重陽では茱萸袋など載せましたが着せ綿の画像は載せていません。今回、江馬務氏の有職故実に『宮廷では白赤黄三輪づつのおなか(綿)に小りんと言って赤には白、白には黄、黄には赤の小さい蕊の綿を付け菊に結びつけ菊花を御常御殿の欄干に結んだ~』とあることから真綿を染めて作ってみたのがこの画像です。
五色の着せ綿もあったそうですからずいぶん綺麗なことでしたでしょう。
きせ綿は『貞丈雑記』に「真綿を菊の花のりんの大きさほどに丸くひらくして赤き花には赤く黄なる花には黄色白き花には白くその花の色に染めて花だんの花の上にかぶせる也 霜をいとう心なり」とあります。
亥の子の夜に行うようで亥の子の日なら重陽より寒いので霜よけもしたくなります。
菊に綿を被せるのは平安の頃よりありますが重陽と結びつくのはもう少し後のようです。菊の露を含んだ綿で身を清めると若返ると言われアンチエージングを期待したのでしょう。
敷いてあるのは甲立てと言う折形でお三宝の敷物などに使います。
これも貞丈雑記に甲立ては『饗立なれどれもこうだてといいあやまりて甲立てと書く』とあり饗応の『食物の錺(かざり)とするは上古食物を柏の葉に盛りたるによりその柏の葉を表して紙を折りてもり物をかざるなるべし』と記してあります。
たまに貞丈雑記など紐解くと面白いことがたくさん書いてあって時を忘れます。

着せ綿の項を見て下さった知人から
隠岐の島の後鳥羽上皇資料館にも着せ綿があると言うお話を頂きました。経年による為茶色になっているようですが染めた綿のようで濃淡があるそうです。
島流しの淋しい日々に重陽には菊に綿を着せて都を偲んだお姿を思うと寂寥と望郷の思いはいかばかりだったかと思います。
島での清貧生活の中でも菊に心を和らげてお暮らしの貴重な証が残っていたのですね。
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