SAKURA ふるきよきうつくしきもの 

包む 結ぶ 遊ぶ いにしえに学ぶ

燕子花の花包 

2010-05-05 00:01:00 | 








 立夏となり 蛙始めて鳴く 候となりました


初夏らしい陽気となりよいゴールデンウイークを過ごされたと思います。連休も子供の日を残すのみとなりホッとしています。

画像は燕子花の花包です。燕子花はカキツバタで、普通 杜若が使われますが華包の本には燕子花となっていましたのでそれに従いました。

お花は燕子花ではなく庭の射干(シャガ)です。この射干、始め5株ほど頂いたのが大繁殖したもので、傾斜地を好むと言う通り植え込みの斜面に今はぎっしり咲くようになりました。 この葉はツルツルなので敵の侵入を防ぐよう城壁に植えられたと聞きました。

普請中の大工さんはもう30年のお付き合いですがお話が楽しくてつい仕事の邪魔をしてしまいます。丁度今は柱が丸見えで屋根の木や柱が組まれている様子がよく見えます。それで先日は木の組方を聞いて蟻継ぎ 鎌継ぎ、上木と下木など教えてもらいました。

よくお芝居の御殿では幾重にも襖が開いて見渡す限り広間が連なっていて襖の間に柱がありません~ 「柱が無くてどうやって支えているの?」なんて質問にもその辺の木材に絵を描いて教えてくれます。
「宮大工は差し金一本で屋根の勾配を出すんだ」と言う差し金には財病離義官却害吉の文字があってこれは先日東大寺の建築の時にTVで見た文字なので、1300年の時を経て同じ道具を使っているのを目の当たりにして感動しました。
もっとももうこの差し金を使いこなす人は少ないそうで今はセンチ単位の差し金が主流だそうですがセンチでは寺院やお城の屋根勾配は出ないのだそうです。
こうした腕のいい大工さんが出番がなくなるのは惜しいことです。

5月の古称です。
仲夏  皐月  早月(さつき )   吹喜月  鳧鐘 (ふしょう ) 月見ず月  橘月   田草月  すい賓 (すいひん)  賤間月 (しずまつき)  早苗月   鬱林  蔚林 (うつりん )  梅色月   悪月   狭雲月   蒲月 (ほげつ) 菖蒲月   五色月  雨月  星月  鶉月 (じゅんげつ)  早稲月  暑月



歌舞伎座閉場式

2010-05-01 10:15:00 | 







昨日歌舞伎座閉場式がありました。思いがけず切符が手に入り観てきました。

私的なことで掲載を躊躇いましたが歴史的なことなので番外で残すことに致しました。

新歌舞伎座開場は昭和26年でこの時7歳だった私は母に連れられてこの時の一こまをしっかり記憶しています。それは母に「天井を見てご覧なさい」と言われて反るようにして見上げた天井の高さと「牛車の紐見たい」と思った天井に伸びた紫の帯でした。そのお話をご一緒した先輩にお話しましたら「それはよいお話。吉田五十八さんは天井の設計に苦心したのをお母様はご存じだったのね。すばらしいわ」と。半世紀以上も心の内にあった記憶を何気なくお話したのがはからずも母へのお褒めとなりました。
あの天井は帯状の凹凸がよい音響効果となって地方さん連中も絶賛で惜しむところだそうです。
牛車の紐と言うのはお雛様の牛車から下がる紐が紫のぼかしなのでそれに良く似ていると思ったのですがきっと雛飾りのすぐ後の3月頃だったのかもしれません。思えばこの頃から有職の美しさに魅了されていたのでしょう。

演目の『都風流』は立役8人の素踊りで最高齢は菊五郎ですが皆子役時代から年齢を一緒に重ねてきた私にとっては二世達ですが今は押しも押されもしない大役者さんになりました。総踊りは皆不慣れで御愛嬌も華やぎます。

お祭り気分の演目かと思っっていた五人『道成寺』も皆真剣でまさに競演でした。
やはり玉三郎は飛びぬけていますが控え目なのは成駒屋への格への配慮でもあるのでしょう。福助は次期のホープとして三年後の新歌舞伎座での襲名もありえるのではと思わせました。最後の五人の鐘入りは5人で一匹の蛇体となる演出ですが女形の団結の心でもあるでしょう。
まさにこの日だけの1回だけ、空前絶後の面白い道成寺で見ごたえがありました。きっと語り草になる事でしょう。

口上」は芝翫 藤十郎、富十郎の今や大御所の三人です。
扇雀の「曽根崎心中」のあの初演から武智歌舞伎の扇鶴時代をずっと観てきましたがこの二人が並ぶのも当時を思い起こさせてくれて感慨深いものがありました。
最後の「手締式」には200名余の役者さんが黒紋付で間口いっぱいに並んで圧巻でした。猿之助さんが痛々しい。
高麗屋、沢瀉屋がちょっと居にくいように感じるのは私だけでしょうか?

各幕の観客の熱意もすごいものがありました。
観客一人一人に思い出があり全員で歌舞伎座を惜しむ気持ちで一体になったような拍手でした。それぞれが歩んだ悲喜こもごもの人生への拍手だったかもしれません。

私の歌舞伎の記憶は7歳が強烈で、開場の折りも、歌右衛門の襲名も初演の源氏物語もどれもくっきりある場面が記憶にあります。そしてこれが源氏や王朝への憧れの始まりのように思います。
開場から今回の閉場式と歌舞伎座の最初と最後に立ち会えたのはまさに天から切符が舞い下りて母からの贈り物のようでした。
母の帯で作ったバックを持参しましたが沢山お芝居を見せてくれた母へ感謝の気持ちでいっぱいです。

sakura 5月20日追記 sakura
 4月30日、歌舞伎座閉場式にご一緒した先輩の方が天井を写した写真を頂きました。
まさに私が子供の頃に見上げたような高さに撮れています。文中意味不明かと思われる「牛車の紐」の感じもご理解頂けるのではないかと思います。頂いた写真に感謝して母との思いを繋ぐものとしてSAKURAに残しておこうと思い加えました。