佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

「覚えていますか」

2017-06-15 19:56:43 | 日記
覚えていますか?
あなたは、あの日のことを。
覚えていますか?わたしのことを。

わたしたちが出会って、ぶつかって、
ふたつの心がばらばらと音を立てて
砕け散った、あの場所のことを。

わたしは覚えている。たとえあなた
が忘れ去っていても、死ぬまで
二度と思い出しもしなくても、

わたしだけは、忘れない。忘れる
ことなどできない。なぜなら、
あなたという人はあの日、あの
場所で、わたしに刻まれた痕跡
だから。

わたしという女に、この人生に
標された、あなたはマイルスト
ーンだから。

あなたは古い地図。
あなたは壊れた方位磁石。
そしてあなたは、牙を剥いて荒れ
狂う、真冬の海辺に立つ灯台の
明かり。

あなたはわたしを迷わせ、わたし
を引き寄せる。希望なのか絶望
なのか、救いなのか破壊なのか、
わからない―――それらのどれで
もない、

それらのすべてを孕(はら)んだ
光を放ちながら。





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「 手紙の最後に 」佐久市 金買取 ヤナギダ店長コラム

2017-06-15 11:13:51 | 日記
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ブログ:
今日、あなたのファンクラブを
作りました。

初代会長はわたしです。
このファンクラブがどんどん
発展するように、祈ってくだ
さい。

ところで、新入会員は認め
ません。
会長の強権を発動して、
わたしがそう決めたのです。

ー追伸ー
「いつだって味方です」


佐久市野沢93番地十二町
ケヤキの木の真向かい
ぴんころ地蔵側
  ~ヤナギダ~
☎0267-62-0220

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「人生を変える自由」佐久市 金買取 ヤナギダ店長コラム

2017-06-15 06:39:14 | 日記
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ブログ:SNS/gooにすべて掲載


仕事がつまらないとか、嫌い
でしかたないっていう人が
いますよね。

それって誰かに強制されて
やっている仕事なんでしょ
うか。

刑務所の中なら話は別だけ
ど、
この自由な社会で自分で
選んでやっているわけです
よね。

「嫌だな」と思うのなら、
嫌じゃないものに変えてい
けばいいと思うんです。

「こんなことをしたい」と
思ったら、
それに向けての努力はしなく
っちゃいけない。

「いつかはいい仕事に就ける
だろう」というだけでは足りない。
やる時はやらなきゃ。

私たちには、努力で
自分の人生を変える自由がある
んだから。



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「優しい人」―女の履歴書―

2017-06-15 00:00:20 | 日記
家のなかで顔を合わせるたびに、
夫とわたしは諍(いさか)いを
繰り返していた。

夫は、わたしが仕事を続けたい
なら、借家を引き払って、母親の
家で同居して欲しいと、盛んに
言い立てた。義父は多額の財産を
残して、数年前に他界していた。

義母はわたしを嫌っていた、にも
かからわず、わたしたちと一緒に
暮らしたがっていた。いや、もっ
と正確に言えば、彼女は息子と
孫娘と一緒に、暮らしたがって
いた。

義母との同居はしない、近くに
住むだけ。それは結婚するとき、
夫と交わした約束事のひとつだ
った。
「せやけどそれは、あんたが家に
、という大前提のもとでの約束
やったはずや」

と、夫は言った。だから、どっち
かにしてくれ、と、夫は主張した。
わたしはどちらもいやだった。
仕事を辞めてずっと家にいる生活
も、仕事を続けながら義母と同居
する生活も。

そんなある日、娘が学校で描いた
「お母さんの絵」というのを持ち
帰ったことがあった。

そこにはわたしとは似ても似つ
かない、着物姿の女性が描かれ
ていた。
「琴子ちゃん、この人、ママに
全然似て似てへんねえ」
と、わたしが言うと、娘はランド
セルのなかから一枚の写真を取り
出して、わたしに見せた。

「おばあちゃんがね、この写真
見てかきなさいと言わはったの。
琴子のママは世界中でこの人ひ
とりだけなのやと、言わはった
んよ」。

それはお宮参りの写真だった。
生まれたばかりの赤ん坊を抱いた、
若い母親の姿が写っていた。

このような出来事は日常茶飯事
だった。けれども夫には何も
話さなかった。わたしが話せば、
夫はおそらくこう言っただろう。

「それはあんたが、母親として
のつとめを怠ってるせいやろ」と。

家のなかは荒涼とした砂漠でも、
一歩家から出ればそこには、優
しい人とわたしの世界が広がって
いた。毎日、玄関から外に出て、

家を背にした瞬間、わたしの耳
には家が崩れ落ちてゆく音が聞
こえていた。同時にわたしの躰
のなかで、後妻であり継母(まま
はは)である女が死に、みずみず
しい別の女が目を覚ますのがわかった。




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