
ぐらい、女からも離れてい
るのである。女であること、
妻になること、そして母に
なることへの違和感。本来
の自分との「ズレ」の感覚
がエネルギーなのだ。
いけないこともしたりも
します。
私の心は弱いのです
だからといって
私を弱いと思わないように
とてもたくさんのことがあります
とてもたくさんのまちがったこと
も
本当でないと思っても
そうしてしまうことも
あります
いけないこともしたりもします
私の心は強いのです
だからといって
私を強いと思わないように
花が咲き、実るかどうか、
それは知らない。けれど
私は「夢の木実」を、な
おいつくしみ続けよう・・・。
“愛は事(じ)なり」といえり”
「愛とは、相手に合わせる心で
ある」
恋愛中は、彼女(彼氏)の
趣味や行動に自分を合わせる
ことがまったく苦ではありま
せん。
たいくつな恋愛映画を観に
行って二人で感動したり
します。
ところが、結婚して10年も
経つと、結婚当時の熱い思い
もさめてきて、お互いに相手
に合わせることができなく
なります。
「愛」とは、恋愛や夫婦愛ば
かりでなく、親子愛、師弟愛、
友愛など、さまざまであるこ
とは言うまでもありません。
また、「事」とは、同事の心です。
同時の心とは、自分の立場を
捨てて、相手と同じ境遇に
なって協調できる心のこと
です。
社会生活で言えば、立場が上
の者や弱者を守ることです。
たとえば、医者で言えば、患者
に対して専門家の義務を
果たしながら、患者の目線
になり治療をすることです。
これは、親が子に対して、
教師が生徒に対して、上司
が部下に対して、役人が
市民に対して、
あらゆる人間関係において
必要なことです。
もしも今、夫婦関係が停滞
気味でしっくりいかなくて
も、セックスレスでも
お互いに同時の心を実践す
るだけでもそれは改善でき
る。
「愛は事なり」といえり。
夏の名残りがまだどこかに
漂っている 秋の初めの
日曜日の午後 海を見にゆく
古本屋のかえりも
海を見にゆく
あなたが病気なら
海を見にゆく
こころ貧しい朝も
海を見にゆく
ああ 海よ
大きな肩とひろい胸よ
どんなつらい朝も
どんなむごい夜も
いつかは終わる
人生はいつか終わるが
海だけは終わらないのだ
かなしくなったときは
海を見にゆく
一人ぼっちの夜も
海を見にゆく
YouTube
Ramsey Lewis - Portuguese Love
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月光とは違って、ペンキは
不透明な白である。表面だけ
をまっ白にして、もろもろ
の汚れや黒ずみを塗り込めて
しまうことへの不安。
とりつくろって安心してい
るほうが楽なのにそれがで
きない。
そのまつ毛の下の、一見
優しそうに見える瞳が発
する、一見意地悪そうな
視線が、好きだった。
愛してると
言ってほしいなら
いうでも言う
誰の前でも
誰の後でも
私は私
あなたと私でなれるものすべて
他のだれにも似ていない
かけがえのない
私たちそのもの
芹沢光治朗の自伝的大作『人間の運命』
の中で、主人公の次郎はこう語っている。
「子ども心に、財産とは何であろうか、
その財産を神に捧げたいということは
どういうことか、貧乏になって不幸だ
と大人の言うのはどういう意味か、
必死に考えた。自分は貧乏であると
知っているが、そのために裸足で
学校に行き、一片のさつまいもを
弁当にしても、教室で学んだり、
運動場で騒いだり、下校の途上喧嘩
をしたりして、幸せである。
貧乏のために、学校から帰っても、
海辺へ打ち上げられる木片を拾いに
行き、林や山へ落ち葉をかきに行か
なければならないが、
未開人のように自然の中に、自由に
生きていて、幸せである。
それなのに、大人はなぜ不幸であろう
かと、真剣に考えた・・・・」
今私たちは、確かに物質的には豊に
なりました。食べ物は、世界中のもの
が季節に関係なく食べられます。
寒さ暑さも、エアコンのお蔭で快適
にしのげるようになりました。
移動も、車や電車、飛行機で世界中
を簡単にできます。
でも、豊かな自然は消え、人間関係は
ギスギスしています。それが本当の
幸せなのでしょうか?