その少し前に、チュンユーとの
出会いがありました。
彼女の僕の前に、この部屋に
住んでいた人です。猫も彼女
の飼い猫でした。
彼女はここから車で三十分ほ
どのところにあるバードカレ
ッジの学生で、奥さんのいる
人とつき合っていて、、その
人の子どもを妊娠していたの
です。
なんらかの事情があって、そ
の人と半同棲の暮らしをして
いたアパートメントを追い出
された彼女は、ほかに行くと
ころもなく、昔住んでいたこ
の部屋のドアを叩いたという
ことなのです。
土砂降り雨の夜、顔に殴られ
たような青あざをつけて、幽
霊のようにドアの前に立って
いた彼女を、追い返すことは
できず、その夜は彼女を部屋
に泊めました。
誓って言いますが、彼女には
出会ってから今まで、指一本、
触れていません。
それはさておき、僕はたまたま
翌週からファームにこもる予定
でいたから、新しいアパートが
見つかるまでのあいだ、という
条件つきで、僕の部屋を提供し
たのです。もちろんちゃんと
家賃をもらうことにしました。
彼女はときどき、車を運転して、
僕が働いている畑まで会いにき
てくれました。
電話も電気もなく、現代文明と
は切り離された場所で暮らして
いたので、彼女に会って話しを
するのは、楽しかったです。
でも僕は彼女に対して、特別な
感情は一切もって持っていませ
んでした。
ただ、ある時彼女から「子ども
が生まれるまでは、あなたにそ
ばにいて欲しい」と、涙ながら
に頼まれたとき、どうしても
「NO」と言えなかったのは、事
実です。それは僕が、ミコンノ
ハハに育てられた男だったから
でしょう。
自分を大事にしてもらい
たければ、人も大事にしなけ
ればなりません。自分の心を
わかってもらいたければ、人
の心がわかなければなりません。
共感力は、社会生活に欠かせな
い最も大切な能力の一つです。
この能力が欠けていると、人の
気持ちがつかめないゆえに集団
の中で孤立したり、対人恐怖症
になることさえあります。
多くの凶悪な少年犯罪は、きわ
めて共感能力の低い子どもたち
が起こすことが多いとのこと
です。人の身になって考えて
いるという習慣が小さいとき
から養われていないのです。
昨今、学校のいじめが目立ち
ちますが、いじめるほうは
自分がいじめられる場合の
ことを全く考えていません。
つまり、人に痛みを与える
ことをしても、自分がそれと
同じ痛みを受けたことがない
ので想像できないのです。
まさに共感能力が欠乏して
いるのです。
このようなことは、小さいとき
に昔のように外で遊んでいれば
自然に身につくことです。
子どもの遊び場を奪い、子ども
を塾に追いやったことから様々
な社会問題が起きています。
もう一度ガキ大将中心の遊びの
効用を見直す必要があるのでは
ないでしょうか。
まず、言いたいこ
とを実行し、その後で言葉
に出す人間になりたい。
あなたが口ベタでうまく
自分が表現できないな
ら、この言葉を思い出し
てください。
立派な人間とは、やはり、
言葉より実行が先にある
べき。
でも、忘れてはいけない
ことは、その後で「言葉
に出す」人間でならなけ
ればいけないということ。
『知らないうちに「不幸の
シナリオ」を書いてしまう
パターン』
恋愛でも同じことがいえます。
「アイムノットOK」という
人は、恋をするたびに、最後は
やはりフラれるのではないかと
思ってしまいますから、相手が
別の女性とちょっと話をしてい
るだけでも、「あなた、私と別れ
ようと思ってるでしょう?」な
どと、つい口にしてしまいます。
そして、その次の日も、「やっぱ
り私のこと、もう飽きたんじゃ
ない?」などと言うものですから、
「君みたいなしつこい人とはもう
つき合いたくない」と、本当に
フラれることになる。
どれほど自分が愛していても、
また相手が献身的であって
も、最後は自分をフるように
しむける、そんなシナリオに
自分で変えていってしまうの
です。まさかと思うかもしれ
ませんが、現実には、こうした
タイプの人はけっこう多いので
す。
仕事でも勉強でも、成功体験の
乏しい人は、「やっぱりダメだわ」
といって途中であきらめてしまう
ので、成功からますます遠の
いていきます。成功しないか
らまた自信を失う。結局、悪
環境におちいってしまうわけ
です。
逆に言うと、そうした悪環境
を途中で断ち切る“武器”が
ないということになります。
子どもの頃どんな育てられ方
をしたかが、この悪環境を
断ち切る強力武器=
「自分も捨てたもんじゃない」
という自信の核になると私は
思っています。
たとえば、雛祭りや端午の節
句のときに決まった“行事”
を家族でいとなんだ、などと
いう一見ささいなことが、
意外のそうした自信の土台に
なっています。
「その日はかならず、雛壇の
前で甘酒と雛あられを食べた」
でも、「家族でファミレスに
行った」でもいいのです。
こうした経験のある人は、心
の底に「自分は愛されている、
愛されるに足る存在である」と
いう自信がしっかり育っている
ので、何かを始めたとき途中
で苦しい状況におちいっても、
投げたりすることはないので
す。
『オードリー・ヘップバーンの
生き方』
彼女の人生を貫いたもののひとつ
に「家庭」へのこだわりがある。
アンネ・フランクリンと同じ国、
同じ年に生まれ、幼いときの両
親の離婚が彼女に植えつけた
「家庭への憧れ」、これがあまり
に強すぎたために、もしかした
ら二度の離婚を経験したのかも
しれなかった。「守りたい」と
いう思いが強すぎて、それを
強く抱きしめすぎて、腕のなか
で壊してしまったのかもしれな
かった。
そんなオードリーが、最高のパー
トナーに出逢えたとき、選んだス
タイルが「結婚をしない」という
選択だったことを思うと、考え
深い。
歳を重ね経験を積んでおそらく
オードリーは、内面がゆたかに
養われ、物事の本質を知る力を
身につけたのだと思う。
服装などにも象徴される「表面
的なこと」を重視しないとうこ
とだ。財産のことなど、愛以外
のややこしい事柄を避けること
ももちろんあっただろうけ
けれど、「結婚」という社会
的な約束事を「表面的なこと」
に分類したのだろう。
オードリーが男性に求めた愛
は、性愛ではなく抱擁だった
気がする。そんなオードリー
を物足りなく思った恋人、夫
はいたかもしれない。
わからない。すべては組み合
わせの問題なのだ。
けれど、思うに女にはただ、
抱きしめて欲しい夜があるよ
うだ。
オードリーはことさらそんな
夜を多くもった気がする。
晩年、オードリーは息子の
ショーンに言った。
流されて一日を送るより、
自分らしいリズムで過ごしたい。
今日やることを箇条書きでリスト
アップしたら、優先順位や効率
だけを考えるのではなく、
自分にとって心地よいリズムで
こなしたいと思います。
まわりの影響は受けるものの、
何かをするときの動機は自分発
でありたい、
自分のかかわることは自分で
コントロールしたい、そう願
っているのです。
僕にとって心地よいリズムは
三拍子。
すべては一・二・三、一・二
・三の繰り返しで動いていき
ます。
一・二・三ときたらそのまま
四・五・六と続くのではなく、
次の一・二・三に取り掛ると
いった具合。
恋も三拍子、恋愛で大ゲンカ
した後、初恋時代の気もちに
戻った経験ありませんか?
自分プロジェクトも仕事も
恋愛も三拍子で進めて
いきます。
四・五・六と続くから
飽きるのです。
結婚するヒトとは三拍子の
リズムが取れる人と。
リズムは人によって違います。
あなたのリズムは1・2、1・2
かもしれないし、
起承転結のごとく
1・2・3・4が心地よい
リズムという人もいるでしょう。
ときの状況によってもリズムは
変ります。
いずれにしろ、物事には順序が
ある。瞬間的に結果を出そうと
せず、リズミカルに段階を踏んで
ゴールを目指しましょう。
〇時には相手のリズムも意識して、
共に演奏するように楽しみましょう。
わたしたちは常に同じものを
見つめ、呼吸(いき)を
合わせ、同じ方向へ進もう
とする。
たとえいっとき離れ離れに
なっても、わたしは彼の方
へ、彼はわたしの方へ、
吸い寄せられるようにすぐに
舞い戻ってくる。
わたしたちは出逢った瞬間
から、磁石と鉄になって
しまうのだ。
海底に鯨の親子が鳴きかわす
ように心を
結べればいい