一日一度は、空を見よう
いっしょのときも、
はなればなれのときも。
“あの人、この人の訃報を
受ける
肉体は消えうせても
心に残してくれた余韻は
決して消えさることがない“
「人間は死を約束された動物
である」と聖路加看護大学長
の日野原重明先生はおっしゃ
る。
人は一人で生まれ、やがて
たった一人で黄泉の旅に出る。
生の帰結は死である。
その前に一切は無力である。
学歴も、名誉も、地位も、
財産も、形のあるものはすべ
て壊れる。
でも、その人が残してくれた
無形の教訓は、肉体ととに
死滅するのではない。
人は死んでも、その人に影響
は消えない。自分は
何を残せるだろうか、思えば
溜息ばかり出る。
たった一つの言葉・一つの
話で、嬉しくなったり、勇気
づけられたり、心が温かくな
ったり、逆に、落ち込んだり、
涙を流したり、喧嘩をしたり、
仲たがいをしたり・・・。
松下幸之助、稲盛和夫さんを
はじめ、多くの人を成功人生
へと導いた国民的人生哲学者、
中村天風はこんなことを言って
います。
「『もう駄目だ』と言ってばか
りいると本当に死んでしまうし、
どんなに苦しくとも
『オレは大丈夫だ』と口に出し
ていれば病も回復してくれる
ものだ」
殺せばすぐに息絶えてしまう
のが言葉です。
しかし、一度生かせばどこま
でも威力を発揮してくれるの
もまた、言葉の力の不思議で
す。
落語家の落ちこぼれで元商社
マンの私がいうのも変ですが、
取引先の工場の二代目を目指
す方で精神的に不安定の方が
多かった。
ある経営者の息子が、二世の
重圧から拒食症になって入院
しました。お粥の臭いを嗅い
だだけでも、もどすほどの重
症です。
それを見舞った私の上司が、
オロオロするご両親に、お粥
をスプーンで口に持っていっ
たとき、
嘘でもいいから「あっ、少し
入ったね」と言ってあげなさ
い忠告し、ワラにもすがる思
いで、早速その場で実践され
た。
それを続けるうちに、少しず
つ食べられるようになり、見
る間に回復されました。
心のこもった言葉が、相手に
この上ない「生きる力」を
与えた話です。
一つの言葉・一つの話のプラス
面を見つけ、それを自分の力と
するためには、
愛語(優しい心
のこもった言葉や前向きな言葉)
を受け取る側にも感じる力が
ないと、「見れども見えず、
聞けども聞こえず」ではあり
ませんが、
つい見過ごしたり、聞き捨て
たりしてしまい、相手の心を
揺り動かすことはありません。
そのひと言を愛語として受け
取るか否かは、「その人が、
そのとき、何に関心を持って
いるか」に大きく左右される
のです。
時間をください
力をください
気持ちをください
終わりのない歌をください
私を包んで
抱きしめてくれるヒトをください
何にもまどわされないように
強く思いつめたまま生きて
いけるように
「人間は、財産や名誉、地位が
できるにしたがって、感謝や
労(いたわり)りの心を忘れて
自己中心になりがちですが、
満足できる状態、幸せな状況に
なったときほど、気持ちを引き
絞めなければなりません。
でないと、晩節を汚す恐れが
あります」
中国古典「陰隲録」(いんしつろ
く)は、、人間には恥心・畏心・
勇心の三つの心が必要だと説く。
恥心・自らの至らない所を省みて
絶えず恥じ、精進し続ける心。
同窓会で、
昔のボーイフレンドと再会
した。
帰る方向が一緒だったので、
タクシーでうちの前まで送って
もらった
でも着いたところで・・・・
今の彼と偶然、はちあわせ。
彼は「今のは誰?」と
私に尋ねることもなく、
ただ、「おかえり」と笑顔で
迎えてくれた。
私は彼の、そんなところが
大好きだ。
【赤心】―せきしんー
偽りのない心、
人を心から信用して、全く
疑わない心。
・・・・・
女を本気で愛したら
赤心の男でいたいものだ。
教育心理学者の伊藤隆二さんは
「子供は寂しくなったときも、
そしてうれしくなったときも、
真っ先に“母”を求める。
母を求めてひた走りに走る。
そして“母”という不思議な
世界に包まれて、心から安ら
ぐのである。
専門語で“子宮回帰”という
のであるが、子供は意識の下
で、かつて過ごしたもっとも
安定した“場”である母の
胎内に帰りたいという願いを
持って生きている」と語り、
さらに、「子供にとって原点
ともいえるその“母”が鬼に
なり、悪魔になって子供を
苦しはじめた“母”の役割
は、安らぎの“安”の漢字が
示すように、
“家の中でやさしくおお
らかに、そしていつでも微
笑んでいる女性“であること、
そのことにあるのに、その
“母”が子供を叱り、急かせ、
勉強を迫る調教師になってし
まった」とも語っています。