私たち人間は<幸・不幸>に関
して、とかく、つぎのような
考え方におちいりやすいもの
だ。
順境が幸福、逆境が不幸。
安楽がしあわせ、困窮が不
しあわせ。
たくさん「もつ」ことが幸福、
その反対が不幸。
この判断がまるまるの誤りである
とは、いえないかもしれない。
“ 一面の真実”ぐらいは、ついて
いると思われるからである。
しかし、それはごく一部の真実に
すぎず、また、きわめて表面的
なあ見方にもすぎないであろう。
逆境、困苦の中にあって、明るい
顔で、「私はしあわせ」という人
もいるのである。
そういう人は変なのか?
いやいや、そんなことはあるまい。
幸福の尺度を、もっと深いところ
に求めているだけの話であるに
ちがいない。
順境も逆境も、“人生の材料”に
すぎず、これがただちに人の幸
と不幸をきめるわけではない。
要はこれらへの“対処のしかた”
こそが肝心なので、それのいかん
によっては、「順境かならずしも
幸福ならず、逆境かならずしも
不幸ならず」ということになっ
てくるけけなのだ。
もっと強く、「逆行こそが幸福」
といっていえないこともあるま
い。少なくとも、「幸福を生み
だす源」というぐらいには・・
・・・。
なぜなら、逆境によってこそ、
人は磨かれ、鍛えられて、とく
にその精神面を成長させること
ができるからである。
逆境を“光”として、心を明る
く照らすことができた人は、自
分の力への自信もつくにちがい
ない。逆境の中にも幸福のタネ
だけを見つけて、これを育てる
ことができるのである。
まさに、このような人こそが、
「幸福な人」なのではないか?
順・逆、どのような境遇にお
かれようと、ここから「幸福
への道」だけを見つめてゆく
人である。