佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

中身の張った酒樽は“音”をたてない

2024-01-18 13:03:10 | 日記
人の欲は、ヒラヤマを黄金と化すと
も、なお一人の欲望を満たすことは
できないという。

パナマ文書の課税逃れが全世界の
主要な要人たちであることからも
判る。

商いを心懸る人で、金銀を望まない
人はいない。立場には限りがあるが、
欲には限りがない。

この頃の商人は気が短く、大まかに
年月を積みながら金を儲ける気持ち
がなく、小利には目をかさず大儲け

に目を配って大欲なために、かえっ
て大きな損をすることが多い。

利をもって利と思うな、義をもって
利とせよ。

NHK「真田丸」上杉景勝と信繁の
繋がりからも伺える。

真に富める人は、邪な心がなく、心
にオゴリを起こさず、柔和で人と争
わず、足るを知り天命を楽しむ人を
言うものだ。

自分の利益ばかり考え、自分が優れ
ていると思って賢ぶるのは、知恵の
足らない証拠である。

本当に賢い人は、そんな顔はしない
ものだ。たとえば、十分に詰まった
酒樽は振りまわしても音がしないの
と同じだ。

苦境に入ると義を欠いた行動に走る
人が増えるのは戦国時代も現代も
変わりがない。

簡単にリストラし数字が合うまで
人を減らしたり所得隠しをしたり、

大欲は小人のなせる業である。
志を大きく持って、目先の欲に
つられて軽率な行動をしてはなら
ない。


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―思い出の残骸―

2024-01-18 13:00:55 | 日記
優しい人と過ごした最初で最後の
一年間。

優しい人の奥さんは、三人目の子
どもを妊娠していた。町で偶然出
会った学習塾の卒業生の口から
聞かされて、わたしはそれを知っ
ていた。

「名前はもう、決めてあるって、
言うてはったよ」
尋ねてもいないのに、その子は
教えてくれた。
その話しを聞いたとき、わたしは
強いショックを受けていた。

けれどもそれは、頭を殴られた
ような、あるいは、目の前が真っ
暗になったような、そのようなシ
ョックではなかった。それは、目
に見えないほど細かい、トゲのよ
うな衝撃だった。

棘はチクッと、微かな痛みを伴っ
て、わたしの指先に刺さった。
刺さったと同時にその棘は血管に
入り込み、それから心臓に向かっ
て、一秒ごとに突き進んでいった。
その日以来、わたしの心臓には棘
が突き刺さったままなのだ。

優しい人は何も知らなかった。も
しもわたしが、わたしの妊娠を告
げていたとしたら、優しい人はお
そらく、優しいままではいられな
くなっていただろう。

いっそ、今ここで、何もかも話し
てしまおうか、とわたしは雨に濡れ
たフロントガラスを見つめながら
思っていた。でも、すぐに打ち消
した。そんなことを話して、いっ
たいどうなるというのか。、

お互いの悲しみとお互いの苦しみ
が増幅するだけではないか。
それに、わたしが欲しいのはあなた
の子ども、ではない。

「でも、どうしてなんだ?どうし
て?」今度は、優しい人が「どう
して」を繰り返す番だった。
橋を渡りながら言い争いをした
夜から、一週間が過ぎていた。
ひとりで病院に行って、すべてを
終わらせてから、わたしは優しい人
に別れを告げた。

長い時の流れのなかで、少しずつ
蝕まれ、隙間だらけになっていった
わたしの、どこを探しても、もう、
自分の気落ちを説明できるような
言葉は、残っていなかった。

気持ちもまた、長い時間の時の
流れのなかで、損なわれてきたの
だ。わたしの躰は、空洞だけを抱
えていた。その空洞のなかには、
どこにもゆき着くことのできない、
壊れた小舟の残骸がぽつんと残され
ていた。
知らず知らずのうちに、わたしの
頬を涙が伝わっていた。その涙は
温かく、微笑みにも似た涙だった。
この世の中には、すべてを手に入
れてもなお不幸な人間がいるように、

すべてを失ってもなお、幸福でいら
れる人間もいるのだと思った。わた
しは幸せだった。執着と欲望にがん
じがらめになった愛の死と引き換に、
わたしは今、空っぽの水槽のなかに
在っても、永遠に生き続けることの
できる愛を、手に入れたのかもしれ
なっかた。

死を知るためには死ななくてはなら
ないように、愛を知るためには、愛
さなくてはならにのだ。わたしは愛
する。それがわたしにとって、生き
るということ。

雨と涙の混じったような夜風の香り
に包まれて、わたしは優しい人に
呼びかけていた。

また、会えたね。
わたしの、優しい人。
また、会えたね。
こんな場所で。

わたしは、ここにいる。
あなたも、ここにいる。
わたしたち、やっと
一緒になれたね。


むかしむかし・・・・・
少女のころ、わたしはを夢中に
させたのは、そんな言葉で始まる
物語だった。物語の綴られた本を、
心ゆくまで読み耽る贅沢な時間だ
った。
大人になってから、わたしを夢中
にさせたのは、心逝くまで好きな
人を思い、その思いを生きる、とい
ことだった。

遠い昔に、わたしはそれを生きた。
そして今も生きている。地の果てで、
独りぼっちの不完全な死体として。

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幸福になる人

2024-01-18 12:58:45 | 日記
人間は誰でも幸福になれる。

そのためには人を押しのけたり、
足を引っ張ったりして、
自分だけ幸福になろうとしても

決して幸福になれない。

よくできたもので、
「最もよく人を幸福にする人が、
もっともよく幸福になる」

春の訪れを感じながら
そう思うんですよ。

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女に立ち向かう武器

2024-01-18 11:58:53 | 日記
女性に立ち向かう武器は思いやり
で、
最後の残酷な手は忘却だ。

だが、それが分かっていて出来ない
のも男。


ー追伸ー

忘却なくして
幸福はありえない。

(アンドレ・モーロア
         「幸福論」

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幸福の翼

2024-01-18 11:51:51 | 日記
幸福は、

ほんのすぐそばに息を殺して
持っている。
だれにもネ。



YouTube
思い出せなくなるその日まで - Ms. OOJA

https://www.youtube.com/watch?v=3bYI44z_IFQ

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“まずこちらから声をかけてみる”

2024-01-18 11:48:44 | 日記
Aさんは、自分は、会社でに
白眼視されていると訴える。
なぜなのだろうか?

私たちは、自分ほど可愛い物
はない。ですから、人が自分
に会ったとき、心地よい微笑
みや優しい言葉をかけてくれ

ないと、私たちの心に不満が
生じ、あの人は冷たい、あの
人は私を無視している・・・
と思いがちである。

結局、自分に甘えているのです。

自分に会ったら、人は笑顔や親
切な言葉をかけてくれるものだ
と、決めてかかっているのです。

しかし、こちらだけが微笑みや
親切な言葉を期待しているので
はなく、相手も微笑みや親切な
言葉を期待しているのです。

人が自分に悪感情を持っている
と感じるとき、たいていの場合
は自分に原因があります。

思い切って、こちらから「お元
気ですか」と先に声をかけるこ
とです。

誰もがそれを望んでいるのです。
こちらが心を開けば、相手もき
っと心を開いてくれるはずです。

有名な言葉に、「人にしてほしい
ことを、人にもしてあげなさい」
とあります。

自分中心に物事を考えずに、まず
相手思考をすることが楽しく過ご
すコツです。

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「不幸のシナリオ」

2024-01-18 11:46:14 | 日記
『知らないうちに「不幸の
シナリオ」を書いてしまう
パターン』
恋愛でも同じことがいえます。
「アイムノットOK」という
人は、恋をするたびに、最後は
やはりフラれるのではないかと

思ってしまいますから、相手が
別の女性とちょっと話をしてい
るだけでも、「あなた、私と別れ
ようと思ってるでしょう?」な
どと、つい口にしてしまいます。

そして、その次の日も、「やっぱ
り私のこと、もう飽きたんじゃ
ない?」などと言うものですから、

「君みたいなしつこい人とはもう
つき合いたくない」と、本当に
フラれることになる。

どれほど自分が愛していても、
また相手が献身的であって
も、最後は自分をフるように
しむける、そんなシナリオに

自分で変えていってしまうの
です。まさかと思うかもしれ
ませんが、現実には、こうした
タイプの人はけっこう多いので
す。

仕事でも勉強でも、成功体験の
乏しい人は、「やっぱりダメだわ」
といって途中であきらめてしまう
ので、成功からますます遠の
いていきます。成功しないか
らまた自信を失う。結局、悪
環境におちいってしまうわけ
です。

逆に言うと、そうした悪環境
を途中で断ち切る“武器”が
ないということになります。

子どもの頃どんな育てられ方
をしたかが、この悪環境を
断ち切る強力武器=

「自分も捨てたもんじゃない」
という自信の核になると私は
思っています。

たとえば、雛祭りや端午の節
句のときに決まった“行事”
を家族でいとなんだ、などと

いう一見ささいなことが、
意外のそうした自信の土台に
なっています。

「その日はかならず、雛壇の
前で甘酒と雛あられを食べた」
でも、「家族でファミレスに
行った」でもいいのです。

こうした経験のある人は、心
の底に「自分は愛されている、
愛されるに足る存在である」と

いう自信がしっかり育っている
ので、何かを始めたとき途中
で苦しい状況におちいっても、
投げたりすることはないので
す。

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―月曜日を待ち焦がれてー

2024-01-18 11:43:49 | 日記
一週間のうち三日間、わたしたち
はその部屋で生活を共にした。
当時わたしが忌み嫌っていた言葉
でたとえるなら、まるで「夫婦」
のように。

わたしは引っ越してしばらくして
から学習塾の事務員を辞め、自宅
でできる添削の仕事を始めた。
週に二回だけ一、二時間程度、添
削し終えた答案用紙を持参し、仕
事の評定を受け、次の仕事をもら
うため会社に出向いていけば良か
った。

月曜日と火曜日。優しい人はわたし
の部屋から出かけていき、わたしの
部屋に帰ってきた。50ccのバイ
クで、駅からまっすぐに。灰色の川
を渡って。

水曜日の朝、優しい人はわたしの
の部屋を出ていくと、その夜は
戻ってこなかった。
優しい人はわたしの知らない場所
で一晩泊まって、木曜日の朝に
再びわたしの部屋に戻ってきた。

木曜と金曜日。優しい人はわたし
の部屋から仕事に出かけていき、
わたしの部屋に帰ってきた。け
れども金曜の夜、わたしの部屋で
二時間足らずの時間を過ごしたあ
と、知らない場所に去っていった。

そして優しい人は二日間、わたし
の部屋に戻ってこなかった。
わたしはいつも、いつも月曜日を
待ち焦がれていた。

火曜の朝から夕方までは、格別に
楽しった。優しい人は夕方から
始まる塾の授業に合わせて、わた
しの部屋を出ていけば良かった。
わたしたちは番(つがい)の小鳥
たちのように、躰を寄せ合って
過ごした。

優しい人がわたしのそばにいると
きには、何もかもがうまくいく、
という希望を抱くことができた。

すぐに消えてしまう、儚い希望
だったけれど、それゆえに、それ
は美しい希望だった。

わたしはこれからも、優しい人
のこれからも、何もかもがきっと、
うまくいく。わたしはいつか、
晴れて、一緒になれる。必ずそう
いう日がくる。そう思うことが
できた、月曜日。


子どもがふたりとも大きくなっ
たら。
成長して、すべての事情をきち
んと理解できる年齢になったら・
ちゃんと説明して理解してもらう
つもりでいるから。
そのとき、下の子はまだ一歳半か
ら二歳か、そこらだった。だとす
ればわたしが待つのは、十数年間
ということになる。
「大丈夫よ。ずっと待ってるから」
と、わたしは言った。「必ず待てる。
約束する」。

待てると信じていた日々は、確かに
あった。そう信じる以外に、わたし
のできることはなかった日々でも
あった。

わたしたちはきっと、いつか、
一緒になれる。
こんなに好きで、
こんなに気が合って、
こんなに求め合っているのだし、
こんなに・・・・

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