大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、
輝かしい徳を身につけてそれを(世界にむけてさらに)輝かせることであり、
(そうした実践を通して)民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、
こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。
ふみ止まるべきところがはっきり分かってこそしっかり落ちつくということになり、
しっかり落ちついてこそ(物事に動揺しないで)平静であることができ、
平静であってこそ安らかになることができ、
安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、
正しく考えてこそ(最高善に止まるという)目標も達成できるのだ。
ものごとには紺本と末端があり、また初めと終わりとがある。
(そのことをわきまえて)何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、
それでほぼ正しい道を得たことになるのである。
-『大学』第1章
先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
-『論語』巻第一
輝かしい徳を身につけてそれを(世界にむけてさらに)輝かせることであり、
(そうした実践を通して)民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、
こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。
ふみ止まるべきところがはっきり分かってこそしっかり落ちつくということになり、
しっかり落ちついてこそ(物事に動揺しないで)平静であることができ、
平静であってこそ安らかになることができ、
安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、
正しく考えてこそ(最高善に止まるという)目標も達成できるのだ。
ものごとには紺本と末端があり、また初めと終わりとがある。
(そのことをわきまえて)何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、
それでほぼ正しい道を得たことになるのである。
-『大学』第1章
先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」
-『論語』巻第一