Carpe Diem

シンシナティ大学で都市計画を勉強していた、ある大学院生の物語。現在はマンハッタンで就活。

20歳のときに知っておきたかったこと

2012-04-21 20:35:09 | book, movie
「What I Wish I Knew When I Was 20」が良い本だったので、
感じたことを簡単に書いていきたい。

この本には起業家としての色々なアイデアが載せられている。
例えば最初の方に学生がどうやって2時間で元手が5ドルから600ドルを稼いだかなど。
もちろん僕みたいに企業家になるつもりのない人にも十分楽しめる本である。

この本を一言でまとめると、著者がいうように"Give Yourself Permission.”についてである。
それはどういうことかというと、

"By that I mean, give yourself permission to challenge assumptions,
to look at the world with fresh eyes, to experiment, to fail,
to plot you your own course, and to test the limits of your abilities."

つまり、もっと自分の周りの世界を新鮮な目で捉えてみるということである。
普通なら2時間で5ドルから600ドルまで稼ぐということは不可能だと考えるが、
それを視点を変えてみるとできるように。
でも著者も強調するようにただ新しい視点からものごとを捉えるだけでは成功というのは難しく、
成功の鍵を握る運というのは"The harder you work, the luckier you get."とも言っている。
つまり成功する為には努力は欠かせないとも。

そして最後に特に印象に残ったのは著者の父親の言葉を借りて、
”Of course, you will leave a legacy of all you have accomplished,
but that too fades with time.”
いくら成功しても、それは時とともに消えていくのだとも。

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この本を読んでもっと自分の周りの世界を自由に捉えようと感じるようになった。
特に僕の場合は以前から人生をすごくきっちりと捉えすぎていて、
ゴールがまずあってその為にその為にはこういう大学院に入らなければならない、
その次にこういう会社に入らなければならない、
というふうに自分が通るみちをきっちり決める過ぎる傾向があった。
そして一番大切な”いま”をただゴールに向かう為だけのみちとしてしか捉えられなかった。
そうではなくもっと"いま"とか"不確かな未来"とかを楽しんでもいいのだと感じるようになった。

また本を読みながら、(そしてその間に風邪にかかりながら、)
自分にとって何が重要かということを考えるようになった。
風邪にかかった理由というのも自分が思うに寝不足、一日二食のみでほぼ毎日過ごし、
それでできた時間でインターンや、課題のレポートを毎週書くのに費やしていたからだと思う。
また色々な仕事をしなければならないといって友達と過ごす時間を削ったりなども。
ただまったく分からない将来の為にいまを犠牲にするのではなく、
もっと”いま”を充実して生きれるように、しっかり優先順位をつけて自分の
納得するような生き方をしてもいいのではないかと思う。

この本には成功談が多く載せられているが、
何のために成功するべきかということは書かれていない。
それはもちろん一人一人が自分の中で定義していかなければならないのではないだろうか。
著者の父親もいうようにどんなに大きな成功も時が経つにつれて忘れられていく訳だから、
自分で成功を自分の人生のなかで位置づけしなければならないのではないかと思う。
その成功によって周りの人が恩恵を受けるなら素敵だし、自分の人生を豊かにするのでもいい。
ただ成功をすることに目がくらんで、それで周りの人たちを傷つけることがなければ。





大切な言葉たち

2012-04-19 03:17:41 | daily life
大学で学問の総しあげとして学ぶべきことは、
輝かしい徳を身につけてそれを(世界にむけてさらに)輝かせることであり、
(そうした実践を通して)民衆が親しみ睦みあうようにすることであり、
こうしていつも最高善の境地にふみ止まることである。

ふみ止まるべきところがはっきり分かってこそしっかり落ちつくということになり、
しっかり落ちついてこそ(物事に動揺しないで)平静であることができ、
平静であってこそ安らかになることができ、
安らかであってこそものごとを正しく考えることができ、
正しく考えてこそ(最高善に止まるという)目標も達成できるのだ。

ものごとには紺本と末端があり、また初めと終わりとがある。
(そのことをわきまえて)何を先にして何を後にすべきかということがわかるなら、
それでほぼ正しい道を得たことになるのである。

                                    -『大学』第1章

先生がいわれた、「わたしは十五歳で学問に志し、三十になって独立した立場を持ち、四十になってあれこれと迷わず、五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばがすなおに聞かれ、七十になると思うままにふるまってそれで道をはずれないようになった。」

                                    -『論語』巻第一


from Bauhaus University...

2012-04-18 20:42:52 | daily life
バウハウス大学から一人の講師がシンシナティ大学で講演をしてくれた。
バウハウスというと建築ではグロピウスやマルセルブロイアー、
そしてアートではカデンスキーがいたところだ。
また講師の説明からも都市計画が建築とアートと密接に関わりながら、
体系的に学べる環境が伝わってくる。

いつも大学の宿題はほとんどリーディングとライティングの繰り返しだが、
久しぶりに都市計画がアートや建築と密接につながっているということを再発見できた。
まるで何かすごいものを見つけた時のような気分になった。
彼はドイツの少子高齢化による人口減少の問題に対して、
都市計画ではどのようなアプローチができるか分析し、
実際にバウハウスの生徒のデザインを一つ一つ丁寧に説明してくれた。

アメリカに来てから都市計画家というのは何だろうと何度も考えさせられる。
というのは、学部の時は単純に都市をデザインしていくのだと漠然と考えていたけど、
ここでは都市計画というのが色々な領域にまたがっていて複雑に絡み合っている。
ただ建築より広く影響を与えられるのではないか、
そう考えて単純に勉強し始めた学問がまったく手に負えなくなっている。
都市計画は広すぎて逆にインパクトが少ないのではないかと思ったりも。
また都市計画と政治や経済のつながりを強く感じるようになり、
余計にこの分野で何ができるのか分からない。
そんな時だからだったかもしれない、
都市計画をデザインという視点から捉え直して見るのはとても新鮮だった。

今まではあまりに学問分野が広すぎて何もできないのではないかというネガティブな感覚から、
融通が利くからもっと自分の好きなことを選べる機会があるんだというポジティブな感覚に。
そうなると自分は何ができるか、そして何が好きか、そういうのを知っていなければならない。
でも僕は都市計画の学者になる人間でもないし、アーバンデザインも違う。
そうなると少しずつ絞れてくる。
その自分を探求していく過程を純粋に楽しみたい。
その時にどれだけいい影響を与えられるだろうか。





---!-

2012-04-17 17:42:40 | daily life
学校と宿題が終わり、今日は久しぶりの5時帰り。
いつも授業があったり、課題があったりと最後に5時に開放されたのは何か月前だろう。
そんなことを考えていた。そんなことはどうでもいいのかもしれない。

それより早く帰れるっていう嬉しさより、この残りの一日の時間をどう使おう。
そういうことに悩んでいる自分がいることに気づいた。
やらなければいけないことがある時はそれだけやっていたらいい。
ある意味一番楽なのかもしれない、少なくとも僕にとっては。
逆に時間が余った時に何をするかが重要だと。

やるべきことばっかりで、やりたいことが見つからない毎日は退屈でしかない。
はやくやるべきことを片付けて、やりたいことに時間をかけている人は、
きっと毎日がもっと輝いているのだろう。
やるべきことだけしかやらなかったら、いつの間にか「自分」がいなくなってしまいそう。
もっとアンテナを張って、感度を敏感にしよう。
きっと自分がやりたいことが見つかるから。
そう、高校の先生に言われたことをふと思い出した。

物質的に身体が行ける距離というのはきっと限られている。
それよりは想像力を開放しよう、きっと面白いアイデアが思い浮かぶから。
そしてそれを実行に移してみよう。
そんなことできる訳ない、そう思ってたらまた昨日と同じ今日が待っている。
時間は限られている、「今」やらなかったらいつやるんだろう。
色んな壁が立ちはだかるかもしれないけど、一つずつ思いっきりけり飛ばしていこう。
やりたいことをやるのはきっと今しかないのだから。
将来はまた将来やりたいことをやればいい。

そんなことを書きながら、少しずつ気分が高まってきたらやりたいことが見つかった。
見つかったというより、ずっと自分のなかにあったのかも知れない。
きっと今日という一日はもっと素敵な一日になるはずだ。






Life after Act for Japan

2012-04-11 19:55:09 | study abroad
Act for Japanで東日本大震災のために募金活動をしてから、もうすぐ2週間が経とうとしている。
今までは募金活動で遅れた課題をまきかえすのに必死でなかなか記事が書けなかったのだけど、
今回は少しの回想と近況説明もかねてのアップデートをしたい。

最初に今回のボランティアを頑張っていた友達のFacebookに
嬉しいニュースが書いてあったのでちょっと紹介したい。


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  Act for Japanの日本人の皆さん:

  この話は、特に日本人の間で共有しておいた方がいいと思ったので、
  日本語で投稿します。
  募金活動が終わった後、たまりにたまった
  宿題をやるために図書館に行きました。
  4時頃、中東系の一人の学生がオレの方に向かって歩いて来ました。
  オレはその人のことは知らなかったんだけど、
  その人はオレのことを知ってる様子。
  そして、オレに向かって「募金活動をしてた日本人だよね?」
  と言ってきました。
  オレは、「そうです」と。そしたら彼は「募金がしたい」と言って、
  ポケットから財布を取り出し紙幣を机の上に置きました。
  小さくたたんであったので、何ドルだかわからず、
  確認したら、20ドル紙幣でした。
  オレは驚いて少し取り乱し、「これは多すぎます」と。
  そしたらその学生は「静かに。いいから受け取ってくれ」と。

  おれはそれを受け取ることにしました。
  向こうはすぐにその場を立ち去ろうとしたので、十分にお礼も言えず、
  ただ一言どこの出身ですか、とだけ質問しました。
  そしたら、「ヨルダンです」と。

  そして彼はその場を立ち去ってしまいました。
  この話を日本人の間で共有しておきたいと思ったのは、
  もし、みんなの学部内やクラスメイトの中で、ヨルダンの留学生がいたら、
  その人が彼である可能性も無くはないと思ったので、
  もしそうだったら、この出来事を共有し、
  同じ日本人として一言お礼を言ってもらえたらと思ったので、投稿しました。
  ヨルダン人はこの大学に何人ぐらいいるのでしょうか。

  彼の外見の特徴は、身長180センチくらい、細身、坊主頭で、
  前のほうがほとんど髪が薄い。無精ひげ。肌の色は中東系にしては比較的白い。

  なんか犯人の容疑者みたいな情報ですが、これがその人の特徴です。
  今思えば、名前と、学部くらいまで聞いておけばよかったと後悔してます。

  ということで、合計の寄付金額は、プラス20ドルの1059.03ドルです。

  ただでさえ、1000ドル以上もお金が集まり、活動やって良かったと思っていたのに、
  終わった後に、こんな出来事にそうぐうして、何とも言えない気持ちになりました。
  ということで、日本人のみんなさん、
  ヨルダン人に今後会うことがあれば、彼のことを思い出してください。
  みんな勉強に追われていると思いますが、よい週末を。

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本当に今回の募金活動は多くの人の善意でいろいろと助けてもらった。
例えばアメリカの女の子で自分で材料を買ってお菓子を作ってくれた友達がいた。
こっちがそのお菓子に掛かったお金はみんなで払うからと言っても、、
「日本のためになったのならそれでいいよ」と言って1ドルもお金を受け取らなった。
また今回の募金は実際には日本に一度も行ったことのないアメリカの友達の発案だった。


もう一区切りついたように見えたAct for Japanだけど、
友達によると日本大使館の方が今回の募金活動に興味を示してくれたようだ。
またこれから進展があるのかもしれないとちょっと期待してしまう。

募金活動が終わり、学校の授業にも追いついたところで、
改めてシンシナティに春が来たのに気づいた。