内閣法制局長官の人事が報じられています。今までは法務省関係の出身者が長官就任をするのですが、今回は、外務省幹部の人事を当てるとのこと。安倍、自民党政権の暴走が始まっています。彼らは、選挙で議席多数を獲得したのだから何を行おうが問題はないとの立場です。
国民が、今回の選挙で自民党に投票したといっても、50%前後の低投票率で、得票率で30%強の得票しか得ていません。全有権者対比で見れば15%前後の自民党支持しかいないことになります。その15%前後で自民党は半数の議席を掠め取ったわけです。これこそが民意、国民の意思とのねじれ=乖離です。その議席数に胡坐をかき、白紙委任状をもらったかのごとくの傲慢な態度が、結果として「ナチスに学べ!」です。集団的自衛権の容認は、歴代自民党政府においても内閣法制局長官の見解という形で、「憲法違反」との見解が定着しています。その自らの党、政権の見解を否定することができないので、議員立法で提案する方式、もう1つは、内閣法制局長官に見解を変えさせる方式を検討してきています。今回の人事異動は、2つ目の長官答弁で憲法解釈を変更する意図があります。
自らは責任を明示しないで、法制局長官が見解を変更したのだと責任を擦り付けて、憲法解釈を変更する。安倍、麻生、自民党政権の姑息なやり方が見え見えの手法です。これこそ麻生氏がいう「ナチス・ドイツに学べ」との手法です。国民は気がつかないうちに憲法が死文化し、安倍、自民党政権が都合がよい、自衛隊の国軍化、集団的自衛権行使の容認、海外における自衛隊の武力行使が可能となる。自衛のためといいながら、海兵隊を創設もする。海兵隊は海外で軍事的殴りこみをするための部隊です。憲法9条は交戦権の放棄、戦争をしない。他国への軍事行動を否定していますから、あきらかな憲法違反を政府として決定するということになります。このようなことを容認する、許してはならないのだと思います。日本がナチス・ドイツとは違うことを知らしめる必要があります。
ナチス・ドイツの戦争犯罪を、期限を区切らず、法的に追求する国ドイツとの違いはあきらかです。ポツダム宣言でいうナチスドイツの戦争犯罪、日本軍の戦争犯罪に時効はないのだと思います。岸信介の孫である安倍が、祖父の戦犯否定、名誉回復に狂奔する様は狂気であり、本末転倒であり、政治家としても失格です。このような人物を党首として容認している自民党こそが亡国の政党と言えます。
<北海道新聞社説>
「撤回したい」で済まされるものではない。
麻生太郎副総理兼財務相が憲法改正をめぐり戦前のドイツ・ナチス政権を引き合いに「手口を学んだらどうか」と発言した。独裁政治の肯定と受け止められても仕方ない。歴史を反省し、民主主義の発展を目指す各国の努力を軽視するものだ。あまりに軽率であり、見識を疑う。謝罪すべきだ。内外から批判が噴出している。安倍晋三政権ナンバー2の発言だ。本人だけでなく、政権の姿勢が問われる。首相の説明が求められる。
麻生氏は落ち着いた環境での改憲を主張する中で「ワイマール憲法はいつの間にか変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と述べた。だが、ナチスが実権を握る過程では国会議事堂放火事件や、それに伴う緊急令の発動などがあった。謀略に満ちた体制転換だったとの歴史観が国際的に定着している。議会を骨抜きにし、一党支配を地方にまで徹底させ、軍事力増強による対外侵略とユダヤ人虐殺に走ったナチスの政治手法に「学ぶ」という発想が理解できない。首相経験者としても批判を免れない。
米国のユダヤ系人権団体が発言を批判し、麻生氏に真意の説明を求める声明を発表したのも当然だろう。ナチスを肯定しただけで厳しい批判を浴びる。そんな国際社会の「常識」について認識が足りなかった。
靖国神社についても「静かに参拝すべきだ」と発言し、中国、韓国から批判を受けた。今年4月に参拝して両国の反発を招いたばかりだ。麻生氏の言動は国益を損ねている。
過去にも問題発言が数多い。今年1月には、高齢者の終末期の高額医療に関して「さっさと死ねるようにしてもらうとか、いろいろなことを考えないと」と発言し、撤回した。閣僚としての資質に問題があると言わざるを得ない。安倍首相の任命責任も問われる。野党は一斉に反発し、連立を組む公明党も苦言を呈した。きょう召集の臨時国会では、麻生氏に真意をただし、首相に説明を求めるべきだ。
安倍政権は改憲に向けた意欲を強めている。政権中枢にいる麻生氏の発言には、国民の目の届かないところで議論を進める意図が隠されていないか。首相も日本の過去の侵略と植民地支配を認めた「村山談話」見直しに言及した経緯がある。二人の政権トップの歴史認識が問われている深刻な事態と言える。
麻生氏の発言は安倍政権の体質を図らずも浮き彫りにした。首相はことの重大さを認識し、疑念の払拭(ふっしょく)に努めなければならない。