上海租界 ワイタン-213
上海租界-213 上海のバンド(海岸通り)は中国語で外灘(ワイタン)と称する。改革解放政策後は黄浦江沿いの中山東路一帯が外灘(ワイタン)地区で当時の租界を支配した英・仏等の商人が貿易拠点として構えた建物が並んでいます。対岸のテレビ塔がある近代的な都市様相をていする浦東地区とは相対したネオ・ルネッサンス様式、ネオ・バロック様式、アール・デコ様式の建築物は現在政府により保存建築に指定され夜間はライトアップして観光資源とし租界時代の面影を残しています。
英国租界はバンド地区や南京路を中心にし、フランス租界は淮海路を中心に西洋街が建設されました。日本租界は北部の虹口地区でしたが現在は魯迅公園等がありますが歴史的な建物は残っていません。外灘(ワイタン)は現在観光地であり、又、自殺の名所でもあります。上海語は南の言葉に比較すると少し巻き舌気味の早く口です。上海は直轄地であり過って上海人は特別な立場であったそうです。現在の中国では都市市民・農村市民と戸籍で別け、農村市民は都市市民になりにくく三峡ダムの立ち退きには上海市民権を与え移転させたり、20年程度前には上海に住宅を買えば市民権を与えるとゆうような施策が取られたとも言われています。日本では戸籍の移動は自由ですから農民工等の差別は理解できない点があると思います。現在の上海は国際都市でもあり日本に興味を持つ人達も多く、日本語を学んでいる人も多くいます。日本語を学ぶ人達は一般的には日本に興味・好意を持っている人達であると私は思います。 写真人物は通訳さんです。
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