来週の火曜日、18日から約1カ月間、精華町で手話ボランティア講座が開かれます。
下の写真には、締切日を過ぎていますが、定員まで少し余裕がありますので、受付中です。
日時は、2月18日から3月18日
毎週火曜日の夜7時半~9時
場所は、精華町役場2階の201会議室
関心ある方、どしどしご参加ください。
この写真は、インテックス大阪で開かれた「バリアフリー展」の自動車メーカーのブース。福祉自動車の説明のため、社員(?)さんが、手話で解説しているところ。
レースクイーンならず、手話クイーン?
手話の技術的なことはさておき、せっかく手話解説するなら、服の色は濃い目の無地にして、手のコントラストがはっきりするようにしてほしかったものだ。
会場自体が、ケバケバでないので、余計周りの景色に溶け込んでしまい、手話表現が目立たなくなっている。
先日、「トガニ」という韓国映画を見てきた
上は主人公のろう学校教師役、下は共にたたかう人権センターの幹事役の俳優。
この映画は、10年近く前に韓国国内で実際に起こった事件を題材にしている。ソウルなどの都会以外では、今でも地域ボスやそれに順応する「ことなかれ主義」があるのかと感じさせられた。日本でも残っているのだから当然といえば当然。「原発ムラ」も同じような構図で作られてきたのだろう。
この映画は、メジャーな映画館では上映していない。京都シネマなどで見ることができる。大阪・神戸でも見られます。ただ、少し急いでもらわないと、終了するかもしれません。
若干、衝激的なシーンが登場する。恋人同士で見るようなものではない。もしかしたら、直後の感想を求められても問題ない相手と行くべきか、1人で見るべきでは・・・
先日、地元の手話教室・基礎コースで「ボランティア」についてお話しする機会があった。
私自身の体験だが、30年近く前に、京都市内で結婚し、妊娠した聴覚障害の夫婦が、親にだまされて「堕胎」させられた事例をお話しした。
少し言葉足らずだったかもしれないので、補足しておきたい。受講者の方、ご覧でしたら、他の受講者にも伝えてください。
私の話し方では、「悪いのは、妻の両親」と受け止められかねないと思う。
現象的には、そのようになるのかもしれないが、問題は、障害者同士の結婚・出産を社会全体で支え、応援することを期待できない社会状況だったことである。
もし、ご両親が、地域の方や行政機関などを信頼できる状況にあったなら、娘をだまして中絶させるようなことにならなかったと思われる。
ご両親にしても、苦渋の決断だっただろうと推測する。
なぜなら、ご両親の立場で「自分の孫を殺す」ことを意味するからだ。
誰も、そんな決断を望んでしたいとは思わないだろう。
先週、京都で開催された「全国ろうあ者大会」
写真上は、会場のみやこメッセ、下は9日の高齢者ツアーで、「平等院」に寄った際に、説明する「観光ボランティア」の方々だ。
さて、9日に続き10日も要員参加した。
当初の予定では、交代で休憩がとれるはずだったが・・・
実に、5000人もの参加者が来ると、そうは言っていられない事態に。
開会1時間前に開場したものの、続々と入ってくる。高齢者もいるので、転倒や迷子にも要注意。
始まったと思ったら、お弁当配布時間が繰り上がったため、またまたロビーにたくさんの人だかり。
時間帯によって、人の流れに合わせて、エスカレーターの方向を変えていたが、それがまた混乱を呼んだ。さっき上ってきたのに、今は下りということがあり、参加者が戸惑っていたのだ。
おかげで、10日は4時頃まで昼食取れずの立ちっぱなし。
まだ若いと思っていたが、帰宅後、それなりにダメージがあった。
今、全国ろうあ者大会が、約半世紀ぶりに京都で開催されている。
私たち関係者は、地元開催県としてそれぞれが要員などで参加している。
9日は、「高齢者のつどい」の第2部バスツアーの手話通訳要員としてバスに乗務。宇治の平等院や府南部の施設見学だった。
なにしろ、会場が広く、出発時間から遅れ、しかも滞在時間の設定が短いので、足の悪い方・車いすの方がいて余裕のない移動であった。
それでも、事故もなく帰着できたのは、幸いだ。
実は、要員参加している私たちも「参加費を払って」の要員参加であり、会場までの交通費も自己負担というもの。
それでもこれだけのスタッフが集められるのは不思議な力だ。
私とペアを組んでくれた手話通訳者(女性)も、旧知の仲だが久しぶりに顔を合わす。仕事の関係でなかなかサークルにも行けていないとのこと。それでも、声がかかり、彼女も前述の条件で協力しているのだ。
全国から・・ということもあり(?)、バス乗務が終わり他のスタッフと情報交換していた時、前の職場の同僚で関東に転居した方に偶然出会う。元気そうで何よりだ。
それにしても、ペアを組んだ方も偶然出会った方も、もう何年もお会いしていなかったが、さほど違和感(というか「歳とったね」感)がなく、以前の印象と変わらなかった。不思議なものである。
悪条件だったが、バス会社の運転手さん・ガイドさん、委託旅行代理店のスタッフは、かなり積極的に、しかもテキパキと対応してくれていた。出発時には、即効覚えの手話で自己紹介も・・・ただ、全国から集まっていたので、「(私の地域では)手話表現が違う」という号車もあった。
明日10日も、終日要員参加である。
無事に成功することを祈る。
今日の午後は、国会図書館関西館での手話通訳だった。
以前も1回経験したが、全国各地の図書館職員の研修会。内容は、障害者向けサービスのあり方やノウハウである。
手話通訳にも守秘義務があるので、具体的なことは書けないが、参加者の皆さんは本当に「まじめ」。それゆえに、深く考えすぎるところがあるのではと、手話通訳しながら、若干イライラでした。
全日程参加していないので、全容は不明という前提だが、障害のある方も基本は同じ人間だということ。
私たちと同じように知的欲求があるということ。
そして、分からないことは自分たちだけで考えないで、当事者または関係者に遠慮せずに聞くことです。
「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉があるように、謙虚に接すれば道は開ける。
それよりも、もっと大きな壁は、行政の予算獲得だろう。
政治家は、一般的に直接稼がない図書館のようなものに理解が浅い。財政が厳しい折、予算獲得は大変だろうと思う。
どの分野でもそうかもしれないが、「専門性」と「総合性」の両面が求められる世界でもある。
とにかく、2日間の研修を受けた図書館職員たちが、全国各地で実践を積み重ね、その結果ユニークかつ人間発達に貢献する図書館が生まれることを期待します。
聴覚障害や手話に関することは、遠慮なくお尋ねください。
19日には、手話教室でお話しする機会があった。
私たちの時代とは違い、手話通訳者をめざす人たちは、数百時間の「研修」が決められている。「入門」から始まり5つのレベル別コースがある。
その2つ目の「基礎」講座。
すでに、入門で日常会話はできる程度の受講者に「講義」である。手話教室なので、内容の大半は実技であるが、ノウハウだけでは困るのでいくつかの「講義」もある。
当日は、台風接近で参加者も少ないかと思いきや・・・ほとんどの方が参加。びっくりでした。
話の内容は「ボランティアとは」というもの。
「そんなこと分かっている。常識だ」と思う方・・・少し考えてみましょう。その定義は本当に正しいですか?
いろんな例も出してお話ししたが、理解度は分からない・・・試験をするわけでもないので、それぞれの人生の中で、そしゃくしていただきたい。
時間があったら、またアップします。
写真は、9日に開催された「手話劇コンクール」の一幕
相楽地域のろうあ協会と手話サークル員によるもの
今回は(今回も?)十分な練習時間を取れずに「本番勝負」だったが・・・結果はもちろん優勝を逃した
各地域の劇の内容は様々だ
相楽のように昔話的な内容もあれば、身近な問題を題材に聴覚障害者の生活の困難さや社会の対応のあり方などを問うたり、仲間の大切さなどを体現したものもある
観客として泣き笑いの場面もあるが、やっぱり現実を突き付けられ考えさせられることが多い
午後からは、「山城ろうあ者新年大会」が開かれた
2012年は、相楽地域が担当である
会場はまだ決まっていないが、興味のある方はぜひご参加ください 秋頃には確定しています
お知らせ連絡を希望される方は、佐々木までメールください
写真は、西宮市にある関西学院大学である。
先日開催された第27回近畿手話通訳問題研究討論集会の会場となったところ
集会の名称は堅苦しいが、要は手話や聴覚障害者に関連する諸問題の検討や解決方法を探るために知恵を出し合う集会だ。全体会は短く、大半が分科会の時間に充てられている。テーマの変遷はあるが「手話通訳制度」「通訳者の健康(高度な精神集中を伴う作業であり、頸腕症や神経系疾患が続出した)」「医療」「労働」などがある。今回は、「労働」分野に参加した。
障害者の労働と言っても範囲は広い。大きく分けて一般就労と福祉的就労がある。一般就労でも、専門性の高いものから補助的な仕事まであるのは健聴者と一緒である。しかし、情報提供=コミュニケーションの面でまだまだ平等ではない。
大阪のある大手建設会社では、聴覚障害者への仕事上の情報提供が不十分のまま放置されているケースが報告された。脅しともとれる言い方で本人の要求を拒否し、人間扱いしていない。実に腹立たしい事態であり、分科会では大きな議論となった。
滋賀県にある施設では、就労移行に向けての熱心な実践が報告された。その中で新鮮に響いたのは「最低賃金制度による就労」ということである。文字だけ見ると「最低賃金で満足するのか?」と不思議に思う方が多いと思うが、そうではない。これは、私の解釈であるが、重複障害者や知的障害者の多くは、一般就労していないのが現実であり、共同作業所・授産施設などと言われている施設で「福祉的就労」している。この場合、最低賃金法は適用されないので、(その施設により異なるが)月の収入は数千円から2、3万円が多い。蛇足だが、今の障害者自立支援法は、その中から「施設・サービス利用料」を取るという極めて非人間的な悪法である。
話を戻して、「最低賃金」ということは一般就労的な収入を得るということになる。単にお金が入るということだけではなく、働く喜び・充実感・相手に喜んでもらえて「ありがとう」と言ってもらえる自己実現など、計り知れない人間的発達の芽を見出すことができる。世間全体からみると「些細なこと」かもしれないが、このような一つ一つの実践の積み重ねが、地域を・市町村を、「住んでよかった」と思えるものに変えていく。「すべての住民が参加する自治の形」とも言えるかもしれない。
私たち議員・政治家は、1つ1つの事象ではなく、全体的な視点で見がちである。だからこそ、年に何回はこのような場に参加して、個々の輝く事例に接することで、政治家としての感性の鈍化にブレーキをかけ、より鋭い感性でものごとを見られるようにしたいと、私は考えている。
上記の施設は、滋賀県なので近場である。いつか、その実践の現場も実際に見に行こうと思っている。
一応、私も京都府の登録手話通訳者(兼京都市長認定手話通訳)なのですが、仕事の都合でなかなか時間がとれずにいました。今回は、急なことで、他の通訳者がそろわないという事情の下でした。
私たちは、日常の言葉ならあまり勘違いすることはない。そのことが話されている場所や前後の文脈、話し合い手である程度その分野が限定されているからである。
しかし、専門分野はそうはいかない。文字になっている資料を見ながら話を聞くと、「表意文字」である漢字も目に入るので、難しくてもなんとなく意味を理解することができる。でも、それが「音」だけだったら・・・勘違いは発生しやすい。
私たち手話通訳者は各分野の専門家ではない。だから、医療や法律などの場面はしばしばあるが、苦労する分野でもある。可能な限り、事前に資料などをいただくなり、自分で基礎知識を得ておくなりの準備はするものの「一夜漬け」である。
よく「手話通訳者の仕事は、手を動かしている時だけ」という誤解があるかもしれないが、実は事前・事後も相当の時間を割いていることがある。上手くいかなかったときなどは、手話通訳仲間とその原因追及や解決策探しをすることもある。
さて、今回は木津川市で開催された恭仁京がらみの「都城」や意匠・服飾などの講演会だった。あの有名な猪熊先生などが登壇した。
事前にいただいた資料は、司会者の台本と時間割程度。肝心の講演内容は、当日に参加者に配布される冊子をいただいた。到底間に合うタイミングではない。
が、泣き言も言ってられないので、自分たちの持てる知識を動員してのこととなった。
飛鳥時代の都の構造と奈良時代の構造との違い。遣唐使が果たした役割と日本文化への影響。一時代一宮ではなく、一時的には複都(複数の首都が存在すること)だったこと。恭仁京(現在の加茂)や紫香楽宮(現在の信楽)が何のために作られたのか。難波京(現在の大阪市)の役割。中国の都城との関係。当時の政治や宗教とのかかわり。時代考証の難しさなどが語られた。
知っている方は知っているが、日本にもこの時代を中心に何人かの女帝=女性の天皇は存在していた。先代の急死で後継ぎが幼かったからという「リリース・暫定即位」的なものから本格政権的なものまである。
過去に議論された男系優先の「皇室典範」の議論が空虚に見えるものだ。
天皇でなくても、皇后や皇太子妃として、その夫である天皇や皇太子に対して大きな影響を与えていた女性も多い。
この辺りは、歴史を学ぶには絶好のロケーションである。京都も奈良も飛鳥も近いし、古墳・文化財が日常生活の中にゴロゴロしている。
あまりに日常に溶け込みすぎていて、その偉大さや価値が実感しにくいかも知れないが、機会があれば歴史に学び、今の社会や政治・文化などを考えて欲しいものである。
一般的には、テレビの画面下や講演会場の壇上で、「話し言葉」を「手話」に変換するイメージがあるのではないかと思う。もちろん、その場面も手話通訳の一部であることに間違いはない。
手話をコミュニケーション手段とする「ろうあ者」と呼ばれる方々は、50年ほど前に「手話のできる福祉司を役場に設置して」という運動を展開した。それが、その後の福祉事務所などへの手話通訳設置につながった訳だ。
では、「手話のできる」ということがどのようなことなのか・・・ろうあ者たちが求めたのは、冒頭のイメージとは逆のことであった。もちろん「話し言葉を手話に変換して、聞こえている者の情報を欲しい」ということはあるが、もっと根本的なことは「自分たちの意見を健聴者に聞いてほしい」だったのだ。要するに「手話言語を音声言語に変換する」ことである。それは、長年、職場で・地域で・学校で一方的に言われっぱなしだつたことから、自分たちの意見もあるということを伝えたいのである。人間として当然の気持なのだが、そのことが長年理解されてこなかった。もしかすると、今でも理解されていないことがあるのかも知れない。
少し考えれば明解だ。コミュニケーションとは「双方向」であることは誰でも知っている。しかし、この「双方向」ということが、いろんな場で困難となっている事実もある。
聴覚障害者の世界だけではない。自治会でも、学校でも、生徒会でも、職場でも、当事者の意見を十分に聞かないで、ものごとが決まっているということはあるのではないか?行政や議会が広報活動をするとき、「住民の知りたい情報」ではなく「(町長・議員が)住民に知らせたい」情報のみを扱っていないか?
このあたりも十二分に検証されるべきではないかと思う。
最後のあたりで、原爆や戦争のことにふれました。それは、障害者福祉と無縁でないからです。現在の法律は改定されていますが、もともと日本の身体障害者福祉法というものは、「傷痍軍人」ようするに、太平洋戦争で負傷して帰国した旧日本軍人のアフターケア的な側面がありました。戦死した方も悲惨ですが、戦場でまたは国内の戦災で負傷した方も多いのです。視覚や聴覚を失う、手や足を損傷するなど、社会の中で暮らしづらい環境に追いやるのが「戦争」です。要するに、戦争が障害者を作りだしてきた事実があるのです。だから、障害者本人や当事者団体の多くが、「戦争」に反対されています。
戦争を起こすのも止めるのも「国家=政府」ではありますが、そのような事態を招かないように監視する権利と義務は私たち国民にあります。主権者としての役割を果たすことが、大きな意味では「福祉のまちづくり」につながります。
ご意見などありましたら、またお寄せください。
国会議員で駆けつけたのは、民主党の福山議員、メッセージを寄せたのは、共産党のこくた議員、民主党の山井議員、社民党の福島議員・辻本議員だった。自民党と公明党は、そもそもこの悪法を作ったためメッセージもなかった。新党のみなさんも、消費税増税や軍事拡大には関心あるものの障害者福祉については目線の枠外らしい。
さて、集会は直接的には京都をはじめ全国で71人の原告が、国を相手に違憲性を問うた裁判の勝利和解報告だが、道のりはここからである。いわば、和解は、この4~5年間マイナス状態だったのがゼロまでリセットされたにすぎない。1月に発足した政府の諮問機関である推進会議が、障害当事者の参加も得ていかに社会的平等を実現する新たな制度を構築できるかにかかっている。
政府や世間は、よく「国際化」とか「国際社会の一員として果たすべき・・」ということを言うが、これが強調されるのは、自衛隊の海外派兵、農産物の輸入自由化などであり、福祉分野や労働分野は蚊帳の外である。障害者分野では4年前に国連で採択された「障害者の権利条約」というものがあるが、日本政府は国内法が条約に反しているため批准できないでいる。「子どもの権利条約」というものもある。ここに書かれていることの半分も政府や自治体は取り組んでいないし、いわゆる国際機関の「点検」でいくつもの改善勧告がつきつけられている。条約は、憲法と法律の間に位置するものであるのに、ここまで放置とは情けない。労働分野でも同じことが言える。
これまでは、政治や社会保障が二流・三流でも、なんとか経済力で国際的な位置をキープしてきた日本だが、この間の指標ではその経済分野でも蔭りが見えてきている。政治・社会保障・農業・教育・労働などで成熟した国際社会の一員として確固たるシステムを構築できなければ、早晩「先進国」から脱落することになる。