今「仕分けされる」「リストラされる」と聞いたら、何をイメージするだろう。恐らく9割以上の方が、「仕分け=廃止、削減」「リストラ=整理解雇」というイメージを持つだろう。しかし、日本語としてよく考えて欲しい。仕分けとは、「継続・拡大」も含むものである。また、リストラとはもともと「再構築」という意味であり、逆説的にいえば、拡大する部分もあるのである。例えば、ある商社が昭和40年代頃は繊維部門などに主力の従業員を配置したものが、平成に入りその繊維部門を縮減しIT部門を拡大する。結果として従業員数が増えることも想定しているのである。要するに、必要性によって増やしたり減らしたりすることである。
不況のためか、この2つの言葉は「否定的」な意味で使われている。
そして、自分や家族、近しい友人などが「仕分け」や「リストラ」のターゲットにされると、「復讐」の意味を含み、自分より安定したところにいる人たちを攻撃したくなる。そのような論調でこの間の「仕分け」の作業や報道がされている。
もちろん、私自身は無駄があれば削るべきだとは考えているが、行き過ぎた論調にも危惧している。例えば、UR(都市再生機構)。以前は住宅公団とか住宅都市整備公団などと言われていた。仕分けでやり玉に挙がっているが、今から40~50年前に、東京・多摩、大阪・千里のニュータウンをはじめ、その後も、愛知・高蔵寺、大阪・泉北、千葉ニュータウンなどもこのURが担当してきた。功罪はあるものの、その仕事があったから、東京の郊外に住宅を建設し、当時不足気味だった都市部における「労働力」を確保し、日本の経済成長を支えてきたのである。もちろん、時代が変われば役割も変化するので、「絶対必要」という気はないが、「要」か「不要」かといった両極端な議論ではなく、それこそ本来の意味の「リストラ」をして、無駄部分を削減し必要部分を残せばいいものだ。
精華町でも「意義がある」と行政自身も評価していた自主事業への資金援助が、政府・民主党の「仕分け」のあおりを受けて、ゼロという結論となったとのこと。
報道されているような理事たちの異常な天下り待遇の改善は当然だが、そのような理事がいる団体や事業までもが、「すべて不要」と評価するのはいかがなものか?
私も、本当の意味の「仕分け」や「リストラ」は、必要だと思う。しかし、本来の意味と異なる意味を植え付けて、猛威をふるい、せっかく関係者の努力で作り上げてきた「諸制度」特に医療や福祉、教育といった部門を安易に削減するのは許せない。
ちなみに、民主党政権になっても「軍事」は聖域のようで、根拠が示されなかった項目も含めそのまま認められている。これが、福祉やくらしに関する団体の場合は、「参加者数は?」「民間でできないのか?」「すぐに成果を」などといわれ、詰め寄られていたのだろう。