ライスショックは、今年の流行語大賞になるのかと思わせる位の社会現象になった。この一粒の米が、様々な社会と密接に関係してるのかと思うと、小さな粒とはいえなかなかの存在である。
先ずこの粒は、有史以来日本の主食であったこと。それを中心に集落が形成され、開墾、用水管理、米を中心とした食文化が発達し、農耕民族としての思想が生まれ育ってきた源泉である。米の石高が、その優劣を表し目標はそれを増産する事によって、冨を得ると換言できた。
それに、近代の農業技術と生物科学の進歩によって、飛躍的に良質米が多収穫できるようになり、米余りと、外圧が加わり米の価値が、ショックを受けるまでに下がったのがライスショックと言われる由縁である。
この小さな米粒をどう見るのか。日本に点在する数多い集落を守り、わが国に深く根ざした共存共栄の心や、協調の良き文化を継承するに不可欠な代物であり、殆どの国民が危惧している食料自給率の向上に直結している。よって、どうしても守らなければならない。
今、農政転換でわかったことは、このままでは米作農家がつぶれ、集落が崩壊するということがはっきりした。これをもう一度転換しなければならないということになる。私に見えてくるのは、石原莞爾陸軍中将が晩年に提唱した、農工一体論である。これから若者人口は、極端に減少していく。工場労働者が足りなくなるのが目に見えている。農村から出稼ぎに行くのではなく、工場に来てもらう。農地を守り、集落を守り、米を守る。それが、地域を育て、山形県を発展させ、祖国日本を守ることになる。
小さな米粒を守ることは、これだけの価値があることを皆で認識をしたいものだと思う。