とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

節分の「鬼」

2012年02月04日 | インポート

004 きのうは節分。ゆかりの地で、著名人や地元名士の豆まき風景が報道された。それぞれの家庭の「豆まき」で、「福は内。鬼は外」の大きな声が、深い雪の中に吸い込まれそうである。
 我が家の昔。いり豆を一升ますに入れ、神棚に供え、灯明をつけて家族で礼拝の後、長男が各部屋に入り、南の方角を向いて「福は内。鬼は外」と豆を投げた。恥ずかしくてなかなか大きな声を出せずにいると「声が小さい」などと気合を入れられた。部屋中の豆の掃除も大変な仕事だった。
 それが、いつの間にやらラッカセイに変わり、今は小袋に包まれたピーナツやでん六豆に変わった。今年の節分は、私が鬼役となり、孫たちが私めがけて「福は内。鬼は外」でピーナツ袋を投げつけられた。
 そもそも「鬼」とは誰なのか。民話や郷土信仰に登場する鬼は、恐ろしい物、強い物、怖い物で大きくて角や牙があったりで、何となく分かるようで、抽象的で難しい存在である。「心を鬼にして」鬼役を務めたが、鬼が悪者でもない。浜田ひろすけ童話の「泣いた赤鬼」は、自己犠牲と風評被害を乗り越えようとする、心優しい「鬼」の物語である。
 ナマハゲやアマハゲは強い子供に育つようにと、地域ぐるみで続けられている郷土信仰でもある。「鬼」は外にあるのか内にあるのか、そこが問題だ。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする