Nonsection Radical

撮影と本の空間

8x10写真展ってなに?

2009年09月23日 | Weblog
某月某日
問われましたので下のコメントで写真展の点数などつけましたが、点数には意味などありません。
ボチボチ各所で今回の写真展の感想などが出て来ています。
もっと会場で撮影者に面と向かってご意見をぶつけてみるのも面白いと思うのですが、遠慮があるように思います。
感想をうかがっていると浮かぶ疑問というのがあります。
8x10写真に「こうあらねば、こうあるべきだ」という基準があるのでしょうか?
8x10写真だから精密描写で独特の質があるべきなのでしょうか?
それが特質なのでしょうか?
また8x10写真展はこうあらねばという基準があるのでしょうか?

作った本人が言うのですが、東京8x10組合連合会を作った理由は逆にそういう「バイテン写真のジョーシキ」を無視してもいいんじゃないかという事からです。
まず一番無視したのは、8x10カメラはシロートが使うようなものでない、という点からです。
それはsatoboが初心者だから。
そして8x10カメラはアオリなどのテクニックを駆使するものだ、という点です。
テクニックのない者は大版カメラなど宝の持ち腐れだという考えは一理はあっては二里はない、栗よりうまい十三里だと思うのです。
また8x10カメラは自然などの雄大な景色を写すべきだ、という点。
写真なんか何撮ってもイイじゃん。
そんなジョーシキ関係ないもん。
というわけで、誰が考えても不真面目な遊びである事を宣言するために長ったらしいふざけた名称にしたわけです。

だいたい8x10カメラで写真を撮ってメシを喰っている人がどれだけいるんだ。
ほとんどの人はお蔵入りか「趣味」でしか撮影してないじゃないか。
ましてや都市風景を撮影している人などわずかしかいない。
だったら職業がプロだろうがなんだろうがベースは同じじゃないか。
仕事じゃない(になり得ない)8x10撮影の会。
仕事で8x10を使って撮影している人などこの会には入ってこない。
だから何をやっても自由なのだ。
8x10カメラにさえ理由はない。
理由にするために8x10カメラを選んだだけ。
会を何でくくるかというので8x10カメラを選んだだけ。
フォーマットがどうのとか実は関係ない。
だから何を撮っても、それをどのように発表しても自由。
子供に絵を描かせるのに、クレヨンを持たせるか、絵の具を持たせるかの違いでしかない。
最大の目的は、8x10カメラで撮影したいろいろな街の景色をsatoboに見せてくれる事なのだ(笑)。
それゆえバラエティに富んでいる方が楽しめるのです。

写真展というカタチにしても、ショーバイで開くわけじゃないのだから、自由でイイのです。
表現にあった展示であるほうが面白いし。
そのへんは他の美術の方が先を行っている。
問題は表現だと思う。
それは何が写っているかとかの問題じゃない。
よくsatoboは「おもしろい」という言い方をするけど、それは「興味ある=クイントリックスじゃないやインタレスティング」という事。
そういう表現が好きなんだねぇ。

感想を読んだ感想は、みんなまだ常識的な常識で写真を見ようとしている、ということ。
また撮影している方も、常識的常識で撮影しようとしている。
そういうのはウマい写真を撮る人に任せておいて、もっと違う視点から写真を撮ったら違う表現が現れてくるのでは期待しているのです。

8x10写真はこうでなくっちゃと言われる方は、こうでなくっちゃ写真を見せてくださいとリクエストも忘れません。
それを見て、「そうか。やっぱりこうでなくっちゃ」とsatoboは簡単に宗旨替えするかもしれませんし。
コメント (13)
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