13日の昼前に柏崎を出る予定だったけど、思ったよりも柏崎が面白くなかったので、早めに出発して乗換駅の長岡で3時間ほど時間を作り徘徊する事にした。
面白くなかったのは、原発があるからか街がキレイで基本的にお金が回っている感じがしたのだ。
bw02yokoさんに旅のシロートと嗤われたが、一理はあるが二理はない、九里四里うまい十三里と言うように、yokoさんと好みが似ているようでいて、その対象はまったく異なっているので、このようの空振りも出るわけである。
ひなびた景色が好きなわけじゃない。
繁栄が終わった、あるいは繁栄から取り残された、繁栄とは無縁な街が好きなだけだ。
まず、繁栄という「物語」がないとダメなのだ。
都市化に伴い、かつては中心だった街や通りがさびれ、それでもそこに生活する景色に興味があるのだ。
昔から繁栄もせず、たださびれた場所では物語が読めないのだ。
だからまず、都市の中心部を歩き、しだいに外れた場所、裏通りへ足を向けると、繁栄の中心がどのようにズレたのかがわかる事もある。
個人的にはシロート「調査」のつもりなのだ。
そういう点で、まだ柏崎は他の地方都市に比べて裕福で、家もキレイだし、墓も新しい。
飲屋街も生きている。
それを確認できたので、まあ興味が薄れたわけだ。
で、長岡に降りると、立派な駅前である。
さすが田中角栄先生の地元新潟である。
テレビや雑誌であこがれた東京の姿を求めた都市の姿があった。
また、まだまだ地元の商店街も生き残っている。
たいしたものだ。
駅から真っ直ぐに信濃川まで歩いた。
思ったよりも近かった。
しかし・・・
リュックを背負った腰にわずかに違和感を感じた。
ヤバイ・・・
そう思った時には腰の痛みはドンドンひどくなり、あきらかなギックリ腰状態になった。
近くの公園で休み、さてどうしようかと思案したが、腰の状態が良くなるわけではない。
ソロリソロリと歩き、駅を目指したが、貧乏性だから、ちょっと気になる横道があると、ついそちらの方へ行ってしまう。
ジグザグで駅まで戻ると3時間もあとわずかであった。
昼食を取っていなかったのでどこかですぐに食べられるものをと探すが、こういう時には見つからない。
発車まで20分となり、諦めて駅へ。
結局、立ち食い蕎麦となってしまった。
上越線で東京を目指したが、驚いた事に長岡から乗った人が遠くまで乗り続けている事だ。
途中で降りる人は長岡まで買い物に来た様子である。
こういうところで地方の「格差」を感じてしまった。
また、長時間各駅停車に乗り続ける旅行者が多い事にも驚いた。
単にあおはる18切符利用者というわけでもない、移動にお金をかけないレジャー客が多いという事にだ。
結局午後9時半に家に着いたのだが、腰痛に更に長時間座っていた事が重なり、痛みがひどくなって、次の日も動く事が出来なくなり、手ぐすねを引いて待っていてくれた人達との飲み会にも参加出来なかった。
16日に大阪に戻ってきたら、老親が光ファイバーケーブルをぶった切る「事故」があり、やっと今日復旧して日記の続きとなりました。
西淀川区野里本町商店街 Part1 2011年7月2日
面白くなかったのは、原発があるからか街がキレイで基本的にお金が回っている感じがしたのだ。
bw02yokoさんに旅のシロートと嗤われたが、一理はあるが二理はない、九里四里うまい十三里と言うように、yokoさんと好みが似ているようでいて、その対象はまったく異なっているので、このようの空振りも出るわけである。
ひなびた景色が好きなわけじゃない。
繁栄が終わった、あるいは繁栄から取り残された、繁栄とは無縁な街が好きなだけだ。
まず、繁栄という「物語」がないとダメなのだ。
都市化に伴い、かつては中心だった街や通りがさびれ、それでもそこに生活する景色に興味があるのだ。
昔から繁栄もせず、たださびれた場所では物語が読めないのだ。
だからまず、都市の中心部を歩き、しだいに外れた場所、裏通りへ足を向けると、繁栄の中心がどのようにズレたのかがわかる事もある。
個人的にはシロート「調査」のつもりなのだ。
そういう点で、まだ柏崎は他の地方都市に比べて裕福で、家もキレイだし、墓も新しい。
飲屋街も生きている。
それを確認できたので、まあ興味が薄れたわけだ。
で、長岡に降りると、立派な駅前である。
さすが田中角栄先生の地元新潟である。
テレビや雑誌であこがれた東京の姿を求めた都市の姿があった。
また、まだまだ地元の商店街も生き残っている。
たいしたものだ。
駅から真っ直ぐに信濃川まで歩いた。
思ったよりも近かった。
しかし・・・
リュックを背負った腰にわずかに違和感を感じた。
ヤバイ・・・
そう思った時には腰の痛みはドンドンひどくなり、あきらかなギックリ腰状態になった。
近くの公園で休み、さてどうしようかと思案したが、腰の状態が良くなるわけではない。
ソロリソロリと歩き、駅を目指したが、貧乏性だから、ちょっと気になる横道があると、ついそちらの方へ行ってしまう。
ジグザグで駅まで戻ると3時間もあとわずかであった。
昼食を取っていなかったのでどこかですぐに食べられるものをと探すが、こういう時には見つからない。
発車まで20分となり、諦めて駅へ。
結局、立ち食い蕎麦となってしまった。
上越線で東京を目指したが、驚いた事に長岡から乗った人が遠くまで乗り続けている事だ。
途中で降りる人は長岡まで買い物に来た様子である。
こういうところで地方の「格差」を感じてしまった。
また、長時間各駅停車に乗り続ける旅行者が多い事にも驚いた。
単にあおはる18切符利用者というわけでもない、移動にお金をかけないレジャー客が多いという事にだ。
結局午後9時半に家に着いたのだが、腰痛に更に長時間座っていた事が重なり、痛みがひどくなって、次の日も動く事が出来なくなり、手ぐすねを引いて待っていてくれた人達との飲み会にも参加出来なかった。
16日に大阪に戻ってきたら、老親が光ファイバーケーブルをぶった切る「事故」があり、やっと今日復旧して日記の続きとなりました。
西淀川区野里本町商店街 Part1 2011年7月2日