Nonsection Radical

撮影と本の空間

どうも納得がいかんので納豆喰う

2012年05月09日 | Weblog
小沢裁判で検察側が控訴したと言うけど、高裁で勝てると思っているのかね。
ひょっとして裁判長が”いい人で”推測に推測を重ねた”証拠”を好意的にとらえて、推測で有罪にしてくれると期待しているのか。
それとも検察役弁護士のパーフォーマンスか。
あるいは、実は検察役が小沢の”完全無罪”を証明するために、疑惑を呼ぶような文言を判決に盛り込まないようにするためか。

検察と被告弁護側は立場が違うだろう。
検察は有罪を証明しなくてはイケナイが、被告側は無罪を証明する必要はない。
検察が有罪の明らかな証拠を提示出来なければ、裁判は無罪になるのだ、本来は。
で、今回の裁判では、検察役を弁護士がつとめたのだけれど、控訴してもこれ以上新たな証拠は提示出来ない。
だって、公判自体を検察が調べた証拠だけを使って行なった結果、有罪に出来なかったが、さらに実はと新たな検察取り調べの新証拠が出たり、検察側弁護士が新たに調べて証拠を発掘してくる事はないのだから、前回と同じ手の内で争う事になるはず。
だから”事実認定に誤りがある”という裁判官に別のとらえ方をしてもらう戦法しか取れない。
無理でしょ。
というか、裁判官が別の心象で有罪にしたらたまらない内容の裁判だと思うんだけど。

自民党のいつも興奮してオクターブが上がっている感じのする某氏とか、小沢道義的責任を追求する他の先生方も含めて今後期待出来るのは、「単なる記載間違え」とか「秘書が・・・把握していない・・・」とかの”説明”も”いいわけ”も”言い逃れ”も出来なくなるという事だ。
秘書の責任は政治家本人の道義的責任だと他人事のように言った”つけ”が返ってくるのだからね。
また、検察、裁判所も、小沢以外の案件は”微罪”だからとはしないでね。
今度の一連の裁判の量刑を基準に、平等に裁いてもらいたいね。



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コメント
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