Nonsection Radical

撮影と本の空間

TPOの違い

2013年12月07日 | Weblog
今日は京都の鞍馬山に行ってきた。
鞍馬寺があって山域が聖域となっている。
ケーブルカーもあるのだけれど、せっかくなので歩いて鞍馬寺本殿まで登っていった。
歩を進めるにつれ空気がきれいになるのか、日頃の喘息による咳も出ず、ひたすらハーハーと息を切らす事が出来た。
周囲をうっそうとした木々に囲まれ、この山で修行するとはどういう感じなんだろうと牛若丸になった気持ちでいたのだが、行き行く人、特にアベック(死語)の会話が静かな山の中でひどくウザク感じた。
どうしてこういう場所で、どうでもイイ事を声だかに話すのだろう、特にダンシが。
宗教の聖域に入っているにも関わらず、下世話な話で静かな空気を乱し、特に周囲の素晴らしい自然環境に目を向けるわけでもなく、ただ単に本殿とかポイントだけ「見た」という”実績”のために歩いているだけ。
なんのために山全体が聖域になっているのかわかっていない。
そんなヤツらに思考を邪魔されて激おこぷんぷん丸!

で、下山して電車で京都市内に向かっている車中、途中駅から乗り込んできたジョシグループがけたたましい声で会話を始めた。
いわゆる”かしましい”というヤツだ。
でもこういう場所では何にも思わないんだよね。
電車内での会話はOKだと思っている。
本来ならケータイの会話も解禁するべきだと思っている。
黙り込みすぎるんだよ、現在は。
まあ”かしましい”と”やかましい”は紙一重なんだけどね。

ところがいたんだよオッサンが。
satoboなら1週間は山に籠っていられるぐらいのデカいリュックを持った日帰りハイクのオッサンが。
くだんのジョシのかしましい会話に、あからさまに嫌悪の表情を表わし、これ見よがしに指で耳を塞いでやがるの。
その表情を見て、きっとsatoboも山ではあんな顔をしていたんだろうなと思ったよ。耳は塞いでいなかったけど。
オッサンにとっては車内のかしましい会話はTPOをわきまえない蛮行で、satoboには許容範囲内であったわけだ。
逆に鞍馬山で出会っていたら、逆の立場であったかもしれないな。
オッサンがいつ爆発するのかと注視していたけど、なんとか終点の出町柳駅まで何事も起こらず到着した。
席を立って驚いたのは、かしいましいジョシ連の前の座席に座っていたグループの中のオッサンが、耳を塞いでいたオッサンに声を掛けた事。
どうやら同じグループだったらしい。
おいおい、それはないだろうと思った。
だってそのグループも結構声だかにしゃべっていたんだから。





タカノ橋商店街
広島県広島市中区大手町5丁目
撮影 2013年10月19日 土曜日 14時35分


平塚駅前
神奈川県平塚市紅谷町,宝町
撮影 2013年8月17日 土曜日 11時05分
コメント
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