Nonsection Radical

撮影と本の空間

聞く耳

2015年11月26日 | Weblog
ラジオのトーク番組をよく聞くのだけれど、たとえば食事時に家人と一緒だったりすると、家人はトークをまともに聞こうとしない。
こちらは耳を澄まして内容を把握しようとするのだけど、家人は勝手な発想が頭を巡るのか、話の途中であろうと別の話をし始めたりするので閉口する。
興味のないトークであるわけでもないのに、適当に聞き流してそれで終わりという感じ。
それが信じられない。
それでいてトークの内容のような会話をしたりするのだから、どういう意識の持ち方をしているのかと不思議に思う。
いい加減な知識で何かを話をしても的をいるような話にはならず、単に自分の感じ方を話に沿って表明するだけでは、何の意味も持たないと思うのだけだね。
世の中ではいろいろなことが起こって、それについてどう思うかと話題になることも多いのだろうが、いい加減な情報からいい加減な結論を導き出して、それが自分の考えだというのもなんだかなぁと思うんだけど。
なんかそういう意識の持ち方をするわけではなく、あくまでもどんな問題にも自分の普段から感じることだけで判断するというのもある意味大したものだ。
自分にはそんな大それたことはできないので、どういう意味があるのかと耳を澄ます毎日なんだけど。




広野町の街並み 3
福島県双葉郡広野町下浅見川本町,松下,前川原,桜田
撮影 2015年9月21日 月曜日 12時00分
コメント
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