Nonsection Radical

撮影と本の空間

そんな言い方はないだろうけど

2016年08月15日 | Weblog
戦争はゴメンだ、という声も実体験にもとづく実感からという人も戦後71年すでに少なくなっている。
そしてその声も、そんな言い方はないだろうけど、被害の”程度”によっても実感度は異なっているのではないか。
たとえば沖縄や広島、長崎など当時の人口比でみると高い死傷者のところでは当然戦争による死というものが非常に身近なものであったのは容易に想像できる。
何人に一人というレベルで人が死傷し、自らもその現場に居合わせた人にとっては戦争は”現実”のもので、その感覚はやはり他の人とは異なるものになったであろう。
最近の調査では、沖縄戦を体験した人の多くがPTSDの可能性が高いというものもある。
一方で、徴兵により出兵し戦死した数百万人の兵士の家族にとっても、戦中戦後の生活は現実のものであって、各自それぞれの感情が戦争というものを定義づけているであろう。
天皇の”お言葉”を実体験を踏まえて聞いた人よりも、戦争を知らない子供たち世代が多数になった現在では、戦争というものは想像するものであって、そこから「非戦」という選択を続けていくことの困難さは思った以上にハードルの高いものであるのではないか。
それは戦後ずっと戦争を避けてきた”平和”の結果であり、ケシカランものではないのだけれど、戦争の実態を体験していない世代が戦争を語り、平和を語るという”危険性”を自覚していないと単なるイデオロギーでしかなくなる。
戦争とは相手があってのことで、相手にも相手の思いがあることを忘れると、たとえ武力による戦いは終わっても双方の気持ちの中にはいつまでも”平和”は訪れない。
そこんとこを忘れずに、では現実をどう折り合っていくかを考えるのが戦争を知らない世代のすることではないのかな。



喜多見不動堂 2
東京都世田谷区成城4丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 12時45分
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