Nonsection Radical

撮影と本の空間

解像度

2016年08月20日 | Weblog
先日の台風一過の朝、河原にかかる橋の端にたたずみ、遠くの山々や河原の草々を眺め渡した。
空気が澄んでものがハッキリと見える。
この見え方が写真の”基準”だ。
昔より眼が見なくなったとはいえ、草木の葉っぱが一枚一枚クッキリと見える。
そのように見えるのだから、そのように写したい時には、そのように写ってもらわないと写りが悪いということになる。
そんな”基準”があるものだから、8x10カメラで撮影した時や、それこそ遥か昔1980年頃にテクニカルパンで撮影した写真を見た時にも、スゴイ解像度とは思わず、”普通”に写っているという印象しか持たなかった。
それぐらい眼が良かったと言えるのだけど。
だから河原の草木の葉っぱが一枚一枚クッキリと分離して見えるとしたら、写真でも同じように写っているのが当たり前に思える。
ところがコンデジなど使っていると、葉っぱなど細かいものはモヤモヤとしたものとしか描写されず、イヤだなぁと思ったんだけど、写らないのだから仕方ない。
そこで考え方を変えて、そのように写したい、とは思わないようにしたことで”解決”した。
解像度を必要とするような写真は撮らない。
これで解決である。
解像させることを目的に写真を撮っているわけではないので、路線変更になんの躊躇もない。
ただ、そうではあっても”普通”に写ることが悪いことではないので、シグマのカメラや8x10カメラに時折非常に魅力を感じてしまうことあるんだな。



喜多見商店街 3
東京都世田谷区喜多見8丁目
撮影 2016年7月27日 水曜日 13時20分
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