Nonsection Radical

撮影と本の空間

ハズレ

2012年06月19日 | Weblog
朝から台風は大阪直撃のコースを描いていた。

仕事に出かけ、パソコンで天気予報を見るが、外は小雨。
昼には風雨ともに増してきたので、電車が止まるかもというので早退する事に。
動画で台風のコース表示をしていたウェザーニュースなのだが、一抹の不安があった。
表示は真っ直ぐに大阪を目指しているが、普通は進行とともに弧を描き曲がるだろうと。
ダテに気象予報士の免許は取っていない(取っていないんだってば!)。
和歌山の方へズレるだろうとは思うのだが、そういう”常識”はパソコンモニター上では表示していない。

帰宅したが雨は強くならず、風は15mぐらいにはなったが夜には弱まった。
案の定、台風は和歌山へ”それた”。

さて、明日どのように”イイワケ”すればいいわけ?
はずれましたねぇ~って。
帰る事はなかったですねぇ~って。
ホント、天気予報なんか信用出来ませんねぇ~って。

どうせハズレるんだから、細かい予報なんかせずに、図解もせずに、ただ晴れ、曇り、雨だけの予報にした方がいいね。
それさえも当たらないけどね。



大阪市城東区 南鴫野商店街
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読ん読(よんどく)

2012年06月18日 | Weblog
家人が予想より早いペースで本を読んだので、オススメの本を早く送らなければならなくなった。
しかし、のんびりとオール讀物を終わり、酒井順子シリーズに目を通していたので、送るべき本はまだ自分で読んでいない。
佐野眞一の「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」は上巻をやっと読み終えて、今夜から下巻に取りかかる。
同時に沢木耕太郎の「凍」も並行して読む。
そして電子ブックではドウス昌代の「東京ローズ」を読み始めたところだ。

普段は目についた本を買いためておいて、少しずつ読んでいくのが楽しみなのだけど、なにしろリクエストにお応えしなければならないので、とりあえず”積ん読”ではなく”読ん読”で処理していかねばならない。
ボヤボヤしていると今週末にはオール讀物が発売される。
まだ購入していないが、予定リストにもかなりたまっている。
次から次へと面白い話が押し寄せてくるのは贅沢な話と言えるな。
これが仕事や研究でなく、単なる暇つぶしだというのが救いである。




大阪市城東区 鴫野商店街
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迷信以前に

2012年06月17日 | Weblog
酒井順子さんの本を読んでいたら、丙午(ひのえうま)生まれなので「ゆとり世代」だったと書いてあった。
1966年は前後と比較し極端に出生数が少なかったので、彼女はそう書いたのだ。
出産を避ける理由は、言わずと知れた「八百屋お七」である。
井原西鶴によって丙午とお七というまったく関係のないものが結びつけられたのだ。
同じようなものに、土用の丑の日があるね。
土曜日の丑三つ時に鰻を食べるというアレだ。(笑)
あるいは、土曜日は牛肉の日だ(笑)。
これも平賀源内が土用の丑の日と鰻という無関係なものを結びつけた結果だ。

これらは迷信や、あるいは都市伝説化している話だが、迷信を信じるか信じないかは、名神(高速道路)を使うか使わないかぐらいドーでもいい話だ。
ちょっと話題にしたいのは、あるものとべつのものを組み合わせて”キャッチフレーズ”を作っている事に気がついているか、という話だ。
お七が丙午生まれ”らしい”という事、あるいは丙午の年には火事が多いという”噂”など一部分を取り出して、強引にお七と結びつけてある意味を持たせるのは、ある意図があるはずだ。
さすがに今ではその意図を探るのは難しいだろうが、そういう話を結びつけたい”何か”が噂発生当時にはあったはずだ。
でなければ、たった一人のしでかした事で、末代にまで続くほどのひどい言われ方をするはずはないだろう。
当時の多くの人がそう思いたい理由が、丙午と”オンナ”とにあったはずなのだ。

同様に、たとえ平賀源内のコピーであったとしても、土用の丑の日と鰻とを結びつけて考えたい何かが当時の人にあったのだ。
でなければ、単に「本日、土用の丑の日」と鰻屋が掲げても、それまで喰わなかったものを急に喰いだすわけがないのだ。
当時の人は、土用と鰻という言葉で、何を連想したのだろうか?

現代においても丙午とオンナという言葉で、何かを連想するから産児制限するのだろうし、土用と鰻で何かを連想するのだろう。
何を連想して、行動を起こすのかを各自が胸を手で揉んで、ではなく、胸に手を当てて考えてみるべきだと思う。
というのも、現代においても、この何かと何かを組み合わせて意図的な結果を生み出したいというやり方が、商売や政治、社会で行なわれていて、それにまんまと乗せられて、モノを買わされたり、とんでもない事を考えたり、問題行動を起こしたりしているはずなのだから。

これらは、A+B=C と言ってるわけじゃない。
AとBだからC と言っているだけなのだ。
だから何でも組み合わせ出来る。
そして、どのような結論にも導く事が出来る。
そのへんをちょっと気にしてみてもイイのではないかな?




大阪市城東区蒲生4丁目21から
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広く浅く検索の難しさ

2012年06月15日 | Weblog
検索って難しい。
どんなキーワードを選ぶかで結果が違ってくる。
簡単なキーワードにすると膨大な数の検索結果が出されて、結局検索していないのと同じ事になるし、ピッタリの言葉を狙って検索すると、似た結果ははじかれてしまう事もある。
どちらが良いかというと人海戦術で膨大な中から選び出すことをsatoboは選ぶ。

今日もアマゾンであるキーワードで検索を掛けたら8000件を超える結果が出た。
まあ8000件ぐらいならなんとかなるだろうと一つ一つ見ていったわけだが(汗;)、100ページ目、つまり1200件目で次ページが表示されなくなった。
検索結果は100ページまでしか表示されないのだろう。

じゃあ、あの8000超の検索結果ってはどうなるのよ、と言いたい。
まさか1200件を超えるものを見ていくバカはいないだろうと思ったのかもしれないが、いるんだよ。
広く網をかけて、その中から選び出すというのが”主体的”であると思う人もいるのだよ。
事実、アマゾンだって文中の言葉から拾いだしてキーワードと照らし合わせ選んだりしているのだから、広く網をかけているわけだ。

はっきり知りたい情報が決まっているのなら、キーワードを組み合わせて絞り込む事が出来るが、例えば大阪の川の事がいろいろ知りたいなどという曖昧なイメージの場合は、「大阪の川」としか言葉が選べない。
そこには川の歴史や地理、物語、などいろいろな知りたい事が含まれているのだから。
だから膨大な数の検索結果から人力で選び取っていかなければならないのだ。
また、そうやってこそ面白いものを発見する事が出来るのだし。
まあ、よほどの物好きという事なのだろうね。




大阪市中央区大手通2丁目3から
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季節の変わり目は

2012年06月14日 | Weblog
身体がだるくてだるくて、疲れやすいし、ウツになるし。
気分転換をするにも、週末ごとに雨が降るし、カラダはジメジメするし。
それでも原因がわかっているので、無理をせずに、努めて明るく暮らし、何も考えないようにして、ただひたすらクリスマスが来る事を待っています。
こういう時季には、あまり周囲に興味が向かないので、笑えるような話題もないのよねぇ。
まっ、そういうことで・・・



モトコー1番街
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