Nonsection Radical

撮影と本の空間

街歩きの真意

2012年06月13日 | Weblog
このところ「部長(呼称)」と街歩きに関して話す機会が多い。
部長もブラブラ街歩きをする事が多いそうだ。
と言っても、お互いにその真意を話す事はなく、”オトナ”の会話である。
共通しているのは、何も目的を持たずにブラブラする事で、それがいいんだよね、と意見が一致する。
しかし、そういう会話を聞いていて「あそこへ行ったら何がある。あそこの観光地へは行った方が良い」などとチャチャを入れる人がいて、それが親切心であるのはわかるのだけれど、二人とも”困惑”してしまい顔を見合わせる。
どうやら目的もなく観光地でもないところをブラブラして、何かを見つけて一人楽しむという”無駄”な事が理解されないらしい。
むしろ有名観光地へ行って、「再確認」することに何の意味があるの?と言いたいのだけれど、そんな”無粋”な事は言わない。
世の中はそういうものなんだと、いくら世事に無頓着なsatoboでもわかっている。
だからそうしたい人は、そうすればイイ。
同様に、こちらもそうさせて欲しい。

部長との会話では、ドコソコを歩いていたら、いきなりこんなものに出会ったんだ、程度の話だが、歩いているとそういう事もあるよねぇ、と面白がる。
また”買い食い”に関しても、どんな”名物”を食べるかなどには興味を持たず、どんな普通のお店がいいかを話す。
共通するのは金をかけない(かけられない)という事。
その前に、”グルメ”ではないという事。
ウマい、マズいはわかるけど、それに頓着しないというスタイルだ。

そんなどうにも”ひっかかり”のない話を二人でしていると、不愉快そうに「その何が面白いんや!」言われたりもするのだが、二人とも困り顔で”真意”は話さないのだ。



モトコータウン2
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アップルとドイツ車とファッションと

2012年06月12日 | Weblog
思ったほど大胆な新製品の発表がアップルからなされたわけじゃなかったのが残念。
しかし高細密度モニターのノートブックが発表されたのは興味深い。
iPhoneで一躍有名企業になったアップルだが、決して大企業であったわけではない。
それでもずっと以前から、アップルの発表するMacやiPod、iPhoneなどは、アップル自身だけではなく他のメーカーへ大きな影響力を及ぼしてきた。
しばらくすると同じようなものが多数現れて、市場が塗り替えられる。
そういう意味でアップルが存在する事で他のメーカーは新規開発の手間が省けるわけだ。
だから今回もどんな新しいものをアップルが発表するかと世界中が注目したわけだ。
こんなことはキヤノンやソニーでは、もはやあり得ない。
影響力がゼロというわけだ。

同様にクルマでも、トヨタ、日産、ホンダの影響力はない。
販売規模は小さくてもドイツ車や欧州車のデザインが、その後の日本や韓国のデザインに”いつの間にか”取り入れられている。

ファッションにおいても欧米のコレクションの流れが流行に作用し、最終的にユニクロやしまむらに取り入れられて大衆化し、ユニクローゼやシマムーラを生み出す。

しかし、下流へ行けば行くほど、値段勝負の大衆化路線となるので似て非なるものとなる。
そこでまだ日本は勝負をしているのだ。
そして、ソコから抜け出して影響力を及ぼす地位に就く事が出来ないでいる。
なぜかという事を考えないで、昔打った篠塚、ではなく、昔取った杵柄をいつまでも自画自賛しているのでは先がない。
社会の仕組みや教育をそういう観点から変えようと思わないと、歴史教育をしている事になる。
しかし、まだまだ”素直にいう事をきく”役人や会社員を作る教育や社会制度にしがみついている。
実際、そういう人の方が、今の年寄り達には扱いやすいからね。
そんな飼い殺し環境に置かれた若者は、頭はイイけど、新しい事を思いついたり、面白がったりする能力が育てられないのではないのか?
そして十年一日の社会に埋没してしまうのではないか。
いかにそこから逃げるかだな。

ハッキリしているのは、今の年寄り経営者にとっては、理解不能な新開発をされて会社を変えられるより、儲からなくても下克上の会社にならない方を選ぶという事だ。
そこに見切りをつけるか、おとなしく従って同じ路線を歩むか。
歩み方で自分の位置づけを二分出来るはずなのだけど、まだまだ多くが「寄らば老木のかげ」状態ではある。



元高3番街
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製造大企業の終わり

2012年06月11日 | Weblog
ちょっと製品の数が多すぎない?
念頭に置いてるのはクルマや家電やカメラ、パソコンなんかの事だけど、他のものだって同じ。
そういう会社の作りになっているんだと思う。
表向きは消費者のニーズに沿ってなんて事なんだろうけど、実はそうやってたくさんの種類を出していくしか成り立たないんじゃないのか?
そして大量生産しないとイケナイ製造現場になっているんじゃないのか。
大量に多品種作るから無駄が多いはずだ。
そのため適正在庫を決める努力が常に必要だし、売れない在庫の整理も手間がかかる。
昔からこのような状態であったわけではない。
昔はずっと種類が少なかった。
それで困る事はなかった。
製品サイクルも長かった。
長かったからと言って陳腐化したわけではない。
最初からよく練っていたし、もちろん途中変更もあったが、長く作り続ける、その製品に愛着がある商売の仕方だったと思う。
ところが会社がデカくなると、たくさんの種類を出し、その分それぞれが薄味になり、サイクルも短くなった。
それで性能が飛躍的に伸び続けたかと言うと、そうでもない。
あるところまで来ると、性能は人間の性能を超えてしまい、たいして変わらなくなる。
むしろ使い勝手を考えたり、ソフト的な部分を煮詰めていく方が使いやすくなる。
しかし、そういう熟成をさせる前に、次の新製品に変わり、また一から始まるのだ。
そして、製品が売れなくなると、とたんに業績悪化である。
売れないものを大量に作り続けなければならない。
市場にはどうでもいいものがあふれかえるだけだ。
そろそろ日本でも、規模の小さな会社で、品数は少ないけれど、極めて個性的で性能がいいというものを作る会社が現れてもいいじゃないのか。
まあ規制が足かせになって生まれにくいという社会状況もあるのだろうが、大きな会社を目指すのではなく、小さくても飛び抜けたものを作るという意識の持った起業家が欲しいね。
実際にそういう会社はいくつもあるのだろう。
それが目立たなくても、キチンとその世界で生きながらえているのなら、それはそれで喜ばしい事だ。
大衆化だけが金儲けの方法ではないのだから。



モトコー4
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増書

2012年06月10日 | Weblog
この週末に買った本。
凍 沢木耕太郎 新潮社
沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史 上 佐野眞一 集英社
国家の罠 佐藤優 新潮社
交渉術 佐藤優 文芸春秋



モトコー5
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スカートの下の劇場

2012年06月09日 | Weblog
ツイッターで、セーラー服(スカートね)を着たおじいさんがいたという話で、スカートいいかもという話になって、あいにく単身不倫中のため手元にスカートがなく(さすがに老母にスカートをはいてみるから貸せとは言えず)お風呂に入るついでにタオルを腰に巻いて疑似スカート状態を体験し、鏡に映してみたところ、足や腰のラインがステキで、小川ローザ?(死語)と勘違いしたぐらいで、これからのオトコは身だしなみとしてスカートぐらいはきこなさないと一人前と言えないなと思いつつ、ついユニクロのチラシでワンピなどチェックしている自分に、さきのセーラー服おじいさんの姿を重ねあわせて、ワンピ着たオッサンがいたよ~ってツイートされる事を想像して、世の中には秘めたるが吉ということもあると自重自重。



モトコータウン6
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