Nonsection Radical

撮影と本の空間

オトナになっても変わらない

2014年05月11日 | Weblog
ロシアやウクライナのことが少しでもわかればと買ったの本が、「甦る(よみがえる)ロシア帝国」佐藤優著 文春文庫。
店頭でさらっと立ち読みしたところ、ウクライナの文字が目についたので、きっとウクライナの事も書いてあるだろうと購入。
まあ読んでみたところ、書いてある事の0.5%ぐらいしか理解出来なかった(笑)。
それぐらい難しい事が書いてあるのかというと、ほとんどはこちら側の問題。
つまり書いてある事が理解出来ないの(再び笑)。
素直に自分の知能では理解しかねる内容であると認めるしかない。

子供の頃から、小学校の成績でも各自差が出てきて、大学入試でも合格出来る人、出来ない人、成績の良い人、悪い人と、それなりに絶対的、相対的評価、自覚があったではないですか。
それが、オトナいわゆる社会人になると、それまでの”成績”というのをチャラにしたように、いっぱしのオトナ気取りになるんですよね、皆んな。
特にネットなんていう世界になると、どこの誰かもわからない、もちろん小学校からの成績もわからない人でも、いっぱしの意見が出せるんですよ均等に。
でも、実力以上の事柄に出くわした場合、つまり今回のように難しい本に出会ってしまった場合、いきなり小学校の時の成績に比例する理解力しかないことがわかっちゃうんデスネ。
世の中には、もちろんこの本の内容を深く理解出来る人も当然いるわけで、そういう人とこの本の事で、あるいは関連するロシアとかの問題を対等に話せるわけがないんですよ、残念ながら。
そういう事を自覚するのには、大変有用な本であったわけです(汗;)。





西町通り 1
兵庫県篠山市西町
撮影 2014年1月6日 月曜日 14時45分
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やりくりやりくり

2014年05月10日 | Weblog
少しの間出向いていない古本屋さんへの誘惑がわいてくるが、これ以上ストックしてどうなるんだよ、との神の声で思いとどまる土曜日。
本との出会いは人との出会いと同じで、外に出かけないと成就しない。
もっとも、最近はどちらもネットでのチャンスがあるのだけれど、そこはそれ、やはりリアルな出会いが喜びも増すというロートル(死語)世代。
出かけない事で本を買わないですむ作戦を実行。
暑くなる季節を前に、必要なものも準備しなければならないのだが、なにしろこういう御時世。
電気蚊取り器とか夏向きのシャツだとか、履き潰したスニーカーの交換だとか、リストアップすれば、なかなかの出費予想。
万札を崩せばアッという間に硬貨に変わってしまうのが不思議なのだが、使わないでいるつもりでも、いつの間にかサイフから小銭入れにお金が移動している。
使わない(つもり)でもなくなってしまうのなら、いっそ使ってしまえと気を大きく持つと、ひと月の28日ぐらいはお金に困る事になるので、じっと我慢してキャラメルとかビスケットなど買わないようにしている。イイ匂いのする消しゴムも我慢だ。
なぜこんなにお金がないのかと思い、きっとどこかに落としてしまっているのだろうと、小遣い帳をつけてもみたが、事実を目の前にして気分が悪くなったので、すぐにやめてしまった。
お金を使わないで暮らすことの問題点は、使う事で発散していることもあるので、どうやって発散するかという事。
もっとも”発散”って何の事かもわからないけど。
何か欲しいものがあるかと言われると、じつは欲しいものなどないのだけれど、必需品だけの出費でお金がなくなってしまうことがなんかイヤなんだね。
余計なものにお金を使いたいというのが”発散”の正体なのか。
よくわからないけど、今月もやりくりやりくり。





長崎港ターミナル前
長崎県長崎市元船町
撮影 2014年3月23日 日曜日 13時45分
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インナーサークル

2014年05月09日 | Weblog
在京放送局のラジオ番組が4月から大阪でのネットワーク放送をやめた。
その後番組は自社制作に切り替えたようだ。
で、どんな”パーソナリティ”が番組を持つのかと調べると・・・

30数年ぶりに大阪での生活を再開してビックリした事は、テレビとかラジオの出演者が30数年前とほとんど変わっていなかった事だ。
当然番組の内容も以前と同様のもので、ただ年月が出演者も番組も老化させているだけだった。
どうやらそういう変わらないという事が関西圏の人々の嗜好に合っているようなのだ。
ひとつの地域のサークルの中で人を回しているので新陳代謝も進まないし、新しい取り組みも行なわれない。
同じような手法で、同じような人が、同じような番組を作り続けている。
だから安心感とともに、同一の価値観を代々受け継いでいく生活様式が続いて行く。
まあそこで暮らす人々の暮らし方がそういう暮らし方なので、番組も”寄り添って”作られているのだろう。
そんな同じ事の繰り返しに飽きたとしたら、他所の暮らし方に興味を持つ人もいるのだが、その代表的な場所が東京だったりして、在京放送局の関西圏では視られない番組や出演者の”異文化”に触れる事になる。
まあ東京にも吉本興業を中心にした”お笑い芸人”が進出しているので、テレビでは演出の違いぐらいしか変わらないといえば変わらないが、それでも様々な分野の新しい登場人物が出てくるのは関西圏の比ではない。
それが活況を呼ぶ元になっているのだし、新たな展開を生む事にもつながる。
特にラジオにおいては、その差が大きい。
インナーサークルで使い回す出演者ではなく、面白いと思った人を起用する先進性に違いがある。
といいつつ、テレビ、ラジオなどは広告収入が減り、どこも四苦八苦している。
調査するとラジオ聴取者は高齢の人が多いという結果が出るので、新たな取り組みを躊躇する要因になる。
それでも活路を見出すために新しい人、新しい事を活用するか、費用がかからないように従来の人間だけで回して行くかの選択でそれを乗り切ろうとする方法が考えられるが、関西圏では後者を選ぶケースが多いのだろう。
高齢者にも安心して聴いてもらえる内容の番組が多くなるのも当然だ。
では、面白さを選ぶならどちらなのか?
今回のようなケースでは、面白いからと関東圏の人が関西のラジオ番組を視聴するか、関西圏の人が関東の番組を視聴するのかで判断が分かれるであろう。
ネットで調べてみると、番組放送中止になった事を批難する書き込みが結構あったので、東京のスカした番組がなくなって良かったと思う人ばかりではないようだ。
関西圏では出演しない人の在京の番組を面白くて聴く人もいるという事だ。

Radikoというネット放送で今春から有料ながら全国のラジオ番組が聴けるようになった。
さて東京のラジオ番組を聴く人が多くなるのか、大阪の番組を聴く人が増えるのか、はたまた他の地域の番組を聴く人が増えるのか。
そしてその事が新たな動きを生み出すのか興味がわいてくる。




智恵光院通から下立売通へ
京都府京都市上京区中村町,浮田町,橋西二町目,西橋詰町
撮影 2014年3月8日 土曜日 14時55分
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次に備えて参考に出来るか

2014年05月08日 | Weblog
田中康夫著「神戸震災日記」読了。
1995年に起きた阪神淡路大震災での田中康夫のボランティア日記である。
あの日は神奈川の団地で珍しく早く起きてテレビをつけたところ地震の第一報が報じられていた。
すぐに大阪の実家に電話して確認したはずだ。
そして仕事場へ行き、続報をラジオで聴いていたはずだ。
当時尼崎にあった本社へも連絡を取ろうとつながらない電話と格闘していたはずだ。
どうやらかなりマズい状態だとわかり、近所のドラッグストアに買いだしに行って、カイロだとかウェットティッシュなどを買いそろえて送る準備を整えた。
帰宅後のテレビでは被害の状況を伝えていて、それを視ながら、一体何が起こったのかを知ろうとした。
その後の数日は、自分に何が出来るのかを知ろうとするための日々であった。

そういう時に田中康夫は現地へ向かっていたのだった。
しばらくしてそういう活動をしている事は知ったが、内容はわからなかった。
もちろんその心情も。
その活動と心情を綴ったのがこの「日記」である。
当時いろいろな雑誌等に書いたものと書き下ろしをまとめたものだ。

この本の存在を知ったのは最近の事だ。
古本屋で田中康夫関連の本を集めていた時に見つけた。
いつものように、どうせ売名行為の本だろうと最初は手に取らなかったけれど、一連の本を読んでから田中康夫観が変わって、購入して読んだ。
ボランティアについて言いたい事、書きたい事を書いているので、文中にもあるが各所から批判も受けたようだ。
それでも考えさせられたのは、きっと書けないような体験もしているんだろうなと思ったからだ。
個人が勝手に何かをするということが、それがたとえ善良な行ないであったとしても、時に非難を受けることを覚悟しなければ出来ない”空気”がここにはある。
だから、といえるのか、組織というカタチをとって行動を起こす事でスムーズに行なう”知恵”や”方法”が市民権を得る。
媒体も新聞社や放送局などマスコミが、その知名度を利用して大々的に現地に足を運んで”活躍”する姿は伝えられるのだが、その弊害もこの本で述べられている。
一方で、個人の活動への”風当たり”は、組織へのものと違って、直接本人に来る。
そのことで、書けないような様々な体験をしたはずだが、その事には触れずに前へ向かって行けるような文言だけを書き綴るのは田中康夫のスタイルなのだ。
その行間に感銘を受けて、年寄りらしく涙もろくなりながら読み終えた。

そして思い起こされるのは2011年の3月の事。
あの時は、関西で揺れを感じて、やはりラジオで地震の事を知った。
そして数日の間、自分に何が出来るのかと思いを巡らせる事となった。
同じ事を繰り返しているのだ。
もしあの時に、すでにこの本を読んでいたら、何か違っていただろうかと考えると、そんなにコトはうまくいきはしない。
でも、”次”の時には、同じ事を繰り返したくはないという気持ちがあるので、個人ででも出来る事があれば、めげずに自分もやろうと思う気持ちにさせられた本である。




春日神社
兵庫県篠山市黒岡
撮影 2014年1月6日 月曜日 14時25分
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休みも休み休み

2014年05月07日 | Weblog
連休も終わった。
その間、特に行楽に行くわけでもなかった。
古本屋さんへ行っただけ。
あとは動画の変換をして、本を読むだけ。
ようやく長崎の動画が変換し終わったが、混雑のためかアップロードがままならない。
少しずつするしかない。
変換作業は京都編がまだ残っている。
連日の○○写真館で在庫の口絵写真も少し減った。
積ん読がついに40冊オーバー。
一日か二日で一冊読んでいるが追いつかない。
書いてある事から次々に興味が飛び、その度に収集してブックサーフィン状態。
3,40年前の出来事を読み返しているが、誠に奇々怪々興味深い出来事ばかり。
文中で将来を”予想”したことが当たっている事もあり、外れている事もあり、その理由をさかのぼって”検証”できるのはタイムマシーンに乗っている感じだが、振り返る資料があるだけのこと。
”現在”という流れに乗っている時には、ほとんどの人が状態を把握出来ずにいることがわかる。
ほんのわずかな人が認識しているだけで、意識的に振り返らなければ、多くの人はそのまま記憶からも薄れていき「曖昧な歴史」となるだけ。
それは社会現象でも、事故でも、天災でも同じ。
その時代に生きていたのなら、自分の記憶と記録を照らし合わせて、当時見えなかった事を認識する事は自分の”歴史”を作り上げる手助けになる。




ドラゴンプロムナード
長崎県長崎市元船町
撮影 2014年3月23日 日曜日 13時30分
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