わんばぁだんのイケイケChina_goo版

ヘンな中国、おもろい中国、アホなこと・・・ 思いついたままに写真で発信します。(只今休眠中)

5年前の出来事:厚かましいヤツ! 未公開ネタ

2020年07月22日 23時53分32秒 | この国の習性

祝! 楽しい連休スタート。 とは行かず天気は悪いわ、コロナ禍再燃?でトコトン外出自粛をせねばならない明日からの連休。

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

少しでも皆様の気晴らしのお役に立てればと、くだらないネタを捻出致します。

 

最近入り浸って居る「くるりん様」のブログの中で、お米ネタ でふと思い出したものを放出いたします。

 

あれは5年前の常熟出張、天津出張の行ったり来たり半年間の時の出来事です。

当時の通信ツール

この件の詳細は、過去ログ  「最近の通信手段」 を参照

 

当時、まだ完全スマホデビューしていなかったので、ガラケーでは当時流行り出したWeChat を使いたくても使えませんでした。

2台のスマホは複数の出張者が使い回す代物なので、これで登録したら大変な事になってしまいます。(笑)

 

そこで、PCでは昔からずっと使っていて電話番号登録は不要な 「QQチャット」を天津工場用スマホで使用していました。

 

コレをきっかけにQQのプロフィールで、年齢はウソの微妙な40才から正直年齢に変更。 出身地?は、私の生れ故郷の新潟県魚沼市で再設定していました。

案の定、繋がりを求めて来る中国人が、中国はおろか新潟県に在住の中国人BBAからもわんさかリクエストが。(爆)

 

そんな中、

こんなQQチャットが

舞い込む。。。

プロフィール上、

遼寧省の女性、50才 BBA

 

最初は、丁寧な言葉で、

「新潟で稲作農業をしている人ですか?

お手数をお掛けします。

私は新潟の稲作技術を会得したい。」

 

確かに、魚沼の実家は農業やってるけど、何の意図も考えなく適当に書いたプロフィール効果すげーなー。

 

それにしても突然

あつかましいやっちゃなー!

 

とぼけて、「ちょっと中国語わかんねーなー」と返し。

 

すると、

「あなたは中国人を探してチョット見てもらえ」

追い打ちで、なんと高圧的な言葉。(苦笑)

 

それに対抗するように私が返しました。

「月給4万元(60万円)払ってくれたら1年間指導に行ってやるぜ」

 

それから、ぷっつり返信は無くなりました。w

 

て言うか、ワタシ農家の次男ですがロクに家業を手伝いもしないで分家に出ちゃったので稲作なんか、なーんも知識がないヘタレ野郎ですねん。(爆)

 

余談ですが。。。

あれからプロフィール年齢、25才に変更してから小姐からリクエストが来るわ来るわ。成りすまし野郎からも輪をかけて大量に来るわ来るわ。(爆笑)

 

あれ?

折角くるりんさんに許可を頂いてリンク貼ったのに、記事を書いているうちに興奮しちゃってどんどん関係もなく取り留めもない結末になっちゃった。

 

チャンチャン! (;'∀')

 


16年前の思い出:アホな事していたなぁ

2020年07月17日 21時28分25秒 | この国の習性

みなさんの週末の暇つぶしのお役に立てるかどうかは分かりませんが、

頑張って早めに更新いたします。

 

今回も、思い出話の再編集版。

 

 

2004年6月

 

警備をあざむき不法侵入!?

 

 

寝泊りしているのは工場。

そこに保安(警備員)がいます。

中国では皆そうなのか定かではないが、TEDA開発区では各企業に警備本部から定期的のローテーションで派遣されているのか、人力資源(ハローワーク)から募集するだけなのか分からないが、

3ヶ月くらいで定期的にメンバーが変わるかと思いきや、1年以上ずっと居座るやつもいる。(笑)

 

工場の宿泊では夜の娯楽がないので、毎夜、警備員室に遊びに行きます。

唯一の楽しみのネットは、電話回線を使ってダイヤルアップで国際電話でアクセスするしかない時代なので高額な料金がかかってしまい、仕事以外では極力使えないのです。 

 

こんな通信方法いまの若者は分からないかな (;'∀') 

 

Wi-Fi なんか無い時代なのです。

 

 

ウチの工場に居る警備員は20代がほとんどですが、日本人が珍しいのか人なつっこい人間ばかり。

 

【キザな保安】

 いつもポロンとギターを弾いているキザなヤツ。 

夜勤の時は会社寮に住み込みの彼女を呼び、警備室がいつものデートの場所だ。

 

 

【人一倍なれなれしい保安】

「旅の指さし〇〇語」1冊持ち込んで、彼と指差し会話するのです。(笑)

 

ある日の夕方、

私が一人で工場を脱出して夜遊びしようとすると、

一人で外出はダメだ! 危ない。

と、言っているっぽい。

 

俺の警備の勤務があと1時間で終わるから一緒について行くと言い、私が 脱走 外出しないように電動の門を閉める保安クン。

 

ある休日、一緒に街に出ると人混みを歩く中、ひっきりなしに私の財布の入った尻ポケットを触って監視し、スリ対策の警備をしてくれます。

最初はうっとうしいなあと思っていたが、一緒に行くと結構使えるのです。

※ 触られたシリが気持ち良い訳では有りません。w

 

通訳ではないので言葉が通じません。自力で必要な物を探さなくてはいけません。

でも見つけた品物を私の指示通りに一生懸命値切ってくれてラクー♪

値切る特、日本人の私がツレだと分ると足元を見られるので私は他人を装ってその場を離れます。

このようなやり取りは言葉が通じなくても意思疎通出来てしまうのは面白いですねー。

 

ある買い物帰りにポケットの中を探ったら細かいお金が8元しかない!

この頃にこの警備員に、尻ポケットはダメだ。財布はスラれるから裸ゼニを前ポケットに入れろと教わりました。w

 

タクシーでメーター起こすと工場まで15元のところ、いつも10元の相場に値切って帰っていたので、8元では足りない。

 

しょうがないので別ポケットをゴソゴソと探り100元札を準備していたら、保安クンは何台ものタクシーに断われながらも、とうとう破格の値段の8元で交渉成立させてしまった。

日本人にすれば、たった2元(約30円)のために20分位の時間を費やすのもどうかと思うが、彼の立場だと値切った2元は、たぶん本人の時給とほとんど変わらないんだよね。

当時、うちの工場でバイト君で月給1万円ちょっとくらいでしたからねー。

 

手間をかけてもワリに合う訳だ!

 

そして、その彼は 石炭掘るために 故郷に帰りました。

 

 

 

いよいよ、不法侵入!! 

なのであります。(笑)

【アホな保安】

出かける時は何も引き止めないし、深夜に警備室の目の前までタクシーで乗り付けて帰ってきても電動の門を開けないので自分でこじ開けて中に入るのです。

 

すると、口をあけたまま居眠りしている保安クン! 

彼を起こし、工場玄関のチェーンロックを開錠してもらう。

 

ある日、深夜に帰って来たら、彼は今晩も居眠りしてゼンゼン警備の役に立っていない。

 

チョットいたずらしてやれと思い、 いつものように電動門をコッソリすり抜け、試しに玄関に向かいチェーンロックの状態をチェック。

 

ドアの取っ手に巻いていたチェーンの巻き方が甘かった♪♪

 

役に立たない 保安くんを起こすと悪いので、そーっとチェーンを外し、観音開きのドアの内側からチェーンをゆるゆるに巻いて自分の部屋に侵入成功!

 

翌朝、

出入り日報には日本人は出かけたままになっているのに、私が2階の部屋の窓から保安に向かって

ニイザオ!! おはよー

 

保安くんの目が点になっていた!!

 

 

翌日も飲みに行って遅くなってしまった。

※ 連日、倶楽部活動していました。(笑)

 

前日の手を使おうと思ったら、今回はチェーンがキツキツ巻きになっていて玄関に入れない。

 

シマッタ 侵入手口がバレた!!(笑)

 

さてどうしよう、

アホな 保安は起さずに入る所はないかなぁと工場の外周をグルグル回り、窓を調べるが、サッシはさすがにロックが掛かっている。

 

が、しかし ・ ・ ・ 

社員食堂の窓の建て付けが悪くてロックが掛かったままのサッシが1セット丸ごと外せる~~♪♪

 

 

まんまと2回目の侵入成功!

 

翌朝、保安くんは

超・目が点!

 

理由は分からないが

次の日、

その保安くんは欠勤しました・・・

 

そして彼は、その日を境に2度とウチの会社に現れることはありませんでした。(汗)

 

しかし、VIP待遇の日本人が何で自分の部屋に入るのにアホな事してるんだろうね

(-_-;)

 

 


17年前の思い出:水つながり

2020年07月11日 16時52分19秒 | やっちゃったよ

2003年6月
ついに、その時が来た! 

 

今回の事件は訪中4回目の出張で起こった。

 

先回の書き込みの続きであるが、その総経理の 隠し部屋 昼寝部屋 にはちゃんとTO〇Oの洋式水洗トイレ、洗面台と、浴槽もあるのだが、いかんせん給湯設備の配管設計までは把握していない。

シャワールームは昼寝部屋と同じ2階にあり、真下には住み込み従業員用のシャワールームが有りまして、出張者の間でどうやら 温水器は一階に1個しかないらしい と言う噂が チラホラ・・・

 

下は、新工場の温水器の参考画像。
「右上の白いヤツ」が温水タンクで、使った分を自動で給水し随時沸かし始めます。


こんなちっちゃいタンクじゃあ一人で温水使い果たしちゃうじゃねーかよ。

 

ナンカ いやな予感 ・ ・ ・


でも、その時はそんなウワサもすっかり忘れていて、夕食後にシャワーを浴びに行った。

頭を洗いシャンプーをすすぎ終わり、そしてボディーシャンプーでシャカシャカ洗う。

さて、洗い流そうと蛇口を回して温水を出して温度を確め、さて体を洗い流そうと思った
瞬間!!  

階下からキュキュッと蛇口を回す音が・・・

あぁぁ~~

温水は止まり、ワタクシは泡だらけのまま、途方に暮れて一人たたずむのである。

黄色いところが私のシャワールーム。
下のドア二つが住み込み男女のシャワールーム。

 

下で使われたら温水は2階になんか上がってこね~~よ!!


あれから何分経ったのだろうか? 

体の泡も粘ついてきたよぉ~ (・_・、)


そして


やっと出た~~♪♪

 

でも、

水~~~!!!


あの日以来、
シャワーを使うのは人も寝静まった深夜か早朝にすることに決めたのである。


たまには、ちゃんとしたホテルに泊まりてぇ~~

 


て言うか、新工場のシャワールームの方がグレードダウンしてるじゃねーかよ。
温水器は自分専用だから何時でも温水ですがね。

 

更に思い出は続く。

思い出しかねーけどね。。。


18年前の思い出:頭ぶつけちゃった!

2020年07月06日 21時38分05秒 | キケンなもの

今回も18年前の初めてのチャイナ生活ドタバタ劇をお送り致します。

 

当時、綴った言葉に最近思う言を加筆修正してお送りいたします。

 

 

2002年6月
ここは天津TEDA開発区第七と第八大街の中間、うちの旧工場の出入り口にあるコンビニ。


赤い夏利(ダイハツシャレード中国版)の向うにある白い小屋のようなものがソレである。


店内には入れなく、小窓からのぞいてアレが欲しいコレをくれ! と注文するらしい。

 

当時、中国一年生の私はしゃべれないので怖くて店の中をのぞけませんでした。w


2年後、新工場に移転した後に偵察したところ、もうそこにはお店はありませんでした。

 

日本では足袋で有名な工場も斜向かいにありましたが、うちの会社の大家さんの工場も
移転しちゃったのでお客が減ったためだと思われますが、ほっ立て小屋なので移設は簡単です。



ここは2004年に移転した新工場の御向かいのデラックスなコンビニ。


結構品揃えが良く、たばこ・酒・(茶糖=お茶とおかし?)
日用品・食料品、飲料、(冰镇啤酒 = 冷えたビール)、(醤制品=調味料?)


なんでもあるように書かれています。


が、

冷えたビールは期待できません。

買った事は無いのでホントに冷えているかもしれません。 (;'∀')


そしてまだ、店舗内には入れないようです。

当時、デパートとか大きなスーパーはほとんどの商品に万引き防止タグが付いていて、さらにめんどうくさい事に、清算後の出口で警備員が買った商品とレシートの照合を しやがる。チェック。

 


そしてまた、2002年に舞い戻ります。

 

スーパーマーケット=中国語で超市・・・そのまんま。

ココはさっきのコンビニより大きなスーパーですが、工場から歩いて30分はかかります。


1ヵ月も滞在していると爪が伸びて気になるので、爪切りを買いに繰り出したのです。

 

ここはマンションの1階で割と大きなスーパーでお客が店内に入れます。

そして品定めをしてレジに持って行きました。

レジの店員が指2本を見せながら、なにかしゃべっていますが聞き取れません。

2元を差し出すと、

店員は「りあんもー」

2もー? 毛?? 

なにそれ? 

もうしようがないので、いくらも入っていない財布の中を店員に見せて、欲しい金額を取ってもらいました。

2角(3円)?!

安い!!


「角」の書き言葉が、話し言葉になると「毛」になるんですね。


懐かしい 「初めてのおつかい」でした。

 

そして中国語を喋れないのでタクシーに乗れません。


バスの停留所もわからないし、行先もわからない処か自分の工場自体がココは何処? なのでとても一人でバスになんか乗れません。(爆笑)

いや、当時は笑い事では有りません。死活問題なのです。

 


そしてある日、私が現地社員と街に向かって流しのタクシーを探しながら横断歩道を渡っていると。


交差点のど真ん中でバスが急停止、

いきなり開いたドアから車掌にポン引きされてバスに引き込まれるのであります。(笑)


それがこんなバス。

田舎―のバスはおんぼろ車♪

シートは穴だらけでホコリまみれ!!

そして街に向かって爆走開始!


アクセル全開で道路のところどころにある穴ぼこに突入して、私はバスの天井に頭をぶつけてしまいました。

いってーー!!

エアポケットか??(笑)

振り落とされては困るので、必死にシートにしがみつきます。


頭を打った衝撃 より心に受けた異文化の衝撃 の記憶が今でもくっきり残っています。

 

2010年4月で、こんなバスです。

 

当時はもっと小さい、もろマイクロバスみたいなやつなのでスピードは出ます。(笑)

 

思い出はつづく。。。。。