Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

NHK【山の分校の記録(総集編)1959年の栃木県土呂部部落の貴重な映像

とても貴重な動画がNHK for School内にアップされていた。

タイトルは、「山の分校の記録(総集編)」だ。

NHKの動画サイトはこちら

この動画を見た人の記事はこちら

この動画の舞台は、1959年頃の栃木県土呂部だった。

google mapで見ると、今でもかなり森の奥深くという場所だ。

そこの「土呂部」の子どもたちが小さな分校で学ぶ様子が記録されている。

この動画を見た時、今の中国の山奥深くの貧困地域の人々が集団移住するドキュメンタリー「離郷、そして...〜中国 史上最大の移住政策〜」(NHK BS)を思い出さずにはいられなかった。


第34回ATP賞ドキュメンタリー部門優秀賞受賞。へき地に住む農民1000万人を村ごと都市近郊に移転させる、中国史上最大の移住政策。その実情を1年にわたって記録。

いま、中国でかつてない規模の移住政策が進められている。へき地に住む貧困層の農民1000万人を村ごと都市近郊に移住させ、貧困問題を一挙に解決しようという試みだ。貧困層を市場経済に組み込むことで、経済の底上げにつなげるのがねらいである。番組では中国西北部の寧夏回族自治区、半子溝村の集団移住を1年にわたって記録。前編では、故郷を離れる人々の期待と不安、後編では、都市郊外の新天地での厳しい現実を描く。

引用元はこちら


今の中国で起こっていることと、かつての日本で起こっていたこと。

貧しくも自律的に生活を送っていた農村部の人たちが、「近代化」の波にのまれ、都市部に移り、他律的な生活を余儀なくされていくその「歴史的プロセス」。

教育は、子どもたちを「解放」するとともに、「都市部への人口流出」に一役買ってしまったという現実。

上のNHKの動画「山の分校の記録」は、メディアを使った教育が美しく?描かれているが、その一方で、子どもたちが自分たちの「故郷」を捨て、都市部に流れゆくきっかけも与えている。いいか悪いかは別として、教育が「近代化」や「都市化」に貢献してしまったその現実が見えてくる。

今の中国の半子講村(貧困農村部)で起こっていることも、まさにそういう「近代化」のプロセスとも言えなくもない。

「今よりもマシな生活がある」と信じて、都市部に移住する。でも、そこには、「これまで以上の過酷な生活」が待ち受けている。都市部では、誰もが「コマ」「パーツ」になり、分業化された世界を生きなければならない。生活するだけでお金がかかる。自律的な生活はそこにはない。でも、それでも、移住した人たちは、「前の生活には戻りたくはない」と言う。

1950年代~60年代の日本もまた、そういう過酷な生活を(当たり前のように)過ごしていた地域がいっぱいあった。10年前に『学校という対話空間』という本を書いて、そこでも書いたけど、その当時の日本は、まだほとんどの人が第一次産業で生計を立てていた。高校や大学に行く人は多くなく、中学校を出て、そのまま社会の中に放りだされていた。(そんな話を学生にしても、「うーん…」って感じで、なかなか伝わらないのが現状だ)

この動画は、まさにそんな時代の、しかも「栃木県」というそれほど首都圏から遠くない場所で起こった出来事を克明に残してくれている。

Windows95が出て以降、社会がどんどん加速していき、過去へのまなざしが消えうせ、ますます「今」に縛られているように思う。毎日、情報が滝のように流れ、それに追いつくのも困難だ。YouTubeを見れば、次から次に「動画」が配信され、それを見るだけで1日が終わってしまう。

どんどん世の中が「加速」している。加速主義(accelerationism)という言葉も今、現代思想の中で注目されている。アクセルを全開にしてどんどん今のこの資本主義を突き進め!(そしてぶっ壊れろ…)というちょっと怖い思想?だ。

そんな時代だからこそ、「過去」に目を向ける必要がある。

これまで、特に戦後の75年、日本はどういうことをしてきたのか。どういう道をたどってきたのか。かつてわれわれはどんな生活を過ごしてきたのか。それはいったいどういう帰結を迎えたのか。

今のこの現代の生活が、もはや成り立たなくなろうとしている今、過去をみつめて、この不気味な現代の生活をどう変えていけばよいのか、考える時期に来ているように思う。

一日にどれだけの「食料」が廃棄されているか。どれだけのエネルギーを消費しているか。どれだけ僕らが「資本家たち」に搾取されているか。どれだけ無理な生活をしているか…。大量消費、環境破壊、貧困格差…

もちろん、もはや1950年代に戻ることはない。

けれど、その時代から、その当時の栃木県の「土呂部地区」から、今のこの時代を考えることはできるだろう。また、「半子講村」から今の日本を考えることもできるだろう。

僕自身、その三世代前に遡れば、秋田、福島、山梨、鹿児島にいた人間の子孫だ。僕とて、首都圏の(縁もゆかりもない)千葉にのうのうと住んで、現代的な生活を過ごしている。

もう秋田にも福島にも山梨にも鹿児島にも、なんのツテもコネもない。親しい親族が住んでいるわけでもない。戻ろうにも戻れない。もう、三世代前にも戻ることができないのだ。

45歳を過ぎて、僕も自分の「これから」を考えるようになった。このまま「千葉」にいていいのかどうか、も。僕の仕事は、幸いにも、千葉でなくてもできる仕事だ。

日本中を色々見てきたからかもしれないけど、今とは違う、千葉とは違う世界で生活してみたいという気持ちもますます強くなってきている。(現実的にはなかなか簡単に移住はできないけど…😿)

この動画(山の分校の記録)を見て、なんか色んな意味で、すごく考えさせられた。

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