「政府は待機児童を解消するために、幼稚園と保育所の機能を一体化させた施設、「総合こども園」を創設することを柱とした新たな子育て支援策を決定し、必要な法案を消費税率を引き上げるための法案と一緒に国会に提出することを確認しました。」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120302/t10013428321000.html
総合こども園の話は、この業界ではずっと議論されていたことです。保育園と幼稚園の統合の問題は、それこそはるか昔から議論されていました。僕も最初は、なんで二つあんねん!って思っていましたが、欧州の状況を見ると、どちらも必要だなぁと思うに至りました。
が、ここにきて、統合化の話になっています。有識者はどう答えるのでしょうね。一つだけ言えることは、ドイツにも、Kindergartenの他に、Kita(Kindertagesstaette)があり、幼稚園的施設と、保育園的施設があります。が、日本とは区分けの仕方が若干違っています。幼稚園が保育園化するというのは、ちょっと理屈が違うように思います。
この総合こども園化の背景にあるのは、ずばり「待機児童」ですね。実際、子をもつお母さんたちの話を聞くと、とにかく保育園に入れない、という状況があります。悲惨です。悲劇的に「ない」のですから。保育園に入れたくても入れられない。上のお兄ちゃんが入れなくて、下の弟が入れるという変な事態も起こっています。
その背景にあるのは、父母が共働きであること、そして祖父母と同居していないということがあります。家族の形態が変わり、子どもを見てくれる人が劇的にいなくなった。そして、母が働かないとやっていけない家庭が増えた。一世帯の構成員数が多ければ、それだけ支出は減ります。が、今の若いお父さん、お母さんは、祖父母たちと一緒に住みたいとは思いません。となると、必然的にお金がかかる。母親も働きに出なければならない。そういう家庭が、かつてとは比べ物にならないくらいに増えているのです。その「対処療法」が、この総合子ども園なんですね。
家族形態の変容と労働環境の変化が、急激に家庭の子育て力を奪っているのです。もはや、保育園を必要としない家庭がどれほどあるのか。そこには、「格差」の問題もあり、深刻です。超金持ちなら、ベビーシッターでしょう。裕福な家庭であれば、母は専業主婦としてやっていけます。けど、そういう家庭は一部です。しかも、このご時世。夫の収入がいつまできちんと保障されているのか、不安定です。となると、母は働かざるを得ない。
これは、家庭の問題でありながらも、極めて政治的な問題です。「家族の子育て機能を奪った社会」で、どう子育てを行うか。
そこで、問題となるのが、「保育士欠如」です。本来なら、そのほとんどが家庭で担われていた子育てが、いよいよ「外部発注」の時代になりました。僕らの親世代=団塊世代の子育ては、団地で、みんなで、というものでした。ほとんどの母が、「専業主婦」になれました。そして、団地という連帯もありました。経済は右肩上がりでした。バブル一直線でした。女性の社会進出もまだまだ一部の出来事でした。その頃は、保育園は、それこそ保育に欠ける家庭の補助的施設として、十分にまかなえていました。しかし、今日は違います。保育士をいくら育てても、足りないのです。僕はその当事者ですからね。実際、「こんなに保育士がいて、まだ足らんのか!?」って思います。
実際、就職率は半端なくいいですからね。しかも、募集人数も増えています。増えているからといって、いい人材(の可能性をもつ若者)が多く集まっているとはかぎりません。かつての「デモシカ教師」なみに、「保育士でいいかー」という程度のモチベーションの若者も少なくありません。そのモチベーションを高めるのが僕らの仕事になるのかもしれませんが、、、
いずれにしても、保育士資格をもつ人は増殖しています。保育士養成課程をもつ学校は、専門、短大、大学とたくさんありますし、毎年、膨大な量の「保育士」が生まれています。
それなのに、「足りない」。どういうわけか。
先ほど、NHKのニュースでも挙げられていましたが、保育士の「劣悪待遇(低給与)」という問題があります。保育士の給与はとても安いです。テレビの情報だと、32歳で平均月額22万円。ボーナスを入れても、300万円になるかどうか、というレベルです。労働時間を考えても、これはとても割に合わない。それでも、就職してくれるのだから、若者たちは偉いと思います。保育園のニーズが高くなっているのは、社会の問題であり、政治の問題です。責任です。ならば、その責任を果たすためにも、保育士の給与をあげることは必須だと思います。
現在、保育園就職を回避する学生が増えている、というレポがありました。千葉の淑徳大学の学生が登場していました。「仕事と給与が見合わない」、と言っていました。つまりは、「そんな給与じゃ、やりたくてもやれない」、と。かつては短大生がほぼメインだった保育業界ですが、高学歴化がすすみ、大卒の保育者も増えました。けれど、学歴が上がるということは、給与面での要求も高くなります。「大卒なのに、その給与?」、みたいな感じですかね。
大卒になると保育士じゃ満足できなくなるんですね。給与面でも、仕事の内容的にも、過酷ですからね。保育士という仕事は。労働時間も、近年は広がる一方です。24時間保育を行っているところもあります。それでいて、月20万いかない、となると、保育園を希望する若者はいなくなります。
けれど、今の財政状況で考えると、保育士の給与をあげることはかなり難しい。全体的に、一部の勝ち組をのぞいて、希望が全く見えないほどに給与が上がらない時代です。組合の力も弱くなり、非正規雇用も増えました。「格差」はますます広がっています。裕福層も貧困層も共に増大している時代ですからね。生活保護受給者の数も止まりません。高齢社会も止まりません。社会保障費は膨れ上がるばかり。経済成長もとてもじゃないけど見込めない。公務員批判はとまらず、政治は混迷。そうなると、とてもじゃないけど、保育士の給与をあげるというのは極めて難しい。
となると、大卒の保育士は期待できない。大学院卒の保育士なんていうのは、よっぽど変わった人以外は期待できそうもない。専門学校や短大で保育士を取得する学生に期待するしかないんですね。あるいは国家試験をクリアした保育士資格者。NHKのレポは、見事にそのことを示しました。(淑徳の某ゼミでは、保育士資格取得者5人で、保育園就職をする人はゼロなんだとか!)。
保育士を増やすことも大事な政策問題でしょう。ですが、今の時代、保育士は飽和状態です。資格だけのペーパー保育士もたくさんいます。抜本的には、「子育てをどうするか」という大問題があるはずなんです。子どもの側からしても、保育園よりは、家で日々の生活を送りたいはずです。理想論ではありますが、「どうしたら、多くの子どもが家でのびのびと幼少期を過ごせるか」、ということがもっと議論されるべきです。
その先には、どうしたら崩壊した家族を再構築するか、という問題があります。家族の構成員の数が多ければ、幼稚園で十分間に合います。母親が無理なく労働しながら、子育てできるために、どうしたらよいのか、もっと議論すべきでしょう。間違いなく、子どもはお母さんと一緒にいたいのです。お母さんと引き離されて喜ぶ子どもはいません。保育者がダメというわけではないです。が、やはり子どもにとっては、お母さんのそばにいるのが一番なのです。
問題が、待機児童に集約され過ぎているのは、ある種の「わな」だと思います。
経済的問題も大切です。が、子どもの生活の問題は、僕らの国の水準の問題であります。また、この国の未来の問題でもあります。
少なくとも、僕は、義務=強制で行かされることになる学校に入るまでは、のんびりと家で愛情たっぷりの中で育ちたいですね。理想論です。が、その理想がなければ、ほとんどの子ども=将来の大人が、家庭の愛情の温かさを知らない人間だらけになってしまいますよ。それでよいのでしょうか。
家庭のぬくもり、親の愛情、安心感、信頼感、そういうものを知らない大人だらけの社会なんて、僕は嫌です。怖いです。住みたくないです。きっと、他の人もそう思うと思います。
そういう視点で、この問題はもっと議論されねばならないと思いますね。
僕のアイデアとしては、家族の構成員の数に応じて減税するとか、一世帯あたりの構成員数に応じて住民税等を変えるとか、そういう政策変更が必要かな、と思います。大事なのは、「絆」でしょ(?!)。ならば、まずは、「拡大家族」にメリットを与えることが必須だと思います。「核家族信仰」を捨てる、ということです。離婚家庭であっても、引き取り手の側の親が同居した場合には、構成員数は増えます。あるいは、「二世帯同居優遇措置」みたいなもの? とにかく、現代社会では、父母にかかる重荷は半端ないですから、それをまず軽くして、実父母に限らず、子育てに多くの人がかかわれるように、システムを変える必要があります。
「子育て環境を再構築する」という目標がない限り、対処療法からは抜けきれないと思いますね。