Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

■I.イリイチ「シャドウ・ワーク」■これは面白い!

『脱学校の社会』で有名なI.イリイチは、「シャドウ・ワーク」という短い論文の中で、「根本的に分岐している労働の二つの類型」について論じている(『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う、岩波現代文庫)。この労働の二つの類型は、「産業的生産様式の中に暗黙に存在するもの」であり、また、現代社会においてとりわけ先進国の中で問題となる類型である。では、イリイチの言うところの暗黙に存在する「労働の二つの類型」とは一体何なのか。

それは、「支払われる労働」と「支払われない労働」の二つである(p.207)。イリイチ自身何度も繰り返して注意を促しているが、「高賃金の労働」と「低賃金の労働」の二つではない。そうではなく、≪給与が支払われる労働≫と≪給与が支払われない労働≫の二つである。イリイチがこの短い論文の中で明らかにしようとしたのは、後者の「支払われない労働」についてである。そう、この支払われない労働こそがシャドウ・ワーク(shadow work:影の労働)なのである。そして、重要なのは、このシャドウ・ワークが、「賃金が支払われていくための条件」(p.209)になっている、ということだ。

イリイチにとって重要なことは、この支払われない労働が、「賃労働を補完する労働」となっており、賃労働と同様に、「生活の自立と自存を奪いとるもの」(p.207)になっている、という点である。つまり、支払われない労働(例えば家事)が大切だということを言いたいのではなく、そ無賃労働であるシャドウ・ワークそれ自体が、家族の自立を奪っている、ということを述べたいのである。シャドウ・ワークの本質を捉える上で、「それは、人間生活の自立・自存の活動ではない」(p.208)、ということが理解されねばならないのだ。

では、具体的にシャドウワークとはどういう労働か。

イリイチが挙げる例は、「女性が家で行なう大部分の家事」、「買物に関係する諸活動」、「家で学生たちがやたらつめこむ試験勉強」、「通勤に費やされる骨折り」などである。簡単に言えば、家事、買い物、勉強、通勤、これらがシャドウ・ワークの中身である。一般には、家事、買い物、勉強はとりわけ女性・子どもに与えられるシャドウ・ワークで、通勤は男性に特有なシャドウ・ワークと考えられる。

日本には、たしかに通勤に要する時間が合計4時間(行きと帰り)を超える人もたくさんいる。当然、通勤にかかる時間に対してお金が支払われることはない。4時間×5曜日×4週×12ヶ月は、960時間である。これを自給1000円に換算すると、96万円である。これに35(年)掛けると、3360万円だ。当然ながら、この金額が通勤者に支払われることはない。これが「支払われないワーク」である。

当然、この通勤というシャドウ・ワークは、経済活動を支える労働であるし、また賃金を得るための条件である。通勤を拒否するものが賃金を得ることはない。つまり、労働するためには、これを拒否することは許されず、完全に服従しなければならないのである。イリイチは、このシャドウ・ワークを、「懲役はもとより奴隷や賃労働とも異なる独自な束縛の形」(p.209)と呼んでいる。

さらには、「押しつけられた消費のストレス」、「施療医へのうんざりするほど規格化された従属」、「官僚への盲従」、強制される仕事への準備、通常「ファミリー・ライフ」と呼ばれる多くの活動」も、シャドウ・ワークの一部である(p.208)。

つまり、イリイチに言わせれば、シャドウ・ワークとは、生活の自立・自存と切り離され、賃労働と同様、われわれに強要し、束縛する労働でありながら、決して表に出ず、絶えず隠蔽されるような労働、ということになるだろう。「押しつけられる消費ストレス」というのは、まさに近現代ならではのストレスであるし、たしかに誰もが経験する行為でもある。

***

イリイチは、この論文の中で、このシャドウ・ワークがいかに作られてきたのかを歴史的に検証していく。「労働」概念がどのようにしてわれわれを縛りつけるようになったか、そして、いかにして女性がシャドウ・ワークに縛り付けられるようになったかを明らかにしていく(pp.210-225)。そして、「男性の美しき所有物」になった女性が、家庭内に「囲い込」まれていくプロセスを描く(pp.221-233)。かくして、男性は外で働き、女性は家で夫子の世話をするという幻想、つまり「男性はなによりもまず生産者であり、女性はなによりもまず私的な家庭内で生計をやりくりするもの」という幻想が作られたのである。 

このことを踏まえたうえで、イリイチは、シャドウ・ワークが隠蔽される4つの神話を取り上げている。

①【生物学者による隠蔽】
生物学的な覆い隠し(オス=狩り、メス=巣を守る)。これはよく言われているところのものである。

②【マルクス主義による隠蔽】
「シャドウ・ワーク」と「社会的再生産」(生産と再生産、賃金労働者と家を守る人)の混同という幻想。社会的再生産という言葉は、「マルクス主義者たちによって、自分たちの労働概念に合致しないような活動ではあるが、たとえば賃金労働者のために家を守るといった、必ず誰かがしなければならない種々雑多の活動を名付けるのにしばしば使われる、適切さを欠いたカテゴリーである」(p.226)。この概念を用いてしまうと、教師やソーシャルワーカーのような「非生産的賃労働」(同)との区別ができなくなるし、また、イリイチが評価する「女性が生活の自立・自存の経済のためになす基本的できわめて重要な貢献」と、彼が批判する「女性が産業的労働の両生産のために無報酬で徴用されること」の違いを示すことができなくなる。

③【経済学者による隠蔽】
貨幣で市場の外部の雑多な行動様式に価格をあてがうという神話。そして、家庭内のワークにまで、貨幣的価値をあてはめようとする神話。

④【フェミニスト主流派による隠蔽】 
フェミニストたちが叫べば叫ぶほど、「現代の女性は、経済的見地からみて報酬が支払われていないということに加えて、人間生活の自立・自存の見地からみても実を結ばない労働を強いられており、そのために足腰の立たない不自由な人にさせられているという事実」が隠蔽されてしまう、とイリイチは考える。なぜなら、女性中心に考えるフェミニストたちは、自分たちの「支払われない労働の不名誉性を公けにする」だけだからである。

***

イリイチは、フェミニズム研究、またそれ以後の最近の研究を取り上げながら、かつて自立・自存していた女性が、徐々にシャドウ・ワークへと排除されていった過程を描こうとする。かつて「女性は、男性に劣らず、家計の自己充足性をつくりあげることに積極的に活動した。女性は男性とほぼ同一の収入を家庭にもちこんだ。女性は経済的に、まだ男性と同等の地位を占めていた」(p.232)。だが、「職務解任」された女性は、「いまでは就労前の子供たちが住み、夫が憩い、夫の所有が消費される場所の守り役となった」(同)。すなわち、従属的なシャドウ・ワーカー(影法師)になった、というわけだ。

彼は、このシャドウ・ワーカーについて、こう提案している。「私は<シャドウ・ワーク>を、現代の家事をひな型とする社会的現実を指し示す用語として提案したい」、と(p.234)。

賃労働も、シャドウ・ワークも、共に近代化の流れの中で作られてきた「労働」である。かつてはどちらも存在しなかった。「生活の自立・自存」が解体し、それに変わる形で、賃労働が生まれ、それをうまく機能させるためにシャドウ・ワークが作られた、と。

そこで、彼がたどり着いたのが、「ヴァナキュラー」という概念だった!!

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