Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

恋愛交差点14-夫婦とはいったい何なのだろうか?

家庭支援論の講義の中で、「夫婦」について議論しました。

夫婦は、連載「恋愛交差点」の中に入れられる話かと思いまして…

恋愛交差点14-夫婦とはいったい何であろうか?

として、お届けいたします!

恋愛交差点13はこちら

で、、、

上の写真は、僕が理想とするドイツの祖父母(夫婦)です💛

もう15年以上、ずっとお世話になってきた僕のおじいちゃんとおばあちゃん。

実の父母と同じくらい素敵だなぁって思う「お手本」の夫婦です🎶

というわけで、、、


前回の講義で議論したように)戦争のトラウマを抱えながら、そこから逃避するかのように、戦後の日本人は「経済」のことだけを考えてきた。「家族」は、まさにその「経済」を発展させるための「機能の一部」として都合よく利用され、多くの女性が「専業主婦」として家庭に閉じ込められた。そして、バブル景気が終焉した頃から、その家族が壊れていることに気づき始めた。

では、その解体した「家族(Family)」とは何なのか。Familyという小さな共同体はいったいどう語り得るのか。今回は、このFamilyという共同体の主たる構成員である「夫婦」に焦点を合わせて、こどものいる家庭の問題を考えてみたい-今日の社会には、男女のペアではない夫婦もいるが、そういう夫婦(男男・女女)も、「こどものいる家庭」の主たる構成員であることは変わらないので、男女の夫婦に限定して話をすることはしない。だが、便宜上、男女の夫婦という前提で話を進めていく-。

夫婦は、日本や欧米では、「一人の男性」と「一人の女性」の二人の人間がパートナーとして法的に認められた関係である-欧米では、既に同性婚(Same-sex marriage)が合法化されている国も多々ある-。この夫婦という関係は、法的な関係となる。法的な関係となることで、様々な義務が発生する。

民法752条を見てみよう。

【同居、協力及び扶助の義務】
第七百五十二条 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。

夫婦は、同居しなければならず、互いに協力し合わなければならず、そして扶助し合わなければならない。これを正当な理由なく拒否すると、「悪意の遺棄」とされ、裁判上の離婚の原因となる。悪意とは「夫婦の関係が破たんすることを分かっていること」を意味し、「遺棄」とは、「夫婦で同居しない」「(主として夫が妻に)生活費を渡さない(家計に入れない)」といったことを意味する。故に、「出ていけ!」とか「出ていく!」とかと叫ぶことは、「同居義務違反」となる。当然ながら、夫婦以外の誰かと「不貞行為」をすることも民法上の違法行為であり、裁判上の離婚原因となる。

離婚の条件についても見ておこう。みなさんも是非この以下の5つの要因を覚えておくとよいだろう。

第七百七十条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
一 配偶者に不貞な行為があったとき。
二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。
三 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。
四 配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
五 その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。

若いみなさんにはピンとこない話かもしれないが、想像はできるだろう。結婚相手が自分以外の誰かと不貞な行為をした時、上述したように悪意の遺棄をした時、いきなり何も言わずに家を出ていって3年以上経ったとき、更には相手が強度の精神病に罹患し、回復する見込みがないとき、あなたは「離婚」の訴えを法的に提起することができるのである-これは、法的に皆に与えられた権利と考えてよいだろう-。

以上のように、夫婦には、法的な義務がいくつも発生し、それを怠れば、夫婦はどちらも、相手から離婚の訴えが提起されることになる。(とても面倒くさいものだ…)

故に、夫婦というのは、基本的には(しかし根本的ではないが)、法的なものであり、恋心とは関係のないものなのである。恋心がなくても、同居し協力し扶助し合うことができるならば、夫婦にはなれるのである-それが深い意味での「愛」であるとも言えよう-。もっと単純に言えば、「一緒に住んで、協力し合えて、共に扶助し合える相手」であれば、破たんすることなく、夫婦関係を営むことができるのである。…もしかしたら、愛も恋心もないほうが、よりよい夫婦関係を永続的に営むことができるのかもしれない。(法的には、(法ゆえに)「愛情の有無」や「恋心の有無」は夫婦に求められていない!)

家族の解体は、まさに夫婦が「共にパートナーとして暮らし、協力し合い、扶助し合うこと」ができなくなったということに起因していると言ってよいだろう。

上智大学の故長島氏は、夫婦について次のように語っている。


愛することを学び合う家庭には、共に人生の共同者(パートナー)として認め合う全人格的な関わり(total commitment)の中で、いかなる時にも生きることのすべてを分かち合おうとする愛の豊かさが実現します。しかし、家庭から愛が失われるとき、火の消えた暖炉のように、耐えがたい冷気と寡黙が空間を包み、愛されないことの孤独、怒り、絶望などの否定的な感情が家族のこころを支配し、家庭は「死や破壊性」の住みつく廃墟と化すのです。(長島正、『愛とケアの人間学』、2011:142-143)


「人生のパートナーとして認め合う全人格的な関わりの中で、すべてを分かち合おうとする愛の豊かさ」、という言葉に、若者たちの「恋愛」にはない「愛」の重みがずしんと感じられる。

しかしながら、かつての夫婦が(今の夫婦のように)きちんと共に暮らし、共に協力し合い、扶助し合っていたかというと、そうとも言えない。実際には、一方が耐え忍び、我慢し、声を上げることが簡単でなかったから、維持できていた、と言えよう。もちろんその「一方」とは、女性たちである。

「専業主婦」の時代は、専業主婦ゆえに、女性の方から「離婚」を切り出すことは容易でなかった。なぜか。離婚をしたら、収入がなくなり、食べていけなくなるからだ(子どものいる家庭の主婦はなおさらだろう)。労働市場に男性しかいない時代には、男性より学歴の低い女性が(子を育てながら)十分な給与を得ることは、何よりも難しかったーゆえに、働くだけの夫と専業主婦という「昭和スタイルの夫婦像」もまた、「経済最優先」の戦後日本にとってとても都合のよいものだったと言えるだろう—。

こうした状況が一変するのは、「女性の大学進学率」が上昇し、「女性の社会進出」がある程度実現する頃である。バブル崩壊後の90年代である。

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=40102?site=nli

女性の大学進学率が短大進学率を超えたのは、1996~97年頃だと分かる。これ以後、女性の大学進学率と短大進学率の差は広がるばかりである(短大卒の男性は常に少数派!)-それでも、世界比較で考えると、まだまだ女性の大学進学率は高いとはいえない-。

大卒の女性が増えたことで、「女性の社会進出」も発展する。女性が正規雇用で正社員になれば、経済的な自立はより実現可能なものになる。「夫婦共働き」という言葉も、90年代になって世に広まっていく。1999年に「保母」から「保育士」に名称変更があったことを考えると、まさに90年代に「夫婦共働き社会」へと変貌していったと言ってよいだろう

この頃、女性は、経済的自立だけでなく、精神的にも自立していく。柴門ふみの『東京ラブストーリー』(1988-、テレビドラマは1991年)の主人公の赤名リカ(鈴木保奈美)は、まさに「次世代型の自立した強い女性」のシンボルとなった。90年代は、「専業主婦」の幻想(共同幻想)が壊れ、「バリバリ働く自立した女性」が徐々に増えていく時代だった。こうしたことが、「保育士」誕生の背景にあることは他の講義でも聞いた話ではないだろうか。

女性が社会的な自立を果たすことで、上の夫婦の義務関係も変わってくる。かつての「専業主婦」だった女性たちが生活費を稼ぐようになり、「扶養し合う対等な関係」に近づいていくことになる。文字通り、「夫婦」の立場が対等になっていくのである-まだまだ真の対等ではないものの…―。更に、精神的な意味でも、夫婦の立場はより対等になっていく。

しかし、そうなると、今風の言葉で言えば、「マウントの取り合い」が生じることになる。旧式の男性は、マウントを取られまいと必死に自分の地位を守ろうとする。だが、経済的にも精神的にも自立した女性は、その男性の地位を奪還しようと努めることになる。

みなさんが生まれた2000年頃になると、夫婦の関係は、より緊張感のあるものになる-政治における「与党」と「野党」の戦いのように?!―。それと同時に、徐々に男性が「弱体化」していくことになる。「草食系男子」(2008年~)という言葉が生まれてくるのも、言うならば「時代の要請」だったと言えるだろう。みなさんが見ている「クラスの男子」は、既にもう「新しい種の男性」だったかもしれない。お隣の中国でも、「草食男」という言葉で今広まりつつあるともいう(90年代に僕がドイツに住んでいた頃、そのドイツの若い男性たちは既に「草食化」していたように思う)。

とはいえ、今もまだ「旧式タイプ」の「マッチョ(Macho)」(男の権力や男性性(Männlichkeit)を誇示したがる男)も多い。また、そういうマッチョに惹かれる女性も多いし、そういうマッチョこそが真の男性だと思い込んでいる女性も多い。夫婦関係においても、「旧式の夫婦」(マッチョ+専業主婦)と「新型の夫婦」(草食系+高学歴自立型女性)が入り乱れて存立しているのが、現代社会ではないだろうか。

以上のように、家庭における夫婦の関係は、時代の流れや変化と共に、大きく変化してきており、今後ますます夫婦のあり方も多様に、より複雑になっていくだろう。今回は家庭の大黒柱である「夫婦」に注目して、その変化を概観した。次回は、この夫婦関係に「愛情」や「恋心」が入り込んで来た経緯を、「家族史」の中から抽出して、「愛情に基づく夫婦関係」を徹底的に疑っていくことにしたい。きっとみなさんはこう思うだろう。「結婚するなら、恋愛感情のある人と結婚したいわ」、と。この「恋愛感情」が結婚の条件になるのはいつ頃だろうか。そして、そもそも、夫婦が成立する上で、「恋愛感情」は必要不可欠なものなのだろうか。

続く…

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