Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

シュテルニパルクとアウシュヴィッツ以後の教育-赤ちゃんポスト誕生の秘話-

こちらの記事の続きです

赤ちゃんポストを創設したシュテルニパルクが重視したのは、

「民主主義」と「自由」と「連帯

だけではありませんでした。

それだけでは、「赤ちゃんポスト」は誕生しませんでした。

赤ちゃんポストが生まれる背景にあったのは、

Erziehung nach Auschwitz
アウシュヴィッツ以後の教育

という「教育」でした。

今から80年くらい前に「Nazi」がドイツを支配しました。

ヒトラー政権が誕生し、600万人のユダヤ人を「ユダヤ人だから」という理由で殺害しました。

(それ以前に、反政権の人や障害者やジプシーも殺害しました)

今でこそ、自由と民主主義と平和を重んじるドイツですが、かつては日本と同じ「権威主義国」でした。

第一次世界大戦後に莫大な借金を背負うことになったドイツでは、ハイパーインフレが起こり、経済的に破綻していました。まともに社会のことを考える余裕もないくらい、ドイツの経済はひっ迫していました。

そんな時に、カリスマ的に登場したのが、アドルフ・ヒトラーでした。

ヒトラーは、公共事業をがんがん行い、「雇用」を大量に生み出し、ドイツの経済を立て直しました。

ドイツ人たちは、そんなヒトラーに、ヒトラーの言葉に惹かれていき、徐々に熱狂的になっていきました。

ヒトラーの演説は、「普通の人々」の心を魅了していきました。

普通の人々は、ヒトラーに陶酔し、彼の「思想」に染まっていきました。

第二次世界大戦でドイツが不利になっていく中、ヒトラーは「ユダヤ人」の迫害に力を入れていくようになりました。

もともとヨーロッパでは、各地でユダヤ人排除やユダヤ人迫害が行われていました。ゲットー(ユダヤ人居住地区)もヨーロッパ各地にありました。

ヒトラーは、このかつてから蔓延っていた「ユダヤ人嫌悪」を利用し、国内を一つにまとめ上げようとしました(戦争で不利な立場になっていくのを誤魔化すため、とも言われています)。

そして、誕生したのが、【絶滅強制収容所】でした。

日本では「アウシュヴィッツ強制収容所」と言われて言われていますが、少し違います。

Vernichtungslager Auschwitz/Birkenau
アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所

です。

Vernichtungというのは、「絶滅」「根絶」「壊滅」「撲滅」「無化」という意味。

ユダヤ人を絶滅する、根絶する、撲滅するための収容所。

このアウシュヴィッツ・ビルケナウには、「強制労働収容所」もありました(本来はのどかな田舎町です)。

この絶滅収容所の様子は、YouTubeでも見ることができます。

悲惨な現実が「映像」として残されています。

この悲惨な現実を、つまりホロコースト・ジェノサイド(大量殺戮)を二度と繰り返さないための教育が、「アウシュヴィッツ以後の教育」です。

多くのドイツの学校(幼稚園、小学校、中学校等)で、このアウシュヴィッツ以後の教育を実施しています。

二度とアウシュヴィッツの悲劇を繰り返させない。

そのために、何をどう教えたらよいのか。

上に書きましたが、ヒトラーを「独裁者」にしたのは、ドイツの「普通の人々」でした。

普通の人々の熱狂や妄信が、ヒトラーの暴走を加速させ、歯止めの効かない暴君になっていったのです。

だから、「普通の人」を作らないことが、アウシュヴィッツ以後の教育の重要課題となります。

普通の人とは何か。

普通の人のメンタリティーのことを、「権威主義的パーソナリティー」と言います。

普通の人は、自分の意志や信念に基づくのではなく、権威のある人の意志や信念に基づいて生きています。

普通の人は、「権威」に屈し、「権威」を崇め、「権威」に自分から従おうとします。

この動画で、「権威主義的パーソナリティー」についてはだいたいわかるかと思います。

アウシュヴィッツ以後の教育は、そういう権威に屈する精神を批判的に見るトレーニングをします。

権威に屈する精神を批判するために必要なのが、

自律 Autonomie

です。

自律は、カントが重視した概念で、「自分で自分に自身の法を与えること」=「同調しないこと」=「自分のことを自分で決めること(自己規定)」を意味します。権威に同調せず、自らの法に従って自ら行動できる人間が、自律的な人間であり、「反権威主義的パーソナリティー」となります。

日本的に言えば、「みんなと同じ道を行くほうがいい。みんなと違うことはしたくない」、「先生のいうことは黙って聞いておこう」、「先輩や上司の指示通りに動かないとヤバい💦」というのは、権威主義的パーソナリティーの一つの現れです。

ドイツでは、この権威主義的パーソナリティーに抗う女性として、当時大学生だったゾフィー・ショルが有名です。

ゾフィー・ショルは、かつてのナチスドイツに抗い、処刑されました。

ゾフィ―は、大学に進学する前に、保育園で(社会奉仕として)働いていた女性でした。

「権威」に従うことを「気持ち悪い」と思う感性は幼少期に形成される、と言われています。

上の動画にも出てくるアドルノは、こう言っています。

性格というのは総じて、後の人生において悪事を働く性格を含めて、深層心理学の知見によれば、早くも幼年時代に形成されるので、蛮行の繰り返しを阻止しようとするならば、教育は幼年時代初期に集中して行わなければなりません」(Da aber die Charaktere insgesamt, auch die, welche im späteren Leben die Untaten verübten, nach den Kenntnissen der Tiefenpszchologie schon in der frühen Kindheit sich bilden, so hat Erziehung, welche die Wiederholung verhindern will, auf die frühe Kindheit sich zu konzentrieren.)(Adorno, Erziehung zur Mündigkeit, 1971:90)

権威主義的な人間になるか、反権威的で自律的な人間になるかは、「幼年時代初期」に決まる、と。

こちらの記事も是非読んでみてください

アドルノが最も警戒していたのが、「傍観者的な態度(die zuschauerhafte Haltung)」に慣れてしまった冷淡な人間です。傍観者は、まさに「普通の人」であり、その普通の人が集まった集団が、かつての「ドイツ国民」でした。

シュテルニパルクの「アウシュヴィッツ以後の教育」は、こうした議論のすべてを踏まえた上での実践になっています。

このアウシュヴィッツ以後の教育を実践していたシュテルニパルクは、「傍観者的な態度を取らない」「冷淡な人間にならない」という決意を強くもっています。

そんな傍観者的な冷淡な態度を忌避し、自律的な教育・自律への教育を志すシュテルニパルクの幼稚園のすぐ近くで、1999年、3人の赤ちゃんの遺体が発見されたのです。

<続く>

コメント一覧

Densuke
良い話をありがとうございます。日本では理解しにくい事だろうなとは思います。総ての責任を天皇が背負って(天皇に背負わせて)戦犯は米国に協力する事で自らを救った国ですから。それが長じて傍観者ならず、傍観もしない人達の国になってしまっているような気がします。殺人や犯罪が起きても、ご近所の評判は「良い人だった」「挨拶もするし、きちんとした人だった」みたいな話しか出て来ない。普通の人の集団になりきっている?ように見えます、、
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