Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

教師の多忙さについて僕も考える(メモ)

こんな記事があった。

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/02/18/203020

教師の多忙さについてのエッセイである。

ここに、面白い提案があった。

具体的には、教員は「勉強」にまつわることだけ担当すればいいのではないだろうか。「授業」と「授業の準備」、そして「授業に関する」生徒の相談にのればそれで十分だ。それでは予備校の教師と変わらないではないかと言う人がいるかもしれないが、その通りだ。だから大した資格は必要ない。民間委託ができる可能性だってある。

民間委託って、あなた、、、汗

暴論といえば暴論だけど、読んでいて面白い。

この記事を読んでいて、ふと、思ったこと。

世界の学校では、部活動って、日本みたいにやっているのか?!

ネットにそれに関する記事があった。

http://www.edu-kana.com/kenkyu/nezasu/no50/nakazawa.html


> 「学校・地域両方型」 が、 欧州の大部分や北米を中心に20カ国でもっとも多い。 多くの国の青少年たちは、 学校の運動部活動と地域のクラブの両方でスポーツを行っている。 ただし、 その内のほとんどの国では、 運動部活動が存在するものの、 地域クラブの方が規模が大きく活動も活発である。 つぎに、 「地域中心型」 は、 ドイツやスカンジナビア諸国など 9 カ国である。 このように運動部活動がほとんど存在しない国も、 珍しくない。 そして、 「学校中心型」 は、 日本を含むアジア 5 カ国ともっとも少ない。 ただし、 日本以外の 4 カ国が 「学校中心型」 である理由は、 地域のクラブが未発達なためである。 これらの国では、 たとえば中国や韓国の運動部活動がわずか一握りのエリートのみしか参加していないように、 運動部活動そのものの規模はとても小さい。 青少年スポーツの中心が学校の運動部活動にあり、 かつ、 その規模が大きい日本は、 国際的に珍しい国なのである。

>多くの国で、 青少年スポーツの中心は学校の運動部活動ではなかった。 また、 学校に運動部活動がある場合でも、 規模が小さかったり、 活発ではなかったりした。 そして、 アメリカとイギリスの運動部活動は、 教育活動というよりも、 競技活動やレクリエーションとして行われていた。 こうしてみると、 日本では馴染み深い運動部活動の風景が、 国際的に見れば、 とても珍しいものであることがわかる。


日本では当たり前の「学校内の部活動」だが、世界的には全然当り前ではない。

教員の忙しさの一つに部活動顧問があるが、これをなくすだけで、ずいぶんと仕事の量は減る。

僕は昔から、「学校内部活動不要論」を主張しているけど、それは学校での学びとケアをきちんとするためだ。

部活は、子どもの身体的発達を促すとは思う。けれど、すべてというわけではないけど、そのほとんどが、勝ち負けを競う大会やら、コンテストやら、なんやらにさし向けられている。勝ち負けを競うなとはいわないけれど、それだけなら、学校でやる必要性はない。

しかも、楽しくもなく、ただ勝つために、チーム一つになって、無理に鍛えて、身体をダメにして、なんていうのは、大昔のエジプト時代の教育か?!という話で。

しかも、そういう大会やコンクールがあるから、面白い部活が生まれてこない。稀に変な部活動があるけど、だいたいは決まり切ったものばかり。部活動を子どもたち、生徒たちが各自で作りだす、というのなら面白い。あるいは、先生と子どもたちが共に「やりたい」と思ったことをやれるなら、それも面白いし、先生のテンションは上がる。けど、そうじゃない。

いずれにしても、教員の過剰な忙しさを改善することは、本当に必須。もちろん、子どもたちの学びのために。

ただ、上のブログ記事のようなアイデアだと、子どもはまず育たない。「関係性」のないところで、子どもは学ばない。予備校(的塾)と学校は違う。予備校(的塾)は個人の能力を個々に最大限にのばして、成果をあげる場所。学校は、共にこの社会・世界で生きていくために必要なことを共に学ぶ場所(現実がそうなっているかどうかは別として)。塾であっても、昔ながらの寺子屋的な塾は、学校以上にそういうことをやっている。

僕が提案するのは以下の四つ。

①学校内の部活動の規模縮小+先生以外の顧問を立てる→いずれは学校外に委託。(大会やコンテストやコンクールも外部の団体に委託、学校はそれに関与しない)→部活をしなくなる生徒が増える→大人がそれに気付き、自分たちで地域クラブを作らざるを得ない→地域活動の充実(になればいいな、と。まずそうはならないだろうけれども…)

②教員ではなく、事務員の配置数を増やす。→教員の忙しさの中に「雑務」がある。理想的には、一人の先生に一人のアシスタントをつける。単純な仕事(成績入力、書類作成、教材開発にかかる雑務、掃除・給食等)はそのアシスタントに任せる。

③②の代案として、教員免許を取得したい学生に、1年間の見習期間を設けて、個々の先生のアシスタントとして活用する。その代わり、大学での実習はなくす。給与は最低限度で支給する。

④進路指導や生徒指導は、先生ではなく、(高齢化い社会まっしぐらなので)60歳以上の選ばれた人(民生委員っぽい感じの人)が担当する。その代わり、教員は、子どものケアや支援やサポート(学習面だけでなく、生活面も)を行う。(まともな教師なら、こういうことは厭わない)。

***

PISAがどうとか、英語がどうとか言う前に、もっと海外の学校事情を日本で紹介した方がいいと思う。

日本の学校で当り前のことが、海外に行ったら全然当り前じゃない!なんてことがいっぱいある。

パソコンみたいになんでもかんでもインストールできるわけじゃない。

できることとできないことがある。

学校はそもそも何をする場所なのか。今一度、考えていただけたら、と。。。

 

で、よければ買って下さい。

学校という対話空間』。

これ、やっぱいい本だと思います。とても読みにくいけれども。。。

解説?!

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