コロナ騒動が起こり始めた昨年の3月に痛ましい事件が稲毛区で起こりました。
1歳の小さな女の子が母親の手で殺害されるという事件でした。
その当時の「千葉日報」で報じられた記事は以下の通りでした。
千葉市稲毛区長沼原町の住宅で22日午後5時40分ごろ、この家に住む鎌田悠愛ちゃん(1)が刃物のようなもので刺され、搬送先の病院で死亡した。千葉北署によると、30代の母親も家の中で自身を刺したような状態で倒れていた。同署は外部から侵入した跡がないことなどから、母親が殺害に関与したとみて捜査を進めている。
同署によると、悠愛ちゃんが刺された直後、同居する祖母が「娘が刃物を持って自殺しそう。赤ちゃんが死んじゃう」と110番通報。同署員が駆け付けると、玄関先にいた祖母が血を流し泣いている悠愛ちゃんを抱きかかえていた。
悠愛ちゃんの刺し傷は数カ所あり、病院搬送から約3時間後に死亡が確認された。母親にも刃物のようなもので刺した傷があり、命に別条はないが入院している。同署は回復を待って事情を聴き、詳しい状況を調べる。
同署によると、悠愛ちゃんは母親と祖母、曽祖母との4人暮らし。母親には精神疾患があり、通院していたとの情報もある。同署には、2017年2月ごろから家庭内のけんかなどに関する相談が複数回寄せられていたが、児童虐待に関する相談や事実確認はなかった。
同署は昨年10月ごろ、夫婦げんかによる精神的虐待の疑いで千葉市児童相談所に通告。同児相によると、約2カ月後に母親と連絡した際、夫と別居したことが分かり悠愛ちゃんの安全確認が取れた。また、悠愛ちゃんについて市要保護児童対策地域協議会で、昨年2月と3月に2度情報共有が行われており、初回は親族も参加したという。
市健康支援課によると、新生児訪問や4カ月検診に応じており、夫からの相談で複数回自宅訪問をすることがあった。
現場近くに住む女性は、悠愛ちゃんが家族に抱っこされて散歩しているところを見たことがあるといい「まさか近所で事件が起こるとは」と声を震わせた。70代の女性も「驚きしかない」と話した。
この事件は、日本の「嬰児殺し」においても多く確認される「母子心中未遂事件」でもありました。
生まれて数年で母親と共に命をなくす母子心中事件は、ずっと繰り返されてきています。この「母子心中」ほど、悲しい事件はありません。赤ちゃんの側からすれば、「せめて赤ちゃんの命だけでも…」と思いますし、また、母親の側からすれば、「どうにか救われる道はなかったのか」と思ってしまいます。
この「殺害者」となった母親は、精神疾患をもっている人と報じられています。また、2019年10月頃には、夫婦げんかによる精神的虐待の疑いで、児童相談所にも通告されていました。
この事件から1年以上が過ぎ、2021年の9月、この事件の判決が下ることになりました。
9月2日の千葉日報には、このような記事が掲載されました。
昨年3月に千葉市稲毛区の自宅で長女の鎌田悠愛ちゃん=当時(1)=をナイフで刺殺したとされる事件で、殺人の罪に問われた母親で無職、鎌田さや香被告(39)の裁判員裁判の論告求刑公判が1日、千葉地裁(友重雅裕裁判長)で開かれた。責任能力の程度が争点となっており、検察側は「行動の重みを理解し、自ら判断していた。完全責任能力が認められる」として懲役10年を求刑。弁護側は「心神耗弱状態だった」として執行猶予付きの判決を求め結審した。判決は15日。
検察側は論告で、被告は犯行時、自身の行為の意味や違法性を認識し、取り返しの付かない結果を自覚していたと指摘。「善悪の判断能力や行動制御能力は著しく減退していない」とした。その上で、「親権を得られないなら悠愛ちゃんを道連れに自殺しようとした動機は身勝手極まりない」と述べた。
弁護側は最終弁論で「離婚を巡る紛争が本人の心理状態や病状に大きく影響していた」と説明。「精神病や服用していた薬の作用で判断能力が低下していた可能性がある」と主張した。
起訴状などによると、被告は昨年3月22日夕、自宅で悠愛ちゃんの胸と腹を果物ナイフ(刃渡り約14センチ)で数回突き刺し、殺害したとされる。
この記事にあるように、母親が悠愛ちゃんを殺害した理由は、「親権が得られないなら悠愛ちゃんを道連れに自殺しようとした」ということでした。
恐らく、精神疾患をもつ母親に対して、父親は悠愛ちゃんの親権は自分がもつように働きかけていたのだと思われます。共同親権が認められていない日本では、この「親権」をめぐるトラブルは常に日本中で起こっています。
この悠愛ちゃんの家庭には、複数の問題が生じていました。①夫婦間の不和、②夫婦げんかによる虐待、③母親の精神疾患、④離婚調停の亀裂、⑤親権をめぐるトラブル、⑥児童相談所の介入の失敗、⑦母親の失業状態、etc...。これだけの問題を抱えた家庭なので、「多問題家庭」と言ってよいでしょう。
15日にこの裁判の判決が下されました。
朝日新聞千葉版に、次のような記事が小さく掲載されていました。
千葉市で昨年3月、当時1歳の長女を殺害したとして、殺人罪に問われた無職鎌田さや香被告(39)の裁判員裁判の判決公判が15日、千葉地裁であった。友重雅裕裁判長は懲役7年6カ月(求刑懲役10年)を言い渡した。
判決によると、鎌田被告は親戚宅で長女悠愛ちゃんの胸や腹を果物ナイフで3回刺し、殺害した。裁判では被告の責任能力が焦点となったが、判決は弁護側が主張していた双極性感情障害はなかったと認定。被告は夫と親権を争っていたことから、「親権をとられるくらいなら被害者を道連れにして自殺しようと決意した」と指摘、完全責任能力があったと結論付けた。
判決言い渡し後、鎌田被告は裁判長を呼び止め、「悠愛が生きていたはずの人生を考えると、今回の実刑はとても短い。申し訳ない気持ちでいっぱいです」と話した。
朝日新聞、2021年9月16日首都圏千葉版
懲役7年6カ月…。
これを重いとみるか、それとも短いとみるか。みなさんはどう思うでしょうか。
この記事の最後に、母親のさや香さんの言葉が紹介されています。「申し訳ない気持ちでいっぱいです」、と。
この一文で終わりにしているこの記事に、僕はとてつもない違和感を覚えました。多問題家族を生き、追い詰められた先で母子心中まで考えた母親が、申し訳ないと反省の弁を述べて、そして7年の懲役を終えて、それで終わりにしていいのか?、と。母親が反省したらそれで終わりにしていいのか?、と。
この母親と子だけの問題だったのでしょうか。父親の責任は問われないままでよいのでしょうか。
母親は、自分の子が父親に奪われることを恐れて、そして母子が引き離されてしまうことを恐れて、我が子を殺害しています。父親は母親にどう説明していたのでしょうか。離婚に至るまでにこの夫婦はどのような関係を生きたのでしょうか。離婚をした際に、どのような言葉を母親に投げかけたのでしょうか。
この上の記事だけでは、そのことが何も伝わってきません。父親の言動が全く問題になっていません。母親の責任能力は問われたようですが、そこまで母親が追い詰められた背景については、この記事では全く問題になっていません。
母親が「申し訳ない気持ちでいっぱいです」と裁判長に告げたようですが、同じ反省を、県や国もしなければならないのではないでしょうか。
日本では、離婚調停が全く進歩していません。離婚調停員もまだまだ全然足りません。離婚後の共同親権も認められていません(日本以外の先進国では広く認められています)。そのことで苦しんでいる離婚した父親・母親はたくさんいるのです。海外では既に当たり前のことになっている「共同親権」が認められなかったからこそ起こった事件と言えないでしょうか?
離婚調停員も日本にはほぼいません。欧州では、公務員(委託)の離婚調停員がたくさんいます。敷居もとても低く、一回数千円程度で離婚調停を行ってくれます。共同親権が認められて、且つ離婚調停員が当たり前のようにいる国であれば、今回のような事件は起こったでしょうか。
夫婦別姓を認めるか否かの議論と同様、共同親権の問題もちっとも日本は前に進んでいません。離婚調停員もそれこそ10年以上前からこのブログで叫んでいますが、何も変わりません。(赤ちゃんポストも国や行政は、何も考えることもなく何を議論することもなく、ちっとも緊急下の妊婦に向き合おうとしません!)
(明治以降の限られた意味での)伝統的な家庭観(国家主義的・軍国主義的な家庭観)に執着する自民党が政権を握っているうちは、きっと何もなんにも変わらないと思います(彼らの頭にあるのは、国防(米軍に依存した防衛)と経済発展(経団連支援)だけです)。なんだかんだと言い訳をつけながらも、彼らは「個人・家族の苦しみ」や「多問題家庭の支援」には全く全く興味も関心もないのだと思います…。
…
上の記事に悪意を感じるのは、一番苦しんできて、一番苦しんでいる女性へのまなざしが欠如している点です。
夫婦別姓の問題も、離婚調停の問題も、共同親権の問題も、どれも(基本的には)立場の弱い女性のことを考えてのことです。男性は、ただでもずっとずっと社会的に「有利」だったんです。男性だからという理由で、姓を変える必要はありません。離婚の際は、男性側に致命的な落ち度(借金や不倫や暴力等)があることがとても多く、男性側に落ち度がない場合には、経済的な不利もあって、女性側が泣き寝入りするしかありません(特に母親側が精神疾患がある場合には、それを理由に泣く泣く子との生活を断念するケースが多くありました)。
今回の事件で最も問われなければならないのは、まさにこの点ではないでしょうか。(公費で雇用する)離婚調停員を増やし、共同親権を認め、どんな状況でも、父親と母親が共に離婚後も子の責任を受け持つ、という制度を設計する方向で、この事件と向き合うべきだと僕は思います。
絶対に、この事件を引き起こしたさや香さんの「反省の弁」で終わらせてはいけないんです。この事件から、僕らはよりよい社会制度にしていかなければいけないんです。
未来しかなかった1歳の悠愛ちゃんを殺したことは決して許されるものではありません。でも、その悠愛ちゃんを殺害した母親のさや香さんが懲役刑を受け、そして反省すれば終わり、という問題では決してないんです。
それにもし、千葉に赤ちゃんポストがあったら、さや香さんも自分の子を一時的に赤ちゃんポストに預けていたかもしれません。彼女は、元夫に自分の子どもを取られたくない一心で、悠愛ちゃんを殺しています。もし赤ちゃんポストが稲毛にあって、そしてそのことをさや香さんが知っていたら、とりあえず赤ちゃんポストに…って思っていたかもしれません。
7年6カ月の懲役となったさや香さん。これまでも苦しんできて、そしてこれからも刑務所での生活になります。それ以降もずっと「殺人者」というレッテルを貼られて生きていくことになります。
それで話を終わらせてよいのでしょうか!?
みんなで考えたい問題だと思います。
fin.