Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

『お疲れ様で~す』論―学生の声を取り戻せ!

今日、学校を出るとき、すれ違い様に、見知らぬ同学科別コースの学生二人に言われた。

『お疲れ様でーすハート

…うーん…、、、

なんかしっくり来なかったから、その二人の学生に対話を挑んだo(^-^)o

『ねぇ、ちょっといい?! 学生が先生に「お疲れ様です」と言うのは、あり?なし? 僕はしっくりこないんだ。でも、悪いとも思わないんだ。どうなんだろうか?!』

と。

そしたら、

『職場で下の人間が上の人間に挨拶するときは、「ご苦労さま」はダメだと聞いています。…でも「お疲れ様」は大丈夫、そう習いましたが…』

と答えてくれました。(ちょっと怪訝そうでしたが、、、)

僕は応戦しました。

『うん、職場ならそうだよね。でも、僕はあなたの同僚でも上司でもない。先生と学生だ。その場合、どうなんだろうか?』

すると、二人とも、訳が分からなくなり、考えこんでしまった様子でした。「何言ってんだ?この先生は?」といった感じでした。

聞くと、彼女たちは、小学校教諭を目指している、ということなので、こう聞きました。

『もし、あなたのクラスの子どもが、先生であるあなたに、「お疲れ様です」と言ったら、それはあり?なし?』

と。

すると、学生は、

『なしです。それは違います』

と、答えたのです。

そこで、さらに、僕は応戦しました。

『なんで、なしなんだ? いいじゃないか。どうして職場ならありで、学校じゃダメなんだ?』

と。

学生たちは、完璧に困惑していた。

『たしかに、挨拶してるわけだし… でも、お疲れ様です、はないかなー。うーん…』

なんとなくしっくりこない。でも、明確な根拠もない。…

昨日の『オハヨーゴザイマス』同様、難しい問題なのかもしれないです、、、(昨日、とある教え子の学生に、午後2時に、『オハヨーゴザイマス』と元気にあいさつされたのです)

ただ、一つ言えることは、バイト基準で物事を考えている、ということだ。社会経験は大事だが、悪しき社会経験になっている恐れがありそうです…

バイト基準で、学校を生きる、いいこととは思えない。だけど、わるいとも言えない。

…んー、でも、なんかしっくりこないんです。

***

(mixiでマイミクのみなさんの意見を聴いて)

やはり、僕の感じた「しっくりこなさ」は、ある程度、共有されているみたいでした。
(なんか、しっくりこない、というマイミクさんが多々いました)

その後、考えたのですが、、、

①企業内・職場内では、『お疲れ様です』は(一応)問題はない。

②学校内では、『お疲れ様です』は、しっくりとこない。

これを、もう少し敷衍すると、

③大人は『お疲れ様です』を使ってもよい。

④子ども(学生)は『お疲れ様』は似つかわしくない。

ということになります。

すると、『お疲れ様です』は、労働世界に生きる社会人のための用語ではないか、と。

学生は、まだ自立していない「子ども」。20歳を過ぎれば、一応大人ではあるが、労働世界に生きているわけではありません。

その身分の人間(学生)が、大人世界の言葉を平気で使うことに、違和感があるのかな、と思いました。
(学校であっても、先生同士なら『お疲れ様』は問題ない)

だから、社会人同士のコミュニケーションツールとしては、『お疲れ様です』は許される。けれど、子ども同士、子どもと大人の間では、違和感が発生する、と、そう考えられるのかな、と。

今の学生は、バイト世界が主で、学生生活が従になっている。良し悪し抜きで、バイト世界の論理に侵されている。バイトの論理に浸食されている、と言ってもいいかもしれない。

高校生も、先生に『お疲れ様です』というそうだ(先の二人の話だと)

でも、中学生は、先生に『お疲れ様です』とは言わない。

バイトの論理(企業の論理の前段階)は、子どもの無邪気さ、かわいさ、無垢さを犯す。

そして、子どもは、知らなくてもいい大人の挨拶『お疲れ様です』を使うようになる。

きっと、子どもにとってみれば、『大人の挨拶』をしている気持ちなのだろう。だから、それが「悪いこと」とは思わない。

結論を言えば、学生(社会人でない存在)が、社会人的挨拶(「お疲れ様です」)を言うことに、僕は違和感があった、と。

大げさに言えば、資本主義的精神、新自由主義的精神が、大学生をも浸食し、その精神で、学校の先生と接触している、と、そう言えるのかもしれない。

「学生らしさ」がないのである。学生らしくないのである。

学生なら、「さようなら」か「ありがとうございます」で十分なのだ。あるいは、もっとくだけて、「まだ帰らないのですか」、とか、「先生も遅いんですね」、とか、自分の話で、「レポートが大変です」、とか、そういう一言で十分なのだ。「生きた言葉」が欲しいんです。

学校は企業じゃないし、会社じゃないし、ましてやバイト先ではない。社会人ではない学生の顔を取り戻してほしい。学生の声で先生に語りかけてほしい。

極論を言えば、「先生、最近ふられました~」でいいんですよ。うん。あるいは、『先生、お腹がすきました」でいいんですよ。

学生らしい声をもっと僕は聞きたいんです。

***

学生よ!大人の社交辞令に染まるな!学生の声を取り戻せ!!

コメント一覧

kei
しぐれ君(T君??)

コメントありがとう☆ 無意識のうちで洗脳されちゃうんだろうね。家で、親にも「お疲れ様です」とは言わないよね?! 不思議なもんです、、、学生が悪いともいえないんだよねー。

YUKISUKEさん

職場化する学校をなんとかぶっ壊したいんですね。僕は。職場と学校の境目がなくなるというのは、極めて怖いことです。

知らず知らずのうちに、職場の論理が学校に浸食している、これは本当に怖いことですよー、、、汗
YUKISUKE
これはひょっとすると
学校はその学生さんたちにとっての仕事場?を担っているのかもしれませんね。

なんというか義務をしっかりこなしているんだっていうニュアンスな気もします、
私的には、学校って家庭や「大切な人」未満だけども、会社やバイトよりも親密な場所でいられるところだと思います。

順序で行けば
家庭→学校→職場(バイト先)

なのかなぁと。

まぁ、しぐれ様が仰っている様に、言葉の使い方で変わっているのかもしれませんが、、。

しっくりとした答えは出ないのですが、学校は家庭未満であり、職場以上の親近感を持つところではないのか?
今の学校はそこまで、生徒に近づけているのか?という結論になりました。

見当違いでしたらごめんなさいです。
しぐれ
いつもお世話になってます(・∀・)
Kei先生の授業を受けている者です。

面白いですね!!
僕もバイトの経験があって、「お疲れ様」を使うのが日常化していました。
高校時代に、挨拶として先生に言ったこともあったと思います(・・;)
でも確かによく考えてみるとおかしな話です…
自分の使う言葉の意味をちゃんと考えないといけませんね(-_-;)
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