Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

【内密出産の議論が変!?】本来の目的に向かうための通過点に過ぎない!?

実に興味深い論文を見つけました。

CONFIDENTIAL AND ANONYMOUS BIRTH IN NATIONAL LAWS
– USEFUL AND COMPATIBLE WITH THE UN CONVENTION ON THE RIGHTS OF THE CHILD?
国内法における内密出産と匿名出産
-国連「児童の権利に関する条約」に適合し有効か?

著者は、チューリッヒ大学のナターシャ・ハジマノビッチ(NATAŠA HADŽIMANOVIĆ)さん(母国語を見ると、ドイツ語/セルビア・クロアチア語となっている)

ハジマノビッチさんについてはこちらを参照

その論文の「要約」を紹介したいと思います。

彼女は、匿名での出産の意義については認めつつも、今日本でも話題になっているような「内密出産」の在り方については懐疑的なスタンスでこの論文を書いています。


A pregnant woman in greatest need, who does not want to be a mother because she cannot be a mother in the circumstances, requires empathy, respect and a break from the pressure put on her. Only then can she explore in peace what is good for the child and what is good for her. 

「この状況では母親になれないから母親にはなりたくない」という深刻な緊急下にある妊婦には、「エンパシー(自己移入:深い他者理解)」と「尊敬」、そして自身にのしかかる「プレッシャーからの解放」が必要である。これらがあって初めて、子どもにとって何が善いのか、また母親自身にとって何が善いのかを安心して検討することができる。

Granting mothers this important “time-out” in the form of an anonymous birth in a safe environment seems to lead not only to decisions resulting in a significant reduction of cases of neonaticide and child abandonment but also causes only a very small number of mothers to stay anonymous permanently. 

安全な環境での匿名出産というかたちで、母親たちにこの重要な「タイムアウト(小休止)」を与えることは、嬰児殺しや嬰児遺棄の事例数を大幅に減らすという帰結をもたらすだけでなく、ごく僅かながらも、永続的に匿名のままに留まる母親を生み出すことになるように思われる。

In order to encourage women to choose it, the option of anonymous birth must be widely known. And these women need to be shown and told that what they are doing to protect their child from themselves is recognized as an act of love. 

女性たちに匿名での出産を選択するよう促すためには、この匿名の出産という選択肢が広く知られる必要がある。そして、彼女たちに、自分自身から子どもを守るためにしようとしていること(匿名出産)が、愛の行為なのだということを示し、伝える必要がある。

Confidential birth, however, in which the mother is not only permanently identifiable but can actually be identified in certain circumstances by the child, is only a half-hearted step in the right direction. 

しかしながら、母親が永続的に特定可能なだけでなく、実際にある状況下では子どもが特定される可能性のある内密出産は、正しい方向に向かう一つの途上の(中途半端な)一歩(a half-hearted step)に過ぎない。

It fails to pay respect to the existential need of the mother for a break from motherhood, because the mother is informed of the risk of potential later “discovery” by the child, before the confidential birth can take place. This, however, means pressure. In my opinion, confidential birth therefore misses the mark of saving child and mother from an existential crisis. 

内密出産が実施される前に、後に子どもによって「発見」される潜在的なリスクがあることを母親に告げられるため、「母親であることを放棄したい」という母親の実存的な要望を尊重することができないのである。これは重圧(プレッシャー)を意味する。したがって、私の意見では、内密出産は、子供と母親を実存的な(生存にかかわる)危機から救うという点で的外れなのである

The UN Committee on the Rights of the Child should, therefore, not condemn anonymous birth, but rather ask for its promotion and an empathetic environment for mothers who wish to give birth anonymously, as this helps mothers to find a way out of their existential crisis.

したがって、国連の子どもの権利委員会は、匿名出産を非難する(禁止する)のではなく、むしろその促進を求めなければならない。そして、匿名で出産することを望む母親に対してエンパシーのある(共感的な)環境を求めなければならない。その環境こそ、母親が自身の実存的な危機からの出口を見つけることを助けるのである。


今年に入ってから、内密出産の話題が続いています。

現時点で、日本では「内密出産の法制化」が取り沙汰されていて、議会でも話題に取り上げられるようになりました。

僕も、もう長年(赤ちゃんポストと匿名出産との関連の中で)この内密出産についてはこのブログで取り上げてきました。

ただ、それが「よいもの」なのか、「悪いもの」なのかについては分かりかねています。(その理由は以下で述べます)

赤ちゃんポスト(日本では「こうのとりのゆりかご」)も匿名出産も、現時点では「よいもの」だと思っています。実際に、この現実の社会において、嬰児殺しや児童遺棄が多発する中、赤ちゃんの命を守るためには、必要不可欠なものだと思っています。ドイツだけでなく、世界各地に存在していて、その必要性はかなり多くの国で共有されています。

その流れの中で生まれてきたのが、「内密出産」でした。

赤ちゃんポストと匿名出産は、2000年当時は「よいもの」としてドイツやその周辺国で語られましたが、徐々に批判の声が高まっていきました。その批判の代表例が、「子どもの出自を知る権利を保障できない」というものでした。

その子どもの「出自を知る権利」を守りつつ、緊急下の女性の支援につながる策はないかということで、考案されたのが、内密出産でした。

16年間、母親の身元情報を秘匿にしておきながら、子どもが、自分の出自を気にすることができるようになるであろうと想定された16歳になった時に、もし自分の出自が知りたいと思ったなら、自分の母親の名前や住所や身元情報を公的機関で確認することができる、というのが、内密出産です。

日本では、これを今、法制化しようとしているのですが…

赤ちゃんポストを創設したシュテルニパルクは、この内密出産に対して懐疑的なんです。シュテルニパルクの人たちは皆、「内密出産では、緊急下の女性は救えない」、と言うんです。

なぜか。

その理由が、この上のハジマノビッチさんの論文の冒頭に示されているように思います。「この状況では母親になれないから母親にはなりたくない」という女性の気持ちを考えたら、内密出産は選ばないのではないか、というのがハジマノビッチさんの考えです。

(単純化して言うと、ドイツの左派は赤ちゃんポストを推し、右派は内密出産を推す、みたいな感じかな…)

いずれ、自分の身元が分かってしまうということを恐れて、内密出産を選ばずに、遺棄したり殺害する女性はいるのではないか。果たして、内密出産で緊急下の女性は救えるのか。ハジマノビッチさんは、内密出産よりも匿名出産の方がよい、と考えているみたいです。

日本では、こうのとりのゆりかごも内密出産もいわば「同類」として考えられていて、また、内密出産であれば法制化はできるかもしれないという前提で議論が進んでいます。

が、赤ちゃんポストと内密出産とではかなりその根底が違うんです。

匿名性を重視する赤ちゃんポストに対して、匿名性を永続的に保障しない内密出産。

ドイツや近隣国でも、この辺の扱い方は実に様々で、赤ちゃんポストを合法化する国もあれば、匿名出産を合法にする国もあれば、内密出産を合法化する国もありました。また、いずれも合法としないものの、「容認」「黙認」というかたちでこの取り組みを見守るという国も多々あります。

なにが言いたいかというと、「合法化」が目指すべきゴールなのではなく、赤ちゃんの遺棄や殺害を食い止めること、阻止することが最終ゴールなんですよ!っていうことです。

日本人の精神構造や、この国の風土的ジェンダー(保守思想=産んだ母が育てろ、女は家族に尽くせ、女の自由の選択は認めない)を考慮すると、内密出産は、日本の緊急下の女性を救うことになるだろうか。そう問わなければいけないと思うんです。

「産んだ赤ちゃんの面倒を見ない=酷い女性だ」という観念が強く残る日本では、どの道を行っても、深い罪責感に苦しむことになるでしょう。(他方で、男性の罪責感は免除されます←重要)

ヨーロッパでは、長い時間をかけて「実母に育てられるかどうかよりも、愛情のある家庭で育つかどうか」が重要だというのがコモンセンス(常識)になっています。

しかし、(明治以降に作られた)戦前の国体思想・保守思想を残している日本では、「愛情のある家庭で育つかどうかよりも、血縁こそが大事だ」という観念があり、また、「その血のつながりを断つなんて、我が日本国民として許しがたい。恥を知れ!」と思う人が多いはずなんです。

こうしたことも踏まえて、内密出産の議論は慎重にしなければいけないのに、なぜか「内密出産の法制化を!」っていう議論になってしまっている気がします。

現時点で大事なのは、「日本において、内密出産を実施することが罪や犯罪になるのか否か」だけだと思います。現時点の僕の希望としては、「内密出産は、罪や犯罪にはあたらない」という見解だけでよいと思っています。蓮田先生が罪に問われたり、逮捕されたりすることがなければ、それでよいと思います。

それに、そんなことをしたら、世界からますます白い目で見られることになることでしょう。ただでも、人権や自由が(民主国の中では)大事にされていない国として認知されているので、これで蓮田先生が逮捕とかになったら、「いったいこの国はなんなんだ」って話にしかなりません。

胎児を殺す「人工妊娠中絶」が犯罪ではなく、赤ちゃんと母親の命と健康と安全を守る「内密出産」が犯罪になる国って、いったいどんな国なんだ?!って。

ホンネを言えば、「人(国民)を裁いたり罰したりするのが大好きな裁判官や官僚や政治家のみなさん、善良かつ勇敢な一医師の命を救う行為を邪魔しないでください。人を信じて、見守っていてください」、と。

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