Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

離婚増加のワケ

mixi内のニュースでこんなのを見つけた。
フリーマガジンR25の内容みたいだ。

結婚にも独身時代の交際と同様に、別れの可能性があります。
そう、“離婚”です。
1950年代には年間7~8万件台だった離婚数は、
70年代に10万件を超え、96年には20万件に達します。

以後、02年の28万9836件をピークに徐々に減少し、
ここ数年は25万件前後で推移しています
(平成20年『人口動態統計の年間推計』より)。

数字だけ見ると決して少ないとはいえない離婚。
一度は永遠を誓った二人が、なぜ袂を分かつのでしょうか?

平成13年度国民生活白書によると、
離婚の動機のトップ3は「性格が合わない」
「異性関係」「(男性が)暴力を振るう」(表参照)。

これらが時代の変化に左右されないところをみると、
スタンダード(?)な離婚の動機といえそうです。
その一方、90年代前半の「成田離婚」やここ数年の「熟年離婚」など、
時勢を反映した離婚があるのも事実。

お見合い・縁談結婚が多数を占め、
相手に対する理解不足が夫婦のすれ違いを生んだ70年代と
恋愛結婚が主流の00年代では、離婚に至る背景は異なるのかもしれません。

「恋愛結婚が主流の現代は、若い世代の離婚率が非常に高い。
これには様々な要因があるかと思いますが、
個人的には若年層の“精神年齢のさらなる低下”が
大きくかかわっているのではないかと感じます」

こう話すのは『離婚を考えたときに読む本』の著者である松江仁美弁護士。

若年層の離婚率については、
国立社会保障・人口問題研究所の「人口統計資料集」に詳しく、
00年における有配偶離婚率は、
19歳以下で女性の約6割、男性の約4割、
20~24歳で男女の約4割にも上るそうです。

男女ともに1割前後という30代以降の有配偶離婚率と比べると、
若年層の離婚率の高さがうかがい知れます。

「若年層における離婚者の多くは
『できちゃった結婚』をしたカップルといわれています。
昨今は、自分の人生、
そして相手の人生に対する“責任意識”の低い若者が
増えつつあるということでしょう」(松江弁護士)

社会意識の変化により、
離婚に対して後ろめたさを感じる「伝統的な離婚観」が薄れつつある現代。

社会全体として、離婚によって失われるものの大きさに、
なかなか気づけない現状があるのかもしれません。

引用元はこちらR25のサイトはこちら


数字のデータはまぁ、その通りとしても、
離婚増加の原因についてはかなり間違った認識をしている。

松江弁護士が何ものかは知らないが、
上の説明はでっち上げ以外のなにものでもない。

離婚増加の背景に、松江は、
「精神年齢のさらなる低下」を挙げているが、
これは完全に大きな間違いである。

欧米の離婚に関する議論を踏まえれば、
離婚増加は、批難されることではなく、
むしろ歓迎されることなのだ。

「離婚をする自由」を保障しているのだから、
ポスト近代的な発想とも言えるし、
「女性の離婚の選択の自由」も保障されることとも繋がる。

今の若者の精神年齢が低いから離婚が増加しているのではなく、
離婚という選択肢が定着してきているから増えているのだ。

1950年代に離婚率が低かったのは、
男女の関係がよかったからではなく、
女性が離婚をするということを社会が容認していなかったからだ。
(つまり、みんな離婚したくても我慢するしかなかった!)

若年の結婚~離婚はたしかに増えているが、
若者の結婚そのものは減ってきている。
むしろ若くして結婚しない人がすごく多いのだ。
結婚できない人も多いのも現代社会だし。

だから「責任意識の低い若者の増加」というのも暴言に近い。
当然、責任意識がなく、妊娠~出産をする若者はいる。
けれど、それは何時の時代にもいるわけで、
「晩婚化」の現代を考えれば、若者はむしろ慎重になっているのだ。

昔の人間が責任意識をもって結婚していたかどうかも謎だ。
(だいたい前近代の日本は離婚大国じゃなかったか?!)

そうじゃなくて、離婚する自由が定着しつつある、ということが
一番の「離婚増加のワケ」なのではないのか?!

僕は「恋愛~結婚~離婚」を連続的に考えているが、
離婚増加は、近代化(超近代化?)においては不可避的なものであり、
必要不可欠なものだといわざるを得ない。

大事なのは、離婚を食い止めることではなく、
離婚した後の家族の保障、保護、支援なのだ。
そこを間違えてはならない。
(離婚を食い止める=女性に耐えてもらうという構図が圧倒的だから)
(ちなみに日本の男性には言っても無理。話が聴けないから)

離婚をしても、女性や子どもが困らないようにすること。
これが何よりも大事なこと。(これは政治の問題でもある)
母子家庭の貧困は、通常の貧困問題とはレベルが違う。
離婚の自由はあっても、その後の保障はかなり乏しいものだ。

ま、ともかくも、
上の松江のように離婚の理由に個人の精神性の低下を持ち出すのは
絶対に避けたいところだ。
個人の精神性が低下したから増えたのではなく、
個人の自由(離婚選択の自由)が守られているから、
離婚は増えているのだ。

この流れを止めるのではなく、
この流れの中で新しい政策や法律や社会整備を図っていくべきだろう。

コメント一覧

kei
お返事遅れてすみません。

色々考えさせられるコメントでした。

>私は、この離婚率の高さや子供の教育崩壊の根本原因は資本主義&グローバル化を推し進めている行き過ぎた自由(人の心)にあると思っています。

家庭の崩壊や教育の崩壊の原因が、資本主義やグローバライゼーションにある、というのは理解できます。たしかにイギリス産業革命以後の世界各地で、経済の問題が家庭の問題を引き起こしてきています。

ただ、離婚増加の理由が資本主義にあるかどうかは??って感じがします。

もともと日本は離婚大国だったと聞きます。江戸時代は自由恋愛の宝庫だっとも聞きます。近代国家の形成と共に、男尊女卑の考え方が強まって、「家父長制の合理化」が図られた、と思います。

僕は「男女平等」をもっともっと推し進めていかなければならない、と思っています。

「いつも損をするのは女性」という社会は、やっぱり不健康ではないでしょうか。でも、そのためには、男性、女性問わず、もっとみんなが賢くならなければならない、と思います。

つまりは、日本人の民度の問題になるのかな、と。

色んな家庭があっていいとは思いますが、どんな家庭であれ、民度の高い家庭であってほしいです。
通りすがり
ジャックHightさん、keiさんへ
いろいろコメントありがとうございます。
>『離婚すれば社会的に誰も保証されない社会』というのはある種とても冷たいと感じます。
ちょっと、これは極端に言い過ぎてますね・・
ちょっと言い直しますが、何がいいたいかと言うと
離婚家庭については、社会保障を国から貰うのではなく
家族や地域がそれを守る、助ける社会であるべきだという思いです。
ただ、今の日本の都市型社会では厳しいですね。。
私は、この離婚率の高さや子供の教育崩壊の根本原因は
資本主義&グローバル化を推し進めている行き過ぎた自由(人の心)にあると思っています。
科学・文明が発展しそれを享受できた人間が自由を求めすぎる、結果格差は広がります。
社会保障とは、その格差を是正するものですが、格差を生じさせている根本(自由)に対しては無力です。しかも自由は世界に蔓延しておりそれを一国で解決するのは不可能だと思います。
自由と秩序とは相反するものです。
私たちは、そのような無力な武器(社会保障)を持たされても秩序を勝ち取ることはできません。
ならば私たちは別の武器で戦わなければなりません。私は正しい秩序のある社会で生きることが人にとってもっとも幸せであると思っています。その秩序とは家庭や地域、学校で教えられる愛や道徳心から生まれるものなんだと思います。今の現代社会に生きる私たち一人ひとりが、敵を見極め、その敵と戦う強い心を持つべきだと思っています。
kei
通りすがりさん
ジャックHightものさん

コメントありがとうございます。

ここまで来ると、
かなり濃い議論になりそうですね。
三人で語れたら面白いかもしれません。
相手への尊敬の気持ちをもって
言いたいことが言えたら、
いい議論になると思います!

通りすがりさんのご意見は、
きっと日本人の多くの人の意見とも
思います。

まだ日本は、欧州と比べて、
離婚問題について寛容ではありません。
データ的にもドイツやフランス、
オーストリアやスイス、イタリアより
ずっと離婚率が低く出ているからです。

でも、実際には潜在的離婚予備軍を入れれば
欧州並みに離婚は問題となると思います。

けれど、まだまだ離婚問題は、
国民の関心にはなっていません。
自己責任のもとで、個人にまかせっきりです。
(保障内容も欧米に比べて貧弱です!)

社会問題として離婚問題は認識されていない、
そこから出発したいところです。

僕の考えはジャックHightものさんに
結構近いと思います。

ただ、個人の精神性の低下はどうかな?と、ややひねくれてみています。

昔の人が精神性が高いとは思えないんです。
ずっと女性はダメな男性に我慢してきたのでは?と、やや女性びいきに見ています。

やっと女性が離婚という切り札を手に入れたのだ、と思いたいのです。

でも、それは男性批判ではありません。
男性が変わればいいのです。

もちろん男性が変われば、女性も変わらなければなりません。

お互いがもっと「家族」に対して頓着すべきです。家族の問題は、子どもの問題、将来の社会の問題につながります。

馴れ合いや慣習に甘えて、ごまかしたり、妥協したり、我慢したりせず、もっと男性と女性が対等な存在としてぶつかってほしいのです。(男性は力を使わず、女性は涙を見せずに)

離婚をするかどうかは、個々の夫婦の問題です。けれど、その問題をしっかり考えることを邪魔する要因は消していかなければなりません。

そのためにも、まずは男性も女性ももっと自立し、お互いを他者として認め、両性の「武器」を使わないで、共に生きるスキルを手に入れていきたいものです。

そう願っています。
ジャックHightもの
横からお話に入らせて頂きます。
申し訳ありません。

通りすがりさんは
>離婚は本来家庭教育で行うべき愛と道徳の教育を親が放棄しているのだと思っています。
と仰っておられますが、離婚していなければ愛と道徳の教育がなされているかと言えばそれは違います。

両親が揃っていても愛や道徳について子供に何も諭さない親だって多数います。離婚していても、子供を愛し、優しさを教えている親もいます。離婚全てが放棄になるとは思えません。

私も昨今の離婚増加には呆れますが
まず、親のモラルの欠如が激しい世の中なので仕方が無い事だとも思います。親の身勝手な理由に振り回される子供が可哀相でなりませんが
だからといって離婚が悪い事だとも考えていません。離婚が良い事だとは言いませんが、良い事の逆が悪い事では無いと思うのです。

離婚率が下がれば愛と道徳が社会に根付くという事は、離婚していなければ愛と道徳について家庭で教育されるという事になります。
では、両親揃っている子供全員、さらに言えば両親揃って育ってきた人間全てに愛と道徳が根付いているか、と問いかけてみても答えは「NO」です。

根付いていれば落とした財布は必ず手元に戻ってきます。
財布をなくせば持ち主が困るのは目に見えていますが、それでも届ける人の方が少ないという事は道徳や愛が根付いていないからです。

となると、離婚と「愛、道徳」になんら関連性はありません。ですので社会保障は無くすべきではありませんが、私個人の意見としては「ほどほどに」という一番難しい要求をしたいです。甘ぁい飴のような保障はよくないと思います。

『離婚すれば社会的に誰も保証されない社会』というのはある種とても冷たいと感じます。
間違えたらやり直すという事くらいは出来ていいと思うのです。間違えを認めて正すのは難しい事です。それを見守ってあげるのが優しさではないでしょうか。

もし間違えていてもやり直す事が許されない。そんな社会であれば私は結婚なんて絶対にしません。まかり間違わない限りしません。
この意見に関しては20代前半の女性9割が同意してくれると思います。

私は、離婚が増加しているのはDr.Keiさんが仰られている、離婚選択の自由が保障されているという事と
個人の精神性の低下によるものの両方だと思います。
安易に結婚し、安易に離婚する人が増えていると感じるからです。

自由があれば義務があるという事を理解し、義務を果たした上で自由を獲得している人ばかりではないと思います。

長々と語ってしまい申し訳ありません。
若輩者なので至らない点等あるかと思いますが、自分の考えを述べるのは楽しかったです。ありがとうございました。
通りすがり
こちらこそ、丁寧なコメントありがとうございます。
私も愛とは?結婚とは?と真剣に考えたこともありませんが
漠然と、結婚とは家庭を築くこと。愛とはその家庭で養われる奉仕の心だと思っています。
私がこれほど離婚に嫌悪感を示すのは、今の離婚率は異常なためで、3組に1組は離婚し、10代は60%、20代は40%ほどらしいです。。
今の小中学校のクラスでは、両親そろっている子供のほうがめずらしかったりするそうです。
私はとても原始的な考えなのかもしれませんが、離婚は本来家庭教育で行うべき愛と道徳の教育を親が放棄しているのだと思っています。
そして国が社会保障という制度でそれを容認しています。その中で学校だけが愛を教育しても焼け石に水だと思います。そのため私は社会保障など無くせと、とても保守的な考えなのです。しかし、どうしても離婚しないと子供の教育など出来ないという家庭もあるでしょう。私はそういった家庭にも社会保障は本来不要であると思います。なぜなら、社会から離婚が少なくなればなるほど、さきほどから話している家庭教育における愛(奉仕の心)が人々に根付いていると思うからです。そうすれば、そいった恵まれない人には、恵まれる人たちが援助してくれると思うからです。
では、何故親は安易に離婚し子供の教育を放棄してしまうのでしょうか。その根底にあるのが、私は資本主義による近代化だと思っています。親たちも、自分たちが社会に出て働くだけで精一杯なんです。当然です。本来家庭教育は核家族では無理です。これを解決する方法は、自分には正直見当たりません。すぐには解決できないでしょう。ただ、一人ひとりがもういちど自分たちの社会を問いただして、正しい社会のあり方を認識できれば道は開かれると思います。
kei
通りすがりさん

はじめまして。
コメントありがとうございます。

こういう反論は、
心のどこかで待っていました。
ありがとうございます。

人間にきちっとした教育、
これは僕個人的にはやりたいと思っています。
結婚とは何か。愛とは何か、と。

でも、学校教育内部でこういうテーマを扱うのは極めて難しいと思います。

愛を学校教育の根幹に置こうという試みはありますが、「愛するということの学び」を学校教育のカリキュラムに入れることは極めて難しいです。

大学だともっと絶望的です。学問の場所ですから、愛することの意味を教育することは不可能に近いです。(愛することの研究なら人文系で可能でしょうけど)

離婚後の社会保障をしない、という戦略で政治的に動いたらどうなるでしょう。

離婚の数は減るかもしれませんが、それは女性(あるいは男性)にとってものすごい脅威となると思います。

現代社会であれば、結婚率の低下、未婚家庭の増加、子どもの数の減少、行く末は家族そのものの崩壊までもが危惧されるようになると思います。離婚できないとなると、結婚を控え、その結果、戸籍もあいまいなものになり、パパの存在しない子どもや、ママの存在しない子どもまでもが出てくると思います。(その例がフランスです)

もちろん通りすがりさんのおっしゃることも理解できます。本来責任を果たすべき親が自分の勝手な理由で離婚するのは、まさに無責任です。その責任を国の税金で補完していいのか?これはたしかに大問題だと思います。

そういう意味では、「恋愛幻想」そのものを断ち切り、結婚と恋愛を意識的に切り離す作業が必要かもしれませんね。

さらには探偵や調査官を増やして、あらゆる可能性を調べ上げて、相手の情報を99パーセントは集めて、結婚をするという道もなくはないでしょうね。ちなみに昔は(ある層以上の家庭では)当たり前に素性調査をしていたと聞きます。

そうすると、今度は「生まれながらにして、結婚できる人とできない人」ができて、恋愛格差の問題になってしまうかもしれません。

色々話が飛びましたが、また色々とご感想、ご意見を聞いてみたいところです。

僕の中でも、離婚がどうなのか、まだよく分からないところが多すぎますので。。。

コメントありがとうございました!
通りすがり
離婚増加は、近代化(超近代化?)においては不可避的なものでありとありますが
私はこれは間違いだと思います
私は近代化は人間を堕落させ社会の秩序を奪い
貧困を生み環境を破壊し、他の生物のみならず
未来の人類へ災いをもたらすだけだと思う
なぜなら、近代化は人類が同種を潰しあう弱肉強食社会であるからです
動物社会では同種を殺しあうことなどしません
なぜ人類がそういった行為を行うのか、それは人間がもつエゴ(理性)によるものです
私は近代化が悪だといってるのではありません。近代化を推し進めるのであれば、人間にきちんとした教育と社会が秩序を保つための制度を作るべきです。
離婚した後の家族の保障、保護、支援が必要ではなく、離婚すれば社会的に誰も保証されない社会であるべきです。そのために全力で家族は阻止すべきで、離婚しないように協力すべきです。
たとえば母子家庭の補助は誰がお金を払ってるのでしょうか?
本来責任を負うべき人がそれを放棄し、他人がその尻拭いをする社会が全うな社会となりえるのでしょうか?
私はそれはまったく理解できません。
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