シニア担当のYokoです。
先日のワークで「不穏な状態」という事を書きました。
高齢者の現場ではよくある事です。
これは認知症の方のみならず、健常の方でもあります。
私たちのワークには、その状態によって職員の方がワーク参加を取りやめる場合もあります。
また参加されても、おひとりの方がきっかけで全体が不穏な様子に包まれる場合もあります。
そう。 現場はいつだって「生もの」なのです。
「マニュアル通り」には行きません。
そもそも「マニュアル」はありませんが、「プログラム」はあります。
何分頃には何をして、何分頃にはこうお伝えして・・・狙いと流れを書いた
セラピストが心血を注いで作る命のようなものです。
「つまんないわよ!」「やめちゃいなさいよ!」「あんた汚らしいわよ!」等々
ワーク中にかけて頂いた言葉は1冊の本に出来るくらいあります。
不穏な時は、その方が普段言わないような言葉遣いがオンパレード
これ。前に立つものとして「きつい」ですよ。
こちらも感情を持った人間ですので、そう言われたらめげるし、時にはイラっともしちゃうし
焦ってしまうし、人によってはプログラム進行に少なからず影響を与えます。
ねぇ~どうしたらいいんでしょうね?
こうなっちゃったら。
泣いてやめるわけにも行きません。
だって「プロ」ですからね。
プロ根性を出さないと!!
「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
まずは不穏な発言を無視しないという事でしょう。
大きな声で暴言を言われても、必ずそこに反応をする。
受け取ってもらえない、関わってもらえない。
これ普段の私たちでも同じですよね。
これは私の進め方ですが、この様子がある程度落ち着くまでは
ワークには入らないようにしています。
またその人の訴えをワークの流れの中に取り込んで行く時もあります。
テーブルをドンドンとたたく人が居れば、
「なんだかいい音しますね。皆さんもちょっと一緒にやってみましょうか!」と
一斉にテーブルをみんなで叩きだした事もあります。
すると最初に叩いていた方は、自分が中心となって始まったその行為が楽しくなってくる。
怒りなどからの「ドンドン」が、みんなでやり始めた事で楽しい「ドンドン」に変わって行く。
そして更に「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
私はその発言も行為もあまり心配をしていないという事です。
なぜかといいますと、
アートセラピーを信じているからです。
自分を表現するという事は、自分の人生に能動的に関わって行く事です。
この時間だけは、自分の思った通りに色を塗ったり、形を作ったり出来る。
施設で暮らして行くと、受動的な時間が多くなってきます。
身体的にも自分の思うように出来ない事から来るストレス・あきらめ
でもアートワークは、自分が色を選び、腕を動かし、切り取りたい所を決める。
これら全部は難しくなっていたとしても、「色を選ぶ」だけでも自分の好きな事が出来る。
不穏な方は何かがきっかけで、いつもと違う何かに心が支配されているように思います。
一番苦しいのはご本人でしょう。
素材がその支配から抜け出すきっかけを与えてくれるのです。
思いっきりイライラを書いてみたり、好きなだけ紙が切れそうになるまで塗ってみるとか。。
そして更に更に「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
どんな様子のシニアの方でも、暴言などを言われて驚いている自分が居ても
どちらも同じ人間で、そんな相手をそんな自分を責める事なく
「愛している」という事
その大地にさえ立っていれば大丈夫だと思います。
うまく行かないときもあるし、落ち込む事もあるけれど、
こんな風に思えるようになれたのも
「つまんないわよ!」と言って、私に関わってくれるシニアの方いてくださったからこそです。
ちゃんと自分の行為に反応してくれる。
その事で自分の中で起こる感情やプログラムの内容を
改めて見つめ直すきっかけを与えてくれているのです。
特に不穏な方の反応はダイレクトで正直です。
オブラートに包んでない。
その事位、人間らしいものはないと思うのです。
ありがたや。ありがたや。なのです。
先日のワークで「不穏な状態」という事を書きました。
高齢者の現場ではよくある事です。
これは認知症の方のみならず、健常の方でもあります。
私たちのワークには、その状態によって職員の方がワーク参加を取りやめる場合もあります。
また参加されても、おひとりの方がきっかけで全体が不穏な様子に包まれる場合もあります。
そう。 現場はいつだって「生もの」なのです。
「マニュアル通り」には行きません。
そもそも「マニュアル」はありませんが、「プログラム」はあります。
何分頃には何をして、何分頃にはこうお伝えして・・・狙いと流れを書いた
セラピストが心血を注いで作る命のようなものです。
「つまんないわよ!」「やめちゃいなさいよ!」「あんた汚らしいわよ!」等々
ワーク中にかけて頂いた言葉は1冊の本に出来るくらいあります。
不穏な時は、その方が普段言わないような言葉遣いがオンパレード
これ。前に立つものとして「きつい」ですよ。
こちらも感情を持った人間ですので、そう言われたらめげるし、時にはイラっともしちゃうし
焦ってしまうし、人によってはプログラム進行に少なからず影響を与えます。
ねぇ~どうしたらいいんでしょうね?
こうなっちゃったら。
泣いてやめるわけにも行きません。
だって「プロ」ですからね。
プロ根性を出さないと!!
「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
まずは不穏な発言を無視しないという事でしょう。
大きな声で暴言を言われても、必ずそこに反応をする。
受け取ってもらえない、関わってもらえない。
これ普段の私たちでも同じですよね。
これは私の進め方ですが、この様子がある程度落ち着くまでは
ワークには入らないようにしています。
またその人の訴えをワークの流れの中に取り込んで行く時もあります。
テーブルをドンドンとたたく人が居れば、
「なんだかいい音しますね。皆さんもちょっと一緒にやってみましょうか!」と
一斉にテーブルをみんなで叩きだした事もあります。
すると最初に叩いていた方は、自分が中心となって始まったその行為が楽しくなってくる。
怒りなどからの「ドンドン」が、みんなでやり始めた事で楽しい「ドンドン」に変わって行く。
そして更に「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
私はその発言も行為もあまり心配をしていないという事です。
なぜかといいますと、
アートセラピーを信じているからです。
自分を表現するという事は、自分の人生に能動的に関わって行く事です。
この時間だけは、自分の思った通りに色を塗ったり、形を作ったり出来る。
施設で暮らして行くと、受動的な時間が多くなってきます。
身体的にも自分の思うように出来ない事から来るストレス・あきらめ
でもアートワークは、自分が色を選び、腕を動かし、切り取りたい所を決める。
これら全部は難しくなっていたとしても、「色を選ぶ」だけでも自分の好きな事が出来る。
不穏な方は何かがきっかけで、いつもと違う何かに心が支配されているように思います。
一番苦しいのはご本人でしょう。
素材がその支配から抜け出すきっかけを与えてくれるのです。
思いっきりイライラを書いてみたり、好きなだけ紙が切れそうになるまで塗ってみるとか。。
そして更に更に「不穏な状態」を「あー楽しかった」に変えて行くためには、
どんな様子のシニアの方でも、暴言などを言われて驚いている自分が居ても
どちらも同じ人間で、そんな相手をそんな自分を責める事なく
「愛している」という事
その大地にさえ立っていれば大丈夫だと思います。
うまく行かないときもあるし、落ち込む事もあるけれど、
こんな風に思えるようになれたのも
「つまんないわよ!」と言って、私に関わってくれるシニアの方いてくださったからこそです。
ちゃんと自分の行為に反応してくれる。
その事で自分の中で起こる感情やプログラムの内容を
改めて見つめ直すきっかけを与えてくれているのです。
特に不穏な方の反応はダイレクトで正直です。
オブラートに包んでない。
その事位、人間らしいものはないと思うのです。
ありがたや。ありがたや。なのです。
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