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ヨハネを巡る旅

2024-01-02 06:57:34 | 日記
聖書: ヨハネ 15:5 「わたしはぶどうの木です。 あなたは枝です。 人が私の中に留まり、私も彼の中に留まるなら、その人は多くの実を結ぶでしょう。 私を離れては何もできません。」

観察: 十字架につけられる前のイエスの人生の最後の数時間で、イエスは追随者たちに対する最大の懸念のいくつかについて語られました。 そして神の優先リストの最上位は、私たち一人一人が神とのつながりを保ち、神との関係を新鮮で現実的で一定に保つことです。 神は私たちの命の源であり、正しく生きる力です。 神からは私たちが成長し続ける霊的な栄養がもたらされます。 神とのつながりを失ってしまったら、私たちは真に永遠の価値のあることを何も行うことができなくなります。

応用: 忙しすぎて、イエスの臨在とその愛を心から楽しむ時間が取れなくなりがちです。 毎朝一番に主の御言葉を読み、自分の懸念を祈り、時間をかけて主を礼拝し、祈りに耳を傾けることによって、主と共に時間を過ごすことは、イエスとの「つながり」の精神で一日を始めるのに役立ちます。 そして、一日中、主の存在と主の愛を思い出し続ける必要があることに気づきました。あちこちで時間を割いて主を思い出し、主を楽しみ、主に感謝する必要があります。 これを習慣にすると、人生や人々に対する私の見方がより健康的で、よりポジティブになります。 イエスが約束された豊かな人生の喜びを感じます。 私は神から、世界での神の働きに関わる刺激的な機会につながる促しを受けています。 しかし、イエスが共におられることを長い間忘れて気を散らしてしまうと、私の態度や自発的な反応はますますイエスらしくなくなります。 結局のところ、私がそのつながりを失うと、私の人間関係は悪化します。なぜなら、私は忍耐と愛が少なくなり、より自己中心的な傾向があるからです。

祈り: イエス様、今日も毎日もあなたとつながっていられるように助けてください。 愛してます。 アーメン。

注目すべき真実:
15:4-5 イエスは中心のぶどうのようなものであり、私たちは枝のようなものです。 神は私たちの栄養と命の源であるため、私たちは健康に暮らして実を結び続けるために(つまり、個人の成長と敬虔な性格の特質の発展を見るために)神とのつながりを保つ必要があります。
15:8 人格の発達は、私たちが本当にイエスの弟子である証拠です。
15:14 私たちがイエスの友である証拠を別の言い方で説明すると、私たちはイエスの愛の命令を実践しているということです。
15:19 本物のキリストに従う人は世のやり方に適合しないので、しばしば世から不当な扱いを受けます。
15:22 ひとたび神の真理が語られると、人は神の前でさらに責任を負うようになります。
15:26 聖霊は、イエスについて私たちに証しし、他の人に証しするのを助けてくださいます。

‭‭ヨハネによる福音書‬ ‭15:1‭-‬27‬ ‭新共同訳‬‬ [1] 「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 [2] わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 [3] わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 [4] わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 [5] わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 [6] わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 [7] あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 [8] あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。 [9] 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。 [10] わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。 [11] これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。 [12] わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。 [13] 友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。 [14] わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。 [15] もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。 [16] あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。 [17] 互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」 [18] 「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。 [19] あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。 [20] 『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。 [21] しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。 [22] わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。 [23] わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。 [24] だれも行ったことのない業を、わたしが彼らの間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。 [25] しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と、彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。 [26] わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。 [27] あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。


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