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人間とは、人生とは・・・・・。摩訶不思議な人生を共にエンジョイしましょう。
(世界一周の旅他)

「シカゴ」は以外にもヨーロッパ調の街であった。

2016-08-30 13:25:06 | Weblog
NYからバッファローへ飛び、ナイアガラの滝を見て、シカゴにやってきたが、観光の街のイメージが余りないシカゴの街は
以外にも、ヨーロッパ調の街並みであった。宿泊ホテルも名前は忘れたがヨーロッパ調の作りのホテルであった。オバマ大統領
の街でもあるが、その昔は禁酒法時代に「アルカポネ」が名をはせていたが、アルカポネがいたビルも残っていた。バスでミシ
ガン湖畔を走ったが、まるで海岸線を走っているような壮大な湖であった。アメリカの五大湖の周りには、アメリカ産業の象徴
である、自動車産業が集積しているところでもある。当時アメリカ一番の高さを誇る「シアーズタワー」も行ったが、NYのエン
パイアステートビルとは、高層ビル街のNYに比べ、少し違った感じがしたものである。いまは「ウイルスタワー」と名前が変わって
いるようである。シカゴでは仕事の関係で「CBOT」シカゴ商品取引所を見学したが、学校の巨大な体育館のようなところで、
日本の市場を巨大にしたような感じであった。それこそ、肉から金融商品までありとあらゆる商品が、各ブース毎に分かれ、取引
されていた。各ブース毎に人間が手振りで商品取引を行っていた。その取引を各ブースの上でコンピューターに打ち込み、壁一面に
はりめぐされたボードにその結果が表示されていくのであった。いまはわからないが、日本国債の先物取引も行われ、ボードに表示
されるといったかんじであった。9月にNYからナイアガラの滝を見て数日でシカゴに行ったが、NYでは半袖、シカゴでは冬物のコートを
着ていたのが、やはりアメリカ大陸の壮大さがわかる話ではある。それもDVDに残っているので、勘違いではないと思う。シカゴから
成田直行便で帰る前日の夜、シカゴ最後の夜だからとホテルの近くにあった居酒屋調の日本レストランに行ったが、客は我々のグループ
と、もう一組の日本人のグループだけであった。そのグループの人達と交流することになったが、名前は出せないが、今は無き某政府系
金融機関のシカゴ支店の人達であった。仕事上、関係のあるところだったので、話も弾んだものである。世界は狭いなといまさらながらに
感じたものである。観光地ではないだけに、良い経験ができたなと思う次第である。
コメント (2)
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