「韓国(釜山・光州・ワンド・珍島・ソウル)」の旅」
第三日目
ワンドから光州を経てソウルへ
「真露」のおかげ?で、ワンドの旅館で思わぬ「オンドル」のお世話になり、二日酔いも避けることができ、ことなきを経て、予定通り光州からソウルに向かうことになるが、光州から「特急」の道の選択は変え、
光州から「国内線の飛行機」でソウルに向かうことにする。ワンドから光州までは「タクシー」で向かう。途中、何車線もの高速道路を走るが、軍用ジェット機が離着陸できるようになっているとの話であった。
光州飛行場から「ソウル」に向かうことになるが、飛行場の「イミグレ」では、男女の「兵士」と思しき人達が、「カービン銃」を抱えて警戒に当たっていた。当時の日本では、少々「違和感」のある光景であったが
38度線を抱えている国にとっては当たり前のことで、「違和感」を感ずる我々のほうが、「平和ボケ」しているのだなと思った次第である。飛行機は国内線の大韓航空の「ボーイング727」であったが、窓は閉めてく
ださいとのことで、外は見えなくなってしまった。飛び立つまで、どの位かかったであろうか、えんえんと助走し無事、離陸したが、窓を開けて良いとの案内が出るまでには、既に「雲の上」で外は雲しか見えなかった。
飛行機の最後部には、「カービン銃」を抱えた兵士が「陣取っており」、これも「違和感」を感じたものであるが、ソウルへ向かって飛ぶということは、38度線に向かって飛ぶわけであるから、「何が起きてもおかしく
ない」という、「平和ボケした日本人」は、ある種の「感慨」に耽ったものである。現在も同様であるのかは、残念ながら知るすべがない。38度線方面から、「攻撃」を受けたらどうなるのだろうか?考えている間もな
く飛行機は、無事「ソウル飛行場」に着くが、ここでも「軍事態勢下」?にあるような光景が目に付き、またまた「平和ボケした日本人」はある種の「感慨」に耽ったものである。ソウル飛行場から、今晩の宿泊先の「
ロッテホテル」に向かうことになる。
今回の旅は「メモ」が残っていないので、記憶をたどりながら書き進めますので、事実と違うところがございましたら
御許しお願い致します。
★上記の記述は、過去に書いたものであるが、今日、「南北首脳会談」が開かれる。38度線の「板門店」をキム・ジョンイル氏が、北朝鮮で初めて歩いて38度線を越え、韓国に足を踏み入れる、「歴史的」事態なの
であるが、随分変わって来たなというのが、素直な感想である。「米朝会議」も開かれるわけであるから、「歴史的」には、本当に変わって来たなと思う次第であるが、逆にそれだけ「世界の政治・経済」が変化している
証拠でもある。戦後、世界の政治経済が劇的に変わっているのに、「我が国」は変化に「対応」できているのだろうか?と思うのは私だけだろうか?