蛇の恩返し(大膳池の民話)
むかしむかし、常陸の国は行方の郡のある里(むら)に、じいさんとばあさんが住んでいました。
ある日のこと、じいさんは山に芝刈りに、ばあさんは川にせんたくに行きました。
じいさんは一生懸命に芝刈りして、お昼になったのでお弁当を食べようと思い、弁当箱を開けてみると箸(はし)が入ってませんでした。
じいさんは、しの竹を切って、箸にしようと思い、近くにあるしの竹を切ろうとすると、そこに一つの白い卵がありました。
じいさんは、その卵を夕方大事に持って帰りました。
ばあさんに見せると「じいさんや、何が生まれてくるか分からないけど、食べないでかえしてみよう」と、ばあさんはその日から三日三晩、卵を温めてあげました。
四日目の朝、その卵から、なんとヘビの赤ちゃんが生まれました。
じいさんとばあさんは、子供がいなかったのでそのヘビの子供を育てることにしました。
そして名前を修三とつけました。赤い木のおわんに水をくんでやり、遊び場所にしてやりました。小さな虫やかえるを取って来て食べさせました。修三は、じいさんとばあさんが畑仕事のときは家の中で遊んでいました。
そして、修三はだんだん大きくなり、身長五尺、大きさは三寸にもなり家の中で遊んでいるのも飽きてしまいました。
外に出て近所の子供たちが大勢遊んでいるところへ行って、仲間に入れて遊んでもらおうと垣根づたいに近づいたり、赤い舌を出して首を振り振り近づきました。
子供たちはクモの子を散らすように「ヘビの修三が来た、こわいよう」と泣き泣き家へ帰るようになりました。
里の庄屋さまにその話が伝わり、「ヘビの修三を殺すか、遠くへ捨ててこなければこの里に住んでもらっては困る」とじいさんは、庄屋さまに言われてしまいました。
じいさんとばあさんは修三に「修三や、お前は人間でないのだから、人間の子供とは遊べないんだ。今度から家の外に出て、里の人に見つかったら殺されてしまうぞ。決して外にでるなよ」と言って聞かせました。修三は家の中にかくれているようになりました。
ある日、じいさんとばあさんが畑仕事から帰って雨戸を開けて家の中に入っても、いつもなら喜んで家の梁(はり)からぶら下がって見せたり、足元に来るはずの修三が来ませんでした。
「外に出て、里の人に見つかって殺されてしまったのか」と、じいさんとばあさんは心配して里の人に聞こえないような小さな声で「修三や、修三や」と家の回りを探したが見つかりません。
「あと探すところはご先祖様以来、開けてはいけないと言われている開かずの間だけだ」と思い、開かずの間を開けてみました。
中には古い槍(やり)や刀、そして昔、お客様用に使ったと思われる漆(うるし)塗りの膳がありました。
一番大きな木の膳に水が満々と入れてありました。
「これはきっと赤須村の大膳池に行くというしるしなのだ。やっぱり分っていたけどヘビの子供を育てて里の人に迷惑をかけてしまった」と思いましたが、その反面、かわいそうになりました。
その後、修三がいなくなってから二人は一生懸命に働きましたが、体が弱り仕事が出来なくなりました。
少しばかりの畑と古い家を里の人に売ってしまいました。
そのお金で修三に人目会ってから死にたいと考え、里の人には遠い親類に世話になるからと言って二人は里の人に送られて旅に出ました。
もちろん、本当の行く先は赤須村の大膳池と言うところです。
じいさんとばあさんは野宿をしたり神社やお寺の軒下を借りて泊まり、励まし合いながら赤須村にたどり着きました。
もう一つ小さな坂を越し、大膳池という峠の茶店に着きました。
茶店の人が「じいさん、ばあさん、何処に行くのか分からんが、この先の大膳池の方には行けないよ。数年前から大蛇が住み着き、村の子供を食べてしまったりして危ないところだから近づけないよ。ほら、そこの立て札にも書いてあるが、この大蛇を退治した者には島崎の殿様が小判十枚くれると言うのだが、誰も怖がって退治に行けないんだ。じいさん、ばあさんも一休みしたら、近づかないように回り道を行くといいよ」と親切に教えてくれました。
じいさんとばあさんは、お茶の礼を言うのもそこそこに、茶店の人の止めるのを振り切って池の道へ入って行きました。
誰も通らなくなった道なので、身の丈ほどの草木をかき分けてやっと池の淵にたどり着きました。
大膳池は周囲二里、周りに大きな松、杉、椎木が覆いかぶさり水はどこまでも青く、大蛇が居るのを動物達は知っているのか、静まり返り小鳥の泣き声一つしません。
その池に向かって、じいさんとばあさんは力の限り声を出して「修三や、修三や」と呼びかけました。
すると、どうでしょう。
反対側の山すそに小さな水しぶきが一つ出来てそれが一条の白い線となり、じいさんとばあさんを目掛けて進んで来ます。
見ると、水の上に三尺もの首を出した大蛇が赤い舌を出して泳いで来るのです。
「修三だ、修三だ」と、じいさんとばあさんは懐かしさのあまり泣き叫びました。
大蛇はすうっと二人に近づき、臭いを嗅ぎ赤い舌でペロペロと二人を舐(な)めまわした。
じいさんは「修三や、大きくなったもんだ。じいもばあも会えてうれしいけど、お前、人間を食ったそうでねえか。茶店の人の話では、島崎城の御家来が近々、大勢でお前を退治するため山狩りをすると言うことだ。悪いことをしてみんなに迷惑を掛けて退治されるより、お前を育てたじいとばあにも責任がある。修三や、他人の手にかかるなら、じいとばあの刃の下で死ねや」と言うと、修三は目に涙を溜め二人の顔をじっとみくらべ、分ったというように首を縦に振り、その大きな首をじいさんの前に出し、目を閉じて動きませんでした。
じいさんは開かずの間から持ってきた短刀で、エイッとばかり修三の首を切り落しました。
そして、なむあみだぶつ、なむあみだぶつと唱えました。
この話を聞いた島崎の殿様は、非常に喜び家来が退治出来ない大蛇を老夫婦がよく退治してくれたと、小判二十枚をくだされ赤須村のどこに住んでも良いと申されました。
じいさんとばあさんは、そのお金で小さな家を建て、池の上の方に修三の墓を造り供養しながら何不自由なく一生を終わることが出来ました。
今でも大膳池の堤の上に立つと、「シューゾー」と呼ぶような風の音が時々聞こえてくるそうです。
おわり
※「大膳池のおはなし」
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採択1位 (県民の森基本構想になる) 茨城県
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