エスせんブログ

ラノベ好きなB級小学校教師のエスせんが、教育中心に色々語るブログです。少しでも面白ければ「いいね」御願いします。

八軒自然科学クラブの終焉・その3

2024-07-17 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回も前回(R6.7.3)前々回(R6.7.10)に続いて、八軒自然科学クラブが解散する話を書きます。
 指導員が高齢化した事で、体力的にも気力的にも活動を維持するのが難しくなった上、参加できる人員が減ってきた。そんな中、ギリギリの3名すら確保するのが不可能…となる事件が発生しました…と言うのが、前回でした。
 それは、中心となって進めていたY指導員が、個人的に出かけたキャンプ先で大怪我をし入院した…と言う事件です。しかも結構な大怪我で、退院の目処が立ちません。
 残ったO指導員と私は、かなり悩みました。
 ゴールデンウィークの頃なので、1ヶ月くらいで退院するなら、その間の通常活動は1回だけです。1回だけなら、2名で頑張って進める事は出来なくもありません。
 しかし、退院までに2ヶ月以上かかるなら、かなり難しいと言わざるを得ません。6月のキャンプも入ってくるからです。
 しかも、当時の私は担任外の仕事をしており、突如、休日出勤しなくてはならなくなる可能性もありました。そうなったらO指導員1名だけで引率する事になり、安全上、そんな事はさせられません。
 他の指導員とも相談し、結局、八軒自然科学クラブの活動を継続するのは無理だ…と言う判断を下しました。かくて、40年近く活動してきた八軒自然科学クラブは解散する事となったのです。

 とは言え、既に会員募集をしていました。5月の活動の準備をした子もいるでしょうし、保護者にも説明しなくてはなりません。
 取り敢えず、保護者に解散を伝えるための説明会を開く事にしました。また、O指導員と私の2名で、5月の春香山登山は実施する事としました。その1回だけは活動しますが、それ以後は解散して活動は行わない…と言う予定です。
 保護者説明会では、「折角だから活動を続けてもらえないか」と言う、とても有り難い御意見が沢山ありました。中には、「ボランティアで引率の補助をします」と言ってくださる保護者もいました。
 ただ、八軒自然科学クラブの活動は、常に危険と隣り合わせです。我々指導員は最悪の事態(子供が事故に遭い、裁判沙汰になる…)を覚悟してましたが、その覚悟を保護者にしていただく訳にはいきません。
 そうやって丁寧に説明し、保護者の皆さんには納得していただきました。
 そして、その年の5月、春香山登山の活動を終えた段階で、八軒自然科学クラブは解散となりました。本当に残念ですが、これも仕方のない事だったのだろう…今は、そう思っています。

 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。毎週水曜日に書いていた八軒自然科学クラブの思い出話は、ひとまず今回で終了とさせていただきます。来週からは、毎週水曜日に時々金曜に書いていた「介護狂詩曲」を書く予定です。
 それでは今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。 
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八軒自然科学クラブの終焉・その2

2024-07-10 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回も前回(R6.7.3)に続いて、八軒自然科学クラブが解散する話を書きます。
 指導員が高齢化した事で、体力的にも気力的にも活動を維持するのが難しくなった上、参加できる人員が減ってきた…と言うのが、前回でした。
 参加できる指導員が減ってきた事は、八軒自然科学クラブの活動にとって大きな問題です。何故なら、子供たちの安全を確保する事が難しくなるからです。
 解散するまでの10年間くらいは、八軒自然科学クラブの参加者(小学生)は15~20名くらいでした。この人数だと、指導員の最少人数は3名がギリギリです。先頭に1名、最後尾に1名、中間で前後うろうろするのが1名…で3名です。
 もちろん、これは集団がある程度まとまっている事が条件で、列が余りにも長く伸びすぎていると危険です。そのため、列が伸びすぎないよう、途中で休憩を入れる事が多くなります。結果、あんまり遠くへは行けなくなってしまいました。
 それでも、指導員が3名いれば一応安心して活動できます。それが、どうしても2名しか参加出来ない事態が発生してきました。
 こうなると、列が伸びる事は危険と直結してしまうので、ある程度、歩くのが遅い子に合わせて進まなくてはなりませんが、それでも指導員としては不安でいっぱいでした。
 そんな中、ギリギリの3名すら確保するのが不可能…となる事件が発生しました。その辺りについては、また次回とさせていただきます。

 ところで、令和6年7月9日の「認知を鍛える(かもしれない)ダウトゲーム」に、「いいね」などをいただきました。本当に嬉しいです。どうも、ありがとうございます。
 また、八軒自然科学クラブに所属していた方から、昔のブログ記事にコメントをいただきました。これで2人目です。こちらも、とっても嬉しいです。
 これらを励みに、これからもブログを続けていきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。 
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八軒自然科学クラブの終焉・その1

2024-07-03 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回から、八軒自然科学クラブが解散する話を書きます。
 何事にも終わりはあるもので、八軒自然科学クラブも平成の最後の頃に解散する事となりました。40年近く活動してきた事を思うと残念ですが、これもまた「諸行無常」と言う事でしょう。
 終わりは突然やって来ました…が、その前に解散する遠因を説明します。
 解散する遠因となった事、それは「指導員の高齢化」と「新規指導員の確保が出来なかった事」の2点です。
 私も含め、八軒自然科学クラブの指導員は、クラブ創設に近い時期から指導員として参加していました(私は、一般会員として参加し、後に指導員となりました)。それが40年近く活動している訳ですから、高齢化するのも当然です。
 高齢化すると、問題点が2つ発生します。
 1つ目が、「体と心が弱くなる」です。体については、おそらく分かると思います。熟年世代になれば、20代や30代の頃と比べれば体が動かなくなるのは当然ですから。それ以上に問題なのが、心が弱くなる事です。20代や30代なら攻めの姿勢で進める部分でも、熟年世代だと「やめとくか」となりがちです。実際、解散直前の5~6年間は、これまでの計画を全く変えずに進めている事が大半でした(変更したのは、ヒグマ対応の時だけです)。
 2つ目が、「忙しくなる」です。年齢が上がれば上がった分だけ、抱える物事が多くなります。そして、立場だって変わります。実際、八軒自然科学クラブの指導員からも、管理職になる方が出てきました。私だって担任外になってしまい、休日出勤せねばならない事が増えてしまいました。そして、休日出勤すると言う事は、八軒自然科学クラブの活動に参加出来なくなる…と言う事です。
 この2つの問題点を改善するために重要な事、それは若い新規指導員を確保する事です。もちろん、そのための努力をしていなかった訳ではありません。若い教師に声を掛け、試しに参加してもらう様にしていました。
 ただ、これまでのブログを読んでいただければ分かる通り、八軒自然科学クラブは独特過ぎました。この活動を面白がり、積極的に参加しよう…と思うには、少々ハードルが高かったと言う事でしょう。
 かくて、指導員が高齢化し、新しい指導員が確保できない状態が続きました。その結果、八軒自然科学クラブの活動を維持するのが難しくなっていったのです。
 その辺りについては、また次回とさせていただきます。

 ところで、令和6年7月1日の「おたよりノート・前編」に、「いいね」などをいただきました。どうも、ありがとうございます。いただいた「いいね」を励みに、これからもブログを続けていきますね。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。 
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八軒自然科学クラブ誕生秘話4

2024-06-26 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回も、ここ最近続けている、八軒自然科学クラブが誕生した経緯語りです。
 ロクデナシの私を何とかするため、札幌市中央区の旭ヶ丘地区で行われていた「旭山自然科学クラブ」に参加させた母ですが、札幌市西区の八軒地区に引っ越す事となり悩んでいました。そんな時、「旭山自然科学クラブ」の指導員H先生から、「自然科学クラブを続けたいなら、エスせんママさんが作ればイイ」とアドバイスが。そして母は、地域の町内会から許可をもらい、「八軒自然科学クラブ子供会」を立ち上げ、そこに指導員としてM先生が来た…と言うのが、前回までの話です。
 このM先生…まぁ、凄いって言うか、とんでもないって言うか…。このブログを書いた令和6年6月の段階で、もう80歳を超えているのですが、スキューバダイビングはするは、スカイダイビングはするは、フルマラソンに参加するは…とんでもない方なんです。
 私が出会った頃は、その様なアウトドアスポーツには力を入れていませんでしたが、野外活動の知識は信じられない程のものがありました。
 野山を歩いていて鳥の鳴き声が2~3秒聞こえたら、「あれはメジロだな」とか「あれはシジュウカラだな」と、瞬時に当ててしまうのです。樹木にキツツキがあけた穴を見て、「こっちはアカゲラ。こっちはクマゲラ」と当てる事も出来ました。
 植物も詳しくて、葉っぱの形をちらっと見たら、「これはヨブスマソウ。別名ボウナ。茹でて食べられるよ」と直ぐに説明してくれます。虫も詳しくて、葉っぱに止まったバッタの幼虫を見て、「これはフキバッタの2齢幼虫だな」と判断してしまいます。
 出会って直ぐ私は、「こりゃ、とんでもない人だ。よし! この人を私の野外活動の師匠にしよう」と、勝手に決めてしまった程です。
 このH先生が牽引してくれたおかげで、八軒自然科学クラブは草創期を乗り切る事が出来たと言えるでしょう。年間の予定を決めたり、他の指導員を集めたり、試行錯誤を繰り返しながら数年過ぎ、十数年過ぎ、ようやく八軒自然科学クラブは形を整える事が出来た訳です。
 残念なのは、母が資料を捨ててしまったので、私の曖昧な記憶しか頼れるものがない事です。資料が残っていれば、この草創期の面白い話を、もっともっと紹介できるのですが…。

 ところで、令和6年6月24日の「教え子が母校の教師に」に「いいね」などをいただきました。いつも読んでいただいている上、「いいね」までいただいて感謝です。ありがとうございました。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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八軒自然科学クラブ誕生秘話3

2024-06-19 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回は、ここ最近続けている、八軒自然科学クラブが誕生した経緯語りです。
 ロクデナシの私を何とかするため、札幌市中央区の旭ヶ丘地区で行われていた「旭山自然科学クラブ」に参加させた母。
 しかし、札幌市西区の八軒地区に引っ越す事となり悩む事となります。そんな母に、「旭山自然科学クラブ」の指導員をされていたH先生が、「自然科学クラブを続けさせたいなら、エスせんママさんが作ればイイ」とアドバイスしました…と言うのが、これまでの話です。
 H先生のアドバイス通り、取り敢えず母は、地域の町内会から許可をもらって子供会として組織しました。「八軒自然科学クラブ子供会」と言う訳です。
 普通の子供会と異なるのは、地域の町内会の下部組織的な子供会ではなく、幾つかの町内会にまたがる子供会とした事でしょう。当時、八軒地区には2つの小学校があり、その両方から子供を集めるためには、そうせねばならなかったのです。もっとも、八軒地区には地域の町内会の他に、「八軒連合町内会」と言う組織もありました。そのため、連合町内会の下部組織的な扱いで設立する事ができた様です。
 なお、後に八軒地区の小学校は4つに増えましたが、この時に全部の地域を網羅していたので、スムーズに全ての学校へ募集を行う事が出来ました。
 組織が出来たので、次は指導員の確保です。
 私の曖昧な記憶では、最初の何回かはH先生がしてくださった様に覚えているのですが、間違っているかもしれません。
 H先生は約束通り、後輩の小学校教師を紹介してくれました。私の野外活動の師匠である、M先生です。私が師匠と勝手に思っているくらいなので、M先生は凄い…と言うか、とんでもない方です。
 あ、でも、もう1000文字を超えてしまいました。では、続きは次回と言う事で。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。



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秘話番外編~H先生の思い出

2024-06-12 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回も、前々回、前回と続けている八軒自然科学クラブ誕生の経緯…ですが、今回は番外編です。
 ロクデナシの私を何とかするため、札幌市中央区の旭ヶ丘地区で行われていた「旭山自然科学クラブ」に参加させた母。
 しかし、札幌市西区の八軒地区に引っ越す事となり、「旭山自然科学クラブ」の指導員をされていたH先生からアドバイスを受け、「八軒自然科学クラブ」を創設するために動き出す事となった…と言うのが、前回までの内容でした。
 このH先生で思い出すのが、何と言ってもカマキリの交尾の話です。
 H先生は後年、札幌市南区白川(シライカワ)にある札幌市北方自然教育園に勤務していました。そこでは様々な生物…特に昆虫を飼育していて、その話を昆虫好きの私にしてくれたのです。
 こんな感じです。

 北方自然教育園では、他の昆虫の餌にするため、コオロギを沢山飼育しているんだ。だから、カマキリにもコオロギを餌としてあげる。
 ところでカマキリって、交尾した後、雌が雄を食べてしまうんだ。そこで、周りに餌が沢山あったらどうだろう…って考えて、交尾中のカマキリのケースにコオロギを山の様に入れてみたんだ。
 すると雌は、交尾しながらコオロギをどんどん捕まえて、どんどん食べてしまうんだ。そして、交尾が終わっても雄を食べない。つまり、交尾した後に雌が雄を食べるのは、栄養分を補給するためで、満腹するくらい栄養補給されてたら雄は食われないんだ。
 でね、その生き残った雄を別な雌と交尾させてみる。同じ様にコオロギを入れると、やっぱり雌は雄を食べない。だから、1匹の雄を何回でも交尾に使える。
 つまり、競走馬でよくある「種馬」として雄を使う事が出来る訳なんだ。カマキリだから「種カマキリ」だね。

 いや~、この話、今でも覚えているのですから、私にとっては滅茶苦茶面白い話だった…って事ですよね。こんな面白い話を聞かせてくださったH先生には、本当に感謝です。
 番外編は以上です。次回は、創設秘話(?)の続きを書きます。

 ところで、令和6年6月11日の「1年生へのハサミの指導」に、また「いいね」などをいただきました。2日連続で、とてもヤル気が出ます。どうも、ありがとうございました。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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八軒自然科学クラブ誕生秘話1

2024-05-29 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回は、「秘話」と言う程、大袈裟な内容ではありませんが、八軒自然科学クラブが誕生した経緯を語ります。
 実は、八軒自然科学クラブを創設したのは…私の母です。金曜の介護話に時々出てくる、あの母です。
 我が家は昔、札幌市中央区の旭ヶ丘と呼ばれる地区に住んでいました。そして、その地域に住んでいた子供たちを対象に、自然の中で色々な体験をしよう…と呼びかけていたのが、「旭山自然科学クラブ」と言う団体です。
 その頃の私は、もう手の付けられない「面倒くさい子」でした。
 教師になった今なら分かります。教育業界では俗に「アスペ傾向」と呼ばれる、こだわりの強い傾向が強く、ADHD傾向も強めの子供だったのです。担任だった先生方は、メッチャ苦労されただろうと思います。
 当然、母は相当に私の事が心配だった事でしょう。何とかしたい…そう思って選んだのが、「旭山自然科学クラブ」に私を参加させる事でした。
 今もそうですが、当時の私は生き物…特に昆虫や虫が大好きでした。「自然の中で生き物に触れる活動をしたら、少しは落ち着いてくるのではないか」と、母は考えたのだろうと思います。
 実際、「旭山自然科学クラブ」に参加していた私は、かなり生き生きと活動していた様です。「様です」と書いたのは、その頃の記憶が残っていないからです。後年、母から聞いた話だと…と言う事で、「様です」と書きました。
 母としては、「このまま続けていけば、息子も少しは落ち着くかも」と思った様です…が、そこに大きな問題が発生しました。
 父が家を建て、引っ越す事になったのです。場所は、札幌市西区の八軒と呼ばれる地区です。当時は交通の便が悪く、中央区の旭ヶ丘まで行くには少々不便な地区でした。
 困った母。…その母にアドバイスをした方がいました。
 予想してましたが、長くなりました。続きは、また次回に。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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羊蹄山山頂へ

2024-05-22 04:30:00 | 野外活動
 水曜は、八軒自然科学クラブの思い出話です。ここ2回ばかり続けている羊蹄山登山話、今回が最終話です。
 羊蹄山の山小屋で仮眠を取り…と言っても、寒くてあまり眠れませんでしたが…4時頃、起きて身支度を始めました。そして、4時半頃だったと思いますが、山頂目指して出発しました。
 この時間に出発するのは、羊蹄山の山頂で日の出を見たい…まぁ、それが無理なら、せめて日の出の少し後くらいの太陽を見たい…からです。
 十分には眠れていませんし、厳しい登りで疲れています。みんな、ほとんど無口な登山でした。
 やがて、5時半か6時だったと思います。ようやく山頂に到着しました。
 日の出には間に合いませんでしたが、そんなに高くない状態の太陽を見る事が出来ました。一応、達成感です。
 山頂で何かやったような記憶もありますが、ほとんど覚えていません。
 この後、そのまま下山し、ベースキャンプにしているキャンプ場に戻りました。キャンプ場は夏らしい暑さで、「あ~、寒くなくて天国だよ」って感じです。安心して疲れが出てしまい、子供たちも指導員もテントで昼寝をしたのでした。
 この羊蹄山登山、覚えているのは、ひたすら大変だった…と言う事だけです。何故、そんな印象しか残らなかったのか、改めて考えてみました。
 第一の理由は、登り道が面白くなかった事だと思います。景色を楽しみながら登れる訳ではなく、暗くなってからはライトで照らしながらの登りなので、ますます景色が楽しめません。
 第二の理由は、やはり山小屋が寒かった事でしょう。あまりにも寒すぎて、辛い記憶が刻み込まれてしまいました。
 もっとも、第二の理由については私たちの責任が大きいです。そんなに軽装で行った訳ではないのですが、まぁ、確かに冬山登山並の準備はしていませんでした。「羊蹄山を甘く見ていた」と言われれば、その通りだと思います。
 いずれにしても、余りにもキツイ印象ばかりが残ってしまったため、この後の周年行事で羊蹄山登山の案は、全く出てこなくなったのでした。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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寒かった羊蹄山の山小屋

2024-05-15 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話です。今回は、前回(R6.5.8)の続きで羊蹄山登山について書きます。
 羊蹄山の山小屋に到着した後、山小屋で仮眠させてもらいました。
 結構な人数がいたのですが、何とか場所を作ってもらい、全員仮眠する事が出来ました。山小屋の管理人さんはじめ、皆さんに感謝です。それと同時に、「羊蹄山の山小屋って大きいなぁ」と思いました。
 この時、私の記憶では毛布を貸してもらった様に記憶していますが、もしかしたら寝袋を持って行ったかもしれません。寝袋を持って登るのは大変なので、持って行ってないと思うのですが…記憶が曖昧で申し訳ないです。
 ただ、明確に覚えている事があります。それは、とっても寒くて仮眠するのが大変だった…と言う事です。
 前回も書いた通り、この羊蹄山登山はサマーキャンプで行っています。つまり、8月の暑い時期に登山している訳です。実際、登り始めた時は割と暑かったのです。
 ところが、山小屋の中は寒くて寒くて仕方ありません。一応、寒いだろうと予想して、長袖の上着などを持ってきているのです。それを着込み、毛布も掛けているのに…キャンプ場なら暑くて汗だくになるでしょう。それが、寒くて眠れない…いや~、羊蹄山を甘く見ていました。
 それでも、うつらうつらして4時頃、起きて山頂を目指す事となりました。
 う~ん…ちょっと長くなったので、また次回(R6.5.22)とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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周年行事で羊蹄山登山

2024-05-08 04:30:00 | 野外活動
 水曜は八軒自然科学クラブの思い出話。今回は、周年行事について書きます。
 ただ、記憶だけで書いているので明確じゃない部分が多々あります。そもそも、何周年の記念行事だったか…全く覚えていません。15周年だったかもしれないし、10周年や20周年だったかもしれません。
 一応、自分の中では正しく覚えている…と思っている内容で書いていきますが、記憶違いがあれば申し訳ありません。御容赦ください。
 また、この登山は、今から考えると相当に無理無謀な部分が多かったです。おそらく、今なら実施しない企画でしょう。その辺りの反省は、最終回で書かせていただきます。
 では本題。
 八軒自然科学クラブでは、たった1回だけ、羊蹄山に登った事があります。何故、たった1回だけかと言うと、あまりに過酷だったので、参加した指導員も子供たちも、「もう登りたくない」と強烈に思ったからです。
 羊蹄山登山は、サマーキャンプで実施しました。羊蹄山の麓のキャンプ場にベースキャンプを作り、そこから夕方に出発し、八合目辺りにある山小屋で仮眠を取ります。夜明け近くに山小屋を出発し、頂上まで行ったら一気に下山します。後は、ベースキャンプで宿泊し、最終日に札幌へ帰る…と言う行程だったと思います。
 この行程だけでも、過酷だったと伝わるのではないでしょうか。
 ベースキャンプを出発したのは、15時だったか、16時だったか…いずれにしても、午後の少し遅めの時間です。夏なので、その時間帯だとまだ明るいのですが、登山道に関する記憶は残っていません。おそらく、あまり面白い登り道ではなかったのだろう…と思います。
 山小屋までは、頻繁に休憩を取りながら登りました。主要な参加者が小学生なので、無理をさせる事が出来ないからです。
 そうやって休憩を取りながら登ったので、山小屋まで5~6時間かかってしまいました。到着したのは、私の記憶では20時過ぎ、もしかしたら21時を過ぎていたかもしれません。
 山小屋の管理人さんからは、「こんな時間に小学生を登らせるとは、あんたら、何を考えてるんだ!」とメッチャ叱られた覚えがあります。これは、極めて妥当な反応です。私も含め指導員が皆、若かったから行った無茶に対する、正しい御意見だと言えるでしょう。
 長くなりました。続きは、また次回(R6.5.15)とさせていただきます。
 …と言う事で、この最終段落まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。今日または明日、皆様が良い一日を過ごせるよう願ってます。
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