新横浜 占いの真龍堂です
九州新幹線沿線の神社を巡ります
今回は 遥拝神社(豊葦原神社) です
御祭神
國常立尊
国狭槌尊
豊斟渟尊
泥土煮尊
沙土煮尊
大戸之道尊
大苔辺尊
面足尊
惶根之尊
伊弉諾尊
伊弉冉尊
天照皇大神
天忍穂耳尊
瓊瓊杵尊
彦火々出見尊
鵜草葺不合尊
建磐龍命
阿蘇津姫命
国造明神
相殿
仲哀天皇・應神天皇・神功皇后
『八代郡誌』によれば「天平宝字二年(758)天地地祇十六柱を勧請し、
神護景雲二年、阿蘇三座の神を合祀して村の氏神とす」とあり、
創建の年代については、『熊本県神社誌』も同年を記している。
『八代市史』では、名和義高が後醍醐天皇より元弘の恩賞として、
八代の荘を頂き、建武二年(1335)河内義真が地頭代として八代に下向した。
義真は荘園を守るため居城を古麓の上り山一帯に築き、
八代城下に用水の取り入れ口として杭瀬を作った。
これが遥拝堰の起こりで、これら用水施設の総鎮守として、
南岸の高田山の麓に賀茂宮を勧請し、用水の守護と五穀豊穣の神と尊んだとある。
『八代郡誌』には、「征西将軍懐良親王、高田御所御在館の時、
常に当社より吉野の行在所を遥拝せられ、社殿の修復を営み、
随従の諸士に命じて石段四八段を献納せしめ給う。
故を以って遥拝宮と称す」とある。
現存の石段に、いろは一二三等の文字の刻みが今なお残っている。
しかし、征西府最後の高田御所に御在館あったのは良成親王であり
この宮に参拝され、吉野の皇居と阿蘇宮を遥拝して、
国家の安泰を祈られたのは良成親王ではないかという伝えもある。
『球磨神社記』によると、戦国時代、洪水で流され、
前期の杭瀬に引っかかった球磨遥拝大明神の御神体が、
賀茂神社に祀られているのを知った相良公が田畑を寄付し、
遥拝宮としたとある。このことは『八代郡誌』に「相良義陽公(第二五世)
当社を崇敬せられること深く、神領二二九石、山林六町を寄付し、
古麓・平山両城の祈祷所となせり」とあるが、これと関わりあるのかもしれない。
天正年間、小西行長により社殿等は焼却せらる。
僅に御神体のみ白石神左衛門藤原惟照、社山に遷座す。
寛永十年(1633)細川忠興公より社領が寄進され、社殿が再建された。
慶安元年には拝殿、承応元年には本殿を改築、元禄十三年に鳥居建立、
嘉永五年には本殿・幣殿・拝殿・社務所が改築された。
社号は賀茂宮から、木綿葉大明神・遥拝宮・そして明治維新後、
豊葦原神社と改称し村社に列された。
それらを詳明する資料が現存するかは知らないが、
立ち木鬱蒼の境内地は、今も由緒の古さを偲ばせる。
◇所在地
熊本県八代市豊原上町3011
◇交通アクセス(最寄りの駅)
九州新幹線 新八代駅
< 遥拝神社(豊葦原神社) ホームページより >
http://www8.plala.or.jp/youhai/
新横浜 占いの真龍堂です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a4/4200cada3ed406666bfb59cf7813fc3d.jpg)
◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇
真龍堂では飛沫飛散防止パネルを対面鑑定用に取付けるなど
感染予防対策を講じ営業しています
Skypeによるオンライン鑑定・電話鑑定・メール鑑定もご利用ください
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/e3/b27c4712f4376ed3549c1315fefa2019.jpg)
◇ 新横浜占いの真龍堂11月の予定 ◇
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3a/be52a861c5ac7c8311c906fbca278449.png)
真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください
※鑑定中の場合やご予約が入っている場合もありますが、
予約システム・お問い合わせフォーム・お電話・メール
から、まずはお気軽にご連絡ください
電話に出られない時もありますが必ず折り返し連絡しております
※指定曜日(時間)以外でも可能でしたら対応させていただいております
電話 080-6597-7388
メール ma@shinryu-do.com
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九州新幹線沿線の神社を巡ります
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御祭神
國常立尊
国狭槌尊
豊斟渟尊
泥土煮尊
沙土煮尊
大戸之道尊
大苔辺尊
面足尊
惶根之尊
伊弉諾尊
伊弉冉尊
天照皇大神
天忍穂耳尊
瓊瓊杵尊
彦火々出見尊
鵜草葺不合尊
建磐龍命
阿蘇津姫命
国造明神
相殿
仲哀天皇・應神天皇・神功皇后
『八代郡誌』によれば「天平宝字二年(758)天地地祇十六柱を勧請し、
神護景雲二年、阿蘇三座の神を合祀して村の氏神とす」とあり、
創建の年代については、『熊本県神社誌』も同年を記している。
『八代市史』では、名和義高が後醍醐天皇より元弘の恩賞として、
八代の荘を頂き、建武二年(1335)河内義真が地頭代として八代に下向した。
義真は荘園を守るため居城を古麓の上り山一帯に築き、
八代城下に用水の取り入れ口として杭瀬を作った。
これが遥拝堰の起こりで、これら用水施設の総鎮守として、
南岸の高田山の麓に賀茂宮を勧請し、用水の守護と五穀豊穣の神と尊んだとある。
『八代郡誌』には、「征西将軍懐良親王、高田御所御在館の時、
常に当社より吉野の行在所を遥拝せられ、社殿の修復を営み、
随従の諸士に命じて石段四八段を献納せしめ給う。
故を以って遥拝宮と称す」とある。
現存の石段に、いろは一二三等の文字の刻みが今なお残っている。
しかし、征西府最後の高田御所に御在館あったのは良成親王であり
この宮に参拝され、吉野の皇居と阿蘇宮を遥拝して、
国家の安泰を祈られたのは良成親王ではないかという伝えもある。
『球磨神社記』によると、戦国時代、洪水で流され、
前期の杭瀬に引っかかった球磨遥拝大明神の御神体が、
賀茂神社に祀られているのを知った相良公が田畑を寄付し、
遥拝宮としたとある。このことは『八代郡誌』に「相良義陽公(第二五世)
当社を崇敬せられること深く、神領二二九石、山林六町を寄付し、
古麓・平山両城の祈祷所となせり」とあるが、これと関わりあるのかもしれない。
天正年間、小西行長により社殿等は焼却せらる。
僅に御神体のみ白石神左衛門藤原惟照、社山に遷座す。
寛永十年(1633)細川忠興公より社領が寄進され、社殿が再建された。
慶安元年には拝殿、承応元年には本殿を改築、元禄十三年に鳥居建立、
嘉永五年には本殿・幣殿・拝殿・社務所が改築された。
社号は賀茂宮から、木綿葉大明神・遥拝宮・そして明治維新後、
豊葦原神社と改称し村社に列された。
それらを詳明する資料が現存するかは知らないが、
立ち木鬱蒼の境内地は、今も由緒の古さを偲ばせる。
◇所在地
熊本県八代市豊原上町3011
◇交通アクセス(最寄りの駅)
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◇ 新横浜 占いの真龍堂 予定表 ◇
真龍堂では飛沫飛散防止パネルを対面鑑定用に取付けるなど
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