新横浜 占いの真龍堂です
都道府県庁所在地の神社を巡ります
今回は 福井県福井市の 足羽神社 です
御祭神
福井市足羽山鎮座、式内社である足羽神社は、
継体天皇の御創建という特徴と、御創立以来1500有余年という歴史と深い信仰を有し、
越前祖神と称されている神社です。
継体天皇 (けいたいてんのう)
応神天皇五世皇孫で、越前の治水事業を行ない、平野を開き諸産業を興された
男大迹王(おおとのみこ)が、この越前から第26代天皇として即位をされるため、
大和へ旅発たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、
自ら建立した宮に、自身の生き御霊(いきみたま)を鎮めて行かれました。
それより継体天皇が主祭神として祀られています。
大宮地之霊 (おおみやどころのみたま)
男大迹王が、越前国でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされた
伝承が残っていますが、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、
宮中に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請し、事業の安全を祈願したのが
足羽神社の起源とされています。
〈別称〉坐摩神(いかすりのかみ)は以下の五柱神の総称です。
・生井神 (いくいのかみ)
・福井神 (さくいのかみ)
・綱長井神 (つながいのかみ)
・阿須波神 (つながいのかみ)
・波比岐神 (はひきのかみ)
五世紀後半ごろ、男大迹王(後の継体天皇)が越前でお過ごしの間に
越前平野の大治水事業をされますが、まずその初めに朝廷に祀られている
大宮地之霊(坐摩神)を足羽山に勧請し、諸事の安全を祈願したのが
足羽神社の起源とされています。
第26代天皇として即位をされ越前を発たれる時に、
「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生御霊(いきみたま)を鎮めて
旅立たれて行かれました。
それから継体天皇が主祭神として本殿中央に祀られています。
足羽神社では古来朝廷を初め、世々の将軍、国主等によって尊崇の祭典を
連綿と執り行ってきました。
中でも桓武天皇、文徳天皇、朱雀天皇におかれては神位を授けられ、
宇多天皇におかれては右大弁(律令制の官名)によって、
毎年11月に17日間の「鎮魂祭斎行之儀」を宣下せられました。
また世々に御厨地を置かれるなど、その神田地や臨時祭、神職等に関して、
源頼朝を初め、将軍足利家、国主朝倉家等々の古文書や国史旧記等に
歴然と記されています。
そうして中古以来は武家伝奏執奏の社格にて、
江戸時代社主44代に至るころには、41人が奉仕していました。
しかし天正兵乱の際、社家の多くは滅び、神田は廃れ、
神域もわずかに残るのみとなりますが、柴田勝家がこの国を治めるに当たり、
足羽の神を深く尊信して、社殿を修理し祭供をされる事により、
昔の規模には及ばずとも、著しくその社格を落とすまでには至りませんでした。
その後は国主松平家代々の崇敬が深く、永世の神供物として毎年米二十俵を献じたり、
創立御鎮祭の年を紀元とし、50年毎に「勅許宣命」並びに「御宸筆」を受け
式年大祭を斎行するのを定例とされました。
北朝貞和5年に下賜された光明天皇御宸筆「大宮地」と、
文政12年5月の例大祭を以って下賜された仁孝天皇御宸筆「大宮地之霊」の額字が
それぞれ国宝に指定されていましたが、先の大戦にて他の文化財とともに
宝物庫ごと焼失しました。
近年では明治33年の橋南の大火、昭和20年の福井空襲、同23年の福井大震災など
により社殿は焼失倒壊しましたが、その度に再建され昭和34年に整備完了となりました。
その後は昭和51年に御鎮座1500年に当るのを以って大祭をあげています。
平成19年には継体天皇御即位1500年を奉祝し、本殿幣殿拝殿の増改修、
社務所増改築をはじめ境内整備を行い、記念大祭を斎行しました。
◇所在地
福井県福井市足羽1丁目8-25
◇交通アクセス(最寄りの駅)
福井鉄道で足羽山公園口下車・徒歩約10分
< 足羽神社 ホームページより >
https://www.asuwajinja.jp/
新横浜 占いの真龍堂です
真龍堂では飛沫飛散防止パネルを対面鑑定用に取付けるなど
感染予防対策を講じ営業しています
Zoomによるオンライン鑑定・電話鑑定・メール鑑定もご利用ください
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福井市足羽山鎮座、式内社である足羽神社は、
継体天皇の御創建という特徴と、御創立以来1500有余年という歴史と深い信仰を有し、
越前祖神と称されている神社です。
継体天皇 (けいたいてんのう)
応神天皇五世皇孫で、越前の治水事業を行ない、平野を開き諸産業を興された
男大迹王(おおとのみこ)が、この越前から第26代天皇として即位をされるため、
大和へ旅発たれる時に、「末永くこの国の守り神とならん」と、
自ら建立した宮に、自身の生き御霊(いきみたま)を鎮めて行かれました。
それより継体天皇が主祭神として祀られています。
大宮地之霊 (おおみやどころのみたま)
男大迹王が、越前国でお過ごしの間に越前平野の大治水事業をされた
伝承が残っていますが、その時に越前平野が一望できる足羽山に宮を建て、
宮中に祀られている大宮地之霊(坐摩神)を勧請し、事業の安全を祈願したのが
足羽神社の起源とされています。
〈別称〉坐摩神(いかすりのかみ)は以下の五柱神の総称です。
・生井神 (いくいのかみ)
・福井神 (さくいのかみ)
・綱長井神 (つながいのかみ)
・阿須波神 (つながいのかみ)
・波比岐神 (はひきのかみ)
五世紀後半ごろ、男大迹王(後の継体天皇)が越前でお過ごしの間に
越前平野の大治水事業をされますが、まずその初めに朝廷に祀られている
大宮地之霊(坐摩神)を足羽山に勧請し、諸事の安全を祈願したのが
足羽神社の起源とされています。
第26代天皇として即位をされ越前を発たれる時に、
「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生御霊(いきみたま)を鎮めて
旅立たれて行かれました。
それから継体天皇が主祭神として本殿中央に祀られています。
足羽神社では古来朝廷を初め、世々の将軍、国主等によって尊崇の祭典を
連綿と執り行ってきました。
中でも桓武天皇、文徳天皇、朱雀天皇におかれては神位を授けられ、
宇多天皇におかれては右大弁(律令制の官名)によって、
毎年11月に17日間の「鎮魂祭斎行之儀」を宣下せられました。
また世々に御厨地を置かれるなど、その神田地や臨時祭、神職等に関して、
源頼朝を初め、将軍足利家、国主朝倉家等々の古文書や国史旧記等に
歴然と記されています。
そうして中古以来は武家伝奏執奏の社格にて、
江戸時代社主44代に至るころには、41人が奉仕していました。
しかし天正兵乱の際、社家の多くは滅び、神田は廃れ、
神域もわずかに残るのみとなりますが、柴田勝家がこの国を治めるに当たり、
足羽の神を深く尊信して、社殿を修理し祭供をされる事により、
昔の規模には及ばずとも、著しくその社格を落とすまでには至りませんでした。
その後は国主松平家代々の崇敬が深く、永世の神供物として毎年米二十俵を献じたり、
創立御鎮祭の年を紀元とし、50年毎に「勅許宣命」並びに「御宸筆」を受け
式年大祭を斎行するのを定例とされました。
北朝貞和5年に下賜された光明天皇御宸筆「大宮地」と、
文政12年5月の例大祭を以って下賜された仁孝天皇御宸筆「大宮地之霊」の額字が
それぞれ国宝に指定されていましたが、先の大戦にて他の文化財とともに
宝物庫ごと焼失しました。
近年では明治33年の橋南の大火、昭和20年の福井空襲、同23年の福井大震災など
により社殿は焼失倒壊しましたが、その度に再建され昭和34年に整備完了となりました。
その後は昭和51年に御鎮座1500年に当るのを以って大祭をあげています。
平成19年には継体天皇御即位1500年を奉祝し、本殿幣殿拝殿の増改修、
社務所増改築をはじめ境内整備を行い、記念大祭を斎行しました。
◇所在地
福井県福井市足羽1丁目8-25
◇交通アクセス(最寄りの駅)
福井鉄道で足羽山公園口下車・徒歩約10分
< 足羽神社 ホームページより >
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