新横浜 占いの真龍堂

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占術をツールとしたカウンセリングルームです

神社めぐり958 根岸八幡神社

2019-06-24 08:44:07 | 占い
新横浜 占いの真龍堂です

全国の八幡宮を巡ります

今回は 根岸八幡神社 です

ご祭神

■ 主神
八幡皇大神 (はちまんすめのおおかみ)
※人皇第15代応仁天皇 別の御名 誉田別命

■ 合祀神
天照皇大神 (あまてらすすめおおみかみ)
宇佐八幡大神(うさはちまんおおかみ)
大山祇大神 (おおやまつみのおおかみ)

今から1,400年ほど前、根岸の海の沖合に突如金色の光が現れ、
みやびやかな音が響き渡った。一体何事であろうと里人は沖合を見つめたが、
それが何なのかわからなかった。
それから7日目のこと、その光明と妙音が静々と浜に近づき、
八幡川の河口近くに何かが着岸した。やがて自然に光明は消え、
音も静まったため、当郷の人々が集まってよくよく見ると、
汐に打たれて黒光りした神像が亀型の台座に立ち、
五尺ほどの枯れ木の根に乗っていた。
さっそく村の守り神として村長の家に祀ったところ、
突然一人の童子が物の怪(もののけ)がついたように狂い騒ぎ出し、
「我は正八幡なり。この里を鎮護し、里人の苦難を救わんとして、
千里の波涛を漂い来るに、ああ知らずして民家に置けり。
速やかに当浦われ着岸の芝原に一社を建てて遷すべし。」と言い終わるや、
童子は身震いをして大汗をかいたかと思うと、静かに座して物の怪もさめたという。
里人がさっそく、八幡川の下流の東岸、
現在の滝頭八幡が鎮座する場所にお宮を建て神像を安置したのが始まりである。

以後、誰いうとなく八幡宮と尊称し、「根岸村の鎮守」として崇敬、
毎年9月15日に例祭を行ってきた。
江戸時代初期の慶安4年(1651年)の検地(土地所有調査)の際、
鎮座地が滝頭村となってから約100年後、
すなわち明和3年(1766年)に現在地へ遷座、例祭も8月15日に改め、
その後明治41年に三社(天照皇大神、宇佐八幡大神、大山祇大神)を合祀し、
今日に至っている。


◇最寄りの駅

JR京浜東北根岸線 根岸駅下車徒歩7分

◇所在地

神奈川県横浜市磯子区西町1-1

<根岸八幡神社 ホームページより >
http://negishihachiman.jp/shrine/worship/






◇6月は 

4(火)11(火)14(金)18(火)21(金) 28(金)

15(土) 19(水)29(土)

午後1時より鑑定いたします





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電話 080-6597-7388


メール ma@shinryu-do.com




神社めぐり957 今福八幡神社

2019-06-23 11:58:53 | 占い
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全国の八幡宮を巡ります

今回は 今福八幡神社 です

主祭神 姫大神  ヒメオオカミ
配祀神 品多別命 息長足姫命                    
    ホンダワケノミコト オキナガタラシヒメノミコト     

創立年不詳。

明治7年(1874)、村社に列せられる。

明治42年(1909)、大年神社・嚴島神社を合祀。


◇最寄りの駅

山陽電鉄「尾上の松駅」より東へ250m

◇所在地

加古川市尾上町今福字宮ノ西216

<兵庫県神社庁 ホームページより >
http://www.hyogo-jinjacho.com/data/6314069.html






◇6月は 

4(火)11(火)14(金)18(火)21(金) 28(金)

15(土) 19(水)29(土)

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神社めぐり956 今八幡宮

2019-06-22 16:19:20 | 占い
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全国の八幡宮を巡ります

今回は 今八幡宮 です


御祭神

応神天皇 (第15代天皇)
仲哀天皇 (第14代天皇・応神天皇の父)
神功皇后 (仲哀天皇の皇后・応神天皇の母)
玉依姫命 (初代神武天皇の母)
宇治皇子 (応神天皇の皇子・仁徳天皇の弟)

室町時代に記された『二十二社註式』によれば、
初め宇治皇子一座を祀り今八幡宮と称し、
守護大名大内氏の山口入府以前から存した。

この社の創建年代は不明であるが、
鎌倉時代の弘安年間、大内弘成の娘に「今八幡殿」という名が見えることから、
これ以前の古社であることが判る。

文明3年(1471)大内政弘が山口の鎮守と定めて市内の朝倉八幡宮を遷して合祀し、
社号はそのままに主祭神を応神天皇とし、他に三座が加列される。
その後、文亀3年(1503)大内義興が社殿を造替、
明との交易で得た莫大な財力を象徴する荘厳なもので、
現在国の重要文化財に指定されている。

当宮は大内氏の居館(大内館)北東の鬼門除けにあたる守護であり
産土神であることから、山口町の総氏神として「山口総鎮守」の尊称を賜り、
歴代当主の崇敬は極めて篤く、そのことは『大内氏壁書』の文明10年(1478)条に
大内政弘より布達された「今八幡宮条々」において
当時の広大な神域を維持・保護するため種々の触書が出されたほか、
常に当主の参拝や寄進が行われた。
大内義隆はその財力を誇示する巨大な鰐口を寄進しているほか、
神道に強い感心を寄せて都から吉田兼右を招聘し、
宮司共々神道伝授を受けている。

さらに貴族風な義隆は網代車で社参するなど、
その権勢は山口を中心に最高潮に達した。

大内氏滅亡後も、引き続き毛利氏により当宮は篤く保護され、
神領が寄進されたほか、修繕の際の費用は藩より支弁されている。
また一門の病気平癒祈願が行わるなど、当宮に対する尊崇が判る。

幕末には、七卿を財政面で支援したほか、
社務所において堀真五郎、久坂玄瑞らが密談を重ね、
堀を総督とする諸隊のひとつ八幡隊が結成。
屯所になり、四境戦争などに大いに活躍した。

近代になっては明治6年に郷社に列し、
大正3年に解体修理を施す。昭和29年、平成3年に屋根の葺き替えを行う。

古くから山口地方において両社といえば当宮と仁壁神社を指し、
例祭には毛利家から当主の代参がこの二社にかぎり差遣された。
また正月の三社詣りはこれに八坂神社を加えたものとして、
江戸期より今なお地元市民の習俗に生きている。


◇最寄りの駅

JR山口線 上山口駅

◇所在地

山口県山口市八幡馬場22

<今八幡宮 ホームページより >
http://ima8man.com/






◇6月は 

4(火)11(火)14(金)18(火)21(金) 28(金)

15(土) 19(水)29(土)

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神社めぐり955 今山八幡宮

2019-06-21 10:00:21 | 占い
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全国の八幡宮を巡ります

今回は 今山八幡宮 です


御祭神

誉田別尊(ほんだわけのみこと)応神天皇(おうじんてんのう)
息長足日売尊(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)
玉依姫命(たまよりひめのみこと)姫神(ひめかみ)


当宮は、天平勝宝二年(西暦750年)豊前国宇佐八幡宮を
是れの蓮菜山辰巳の尾巳に社地を構えて勧請したもので、
国司・郡司の崇敬最も深く、天平宝宇二年(西暦758年)社領を加増せられてから、
当山最も興隆を極めたので、
社号を今山と改め今山八幡宮と号したと謂れ、
歴代の領主、土持氏・高橋氏・有馬氏・三浦氏・牧野氏と諸氏相継ぎ崇敬し、
内藤氏を至ては延岡領内守護の神社として崇敬最も厚く、
社伝には、数度の火災・兵乱により、炎上・焼失の記録はあれども、
代々の領主に祈願所なれば、敢えて甚だしきに至らずと付記されており、
社領の寄進・社殿の造営・神事能の奉納寺は、代々の領主の常例であった。

又、一般の崇敬も特に深く、明治の神仏分離以降は延岡市は元より、
県内外よりの祈願者や参拝者多く、
県北第一の大社として、尊崇の念を集めている。


◇最寄りの駅

JR延岡駅から徒歩10分

◇所在地

宮崎県延岡市山下町1-3875

<今山八幡宮 ホームページより >
http://www.imayama8.com/






◇6月は 

4(火)11(火)14(金)18(火)21(金) 28(金)

15(土) 19(水)29(土)

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神社めぐり954 国分八幡宮

2019-06-20 09:19:17 | 占い
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今回は 国分八幡宮 です

御 祭 神

 神日本磐余彦火々出見尊 (カムヤマトイワレヒコホホデミノミコト)  【初代天皇 神武天皇】

 足仲彦尊 (タラシナカツヒコノミコト)  【第14代 仲哀天皇】

 息長足姫尊 (オキナガタラシヒメノミコト) 【第14代仲哀天皇の皇后 神宮皇后】

 譽田別尊 (ホムダワケノミコト) 【第15代 應神天皇】

 白蛇ノ神 (ハクジャノカミ) 【本殿裏の磐座(いわくら)に生息していた白蛇の御霊】
 

國分八幡宮(以下、当宮)は、香川県高松市国分寺町の北端、
国分台(縄文遺跡地)のふもとの小高い大禿山の中腹にて、
四国霊場八十番札所國分寺の東北(國分寺から見て表鬼門)及び
國分尼寺の西西南(尼寺から見て裏鬼門)に位置する場所に鎮座しています。

社伝(一部、宮司家口伝)によると天平勝宝年間の創祀と云われています。
これより先に、諸国に國分寺が建立せられ当宮は、
当國国分寺の鎮護並びに阿野七郷の産土神として創祀されたようです。
僧空海が当国巡?の折、国分寺及び当社を修補し、
以来、國分寺歴世の崇敬が篤く、社殿も壮麗であったそうです。

また、讃岐国司中御門中納言家成の裔孫新居城主藤太夫資村は、
毎年当社に奉幣し祈願を斎行され、以降は藤家一族は武門の守護神として
当宮を崇敬されました。
天正年間、兵火に掛かり、社殿宝物を等を焼失。
慶長二年、国主生駒親正公が之を再興し、毎年吉例として武術試合を奉納され、
親正の子一正もまた鳥居を当宮に奉納されました。
寛永二年、大地震のため本殿等が壌頽したため、新たに造営し、
翌年三月正遷宮に際し、生駒高俊公の奉幣が行われました。
また、高松藩祖松平頼重公も崇敬の念篤く、当社に長刀を寄進し、
度々参拝が行われました。

万治年間に炎上、祀官森口左近は神慮と占いにより、
岩川山上に新殿を造営して御神霊を遷しました。現社殿地が之であります。
旧社殿地は、現在、当宮西側の宮池のある場所と伝えられています。
爾来、岩川(岩河)八幡、国府八幡と称えられ、
昭和に入り、國分八幡宮と改名されました。
昭和十五年、松平頼寿公参拝の折に、神饌料と社号扁額が供進されました。



◇最寄りの駅

JR予讃線国分駅を出て、東北方面へ徒歩にて約25~30分
※端岡駅で下車すれば、タクシー会社があり、タクシーを利用することが出来ます(約5分)



◇所在地

香川県高松市国分寺町国分2501

<国分八幡宮 ホームページより >
http://kokubuhatimangu.com/






◇6月は 

4(火)11(火)14(金)18(火)21(金) 28(金)

15(土) 19(水)29(土)

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