新横浜 占いの真龍堂

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神社めぐり 1811 疋野神社

2021-11-19 06:11:28 | 占い
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今回は  疋野神社 です

御祭神

波比岐神

・疋野神社の創立は景行天皇築紫御巡幸の時より古いと伝えられ、
2000年の歴史を持つ肥後の国の古名社です。

・平安時代の六国史の一つ『続日本後紀』に
「仁明天皇承和7年7月庚子(西暦840年)肥後国玉名郡疋野神社を以って
官社に預からしむ」と官社列格の年月日が銘記されている由緒深い神社
「国史現在社」であり、また平安時代の国の法律書『延喜式』の神名帳にも
記載されている、いわゆる「式内社」であり、県下でも特に貴重な存在です。

『延喜式』は延長5年(西暦927年)制定され、日本全国で当時すでに存在し、
また著名であった神社が、国家守護の神社(官社=官幣社)として記載されています。

・現在熊本県下で宗教法人としての神社数は約1400社程ですが、
式内社は阿蘇地方の阿蘇神社、国造神社、そして玉名地方の疋野神社の三社のみです。


◇所在地

熊本県玉名市立願寺457

◇交通アクセス(最寄りの駅)

九州新幹線 新玉名駅


< 疋野神社 ホームページより >
https://www.hikino-jinja.jp/



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神社めぐり 1810 北岡神社

2021-11-18 07:05:00 | 占い
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今回は  北岡神社 です

御祭神

健速須盞嗚尊(スサノヲノミコト)
奇稲田姫(クシイナダヒメ)
八柱御子神
・天忍穂耳命
・天穂日命
・天津日子根命
・活津日子根命
・熊野久須毘命
・多紀理毘売命
・市杵島比売命
・多岐津比売命

当神社は承平四年(934)第六十一代朱雀天皇の御代に、
武勇名高い藤原保昌が肥後国司として下向された際、
凶徒の叛乱と疫病の流行を鎮めるために
京都の祇園社(八坂神社)の御分霊を勧請し、
飽託郡湯原(現二本木五丁目)に府中の鎮護として創建されたのが始まりとされ、
当地でも祇園社、祇園宮と尊称されていました。

まもなく承平七年(937)には、湯原から程近い車屋敷(現二本木二丁目)に遷座され、
京よりお供して来た神官・僧侶・伶人等もこの神域に居住していました。

天慶九年(939)から冷泉天皇の頃まで年毎の祭祀の際には、
勅使が遥々京より勅願社であった当神社に参向されるのが恒例でありました。
肥後国誌によると安和二年(969)からは国司となった
菅原光家が勅使も兼勤するようになってこの地に留まり、
その末裔である光永家が代々に亘り勅使代としてその任に就くようになりました。
勅願社というのは、天皇が国家鎮護などを祈願するよう命じた神社のことをさし、
当神社は創建当初から『宝祚無窮、天下泰平、国家安全、悪魔降伏、西九守護』の
勅願社として、代々天皇より篤く尊崇されておりました。

天暦二年(948)に第六十二代村上天皇より「拝三山」の勅額を賜りました。
久寿二年(1155)にも第七十六代近衛天皇より「顕神院」の勅額とともに、
「日本第弐 西九壹社」の尊称と御紋章を下賜頂きました。
それは「日本では(京都の御本社に次いで)第二の祇園社であり、
西の九州では第一の祇園社である」との意味であり、
現在もこの尊称を御朱印に用いております。

また、御紋章は祇園木瓜を上下にわかち、
その上半分を賜った当神社特有のものであります。
 天元二年(979)朝日山(岡見山)に遷座、
これに因み祇園山と呼ばれるようになりました。
この山は明治になり招魂社建立に伴い花岡山と改められましたが、
今日でもその山頂一帯を祇園平と呼ぶ名残があります。

この間火災等で社殿及び綸旨や古文書等が焼失する災難が幾度かありましたが、
長承元年(1132)に菊池氏が社殿を造営し、神領も寄進され神威を取り戻しました。

戦国の世、天正十五年(1587)佐々成政支配下の際には、
古例を廃し神領も断絶されましたが、
江戸時代に入り慶長十年(1605)加藤清正の肥後入国により再び復興されました。
細川藩下に於いては尚一層尊崇され、島原出陣の際には戦勝祈願を厳修し、
寛永九年(1632)には社殿が新たに造営されました。
正保四年(1647)、第二代藩主細川光尚により北岡の森(現在地)に遷座され、
古府中にあった社等も境内に移し摂末社として祀られました。
この地は古くより古府中から北に位置する丘陵地として北岡と呼ばれ、
方位的にも尊ばれていた場所でもあります。

維新後の明治元年(1868)には神仏分離の流れを受けて
同四年に「北岡神社」と改称し、翌五年に県社に列せられました。
同十年(1877)の西南の役では、一時薩摩軍の本営が境内に置かれ、
同十七年(1884)御鎮座九百五十年祭記念事業として丘上を拓き
社殿を丘中腹から移し摂末社と共に丘上に御遷座されました。

昭和八年 (1933) 四月には御鎮座一千年を向かえるにあたって
久邇宮殿下より直筆の御神額を賜り、御参列を仰ぎ同式年大祭が斎行され、
翌九年 (1934) 十一月に御社殿が新造され御遷座記念大祭が執行されました。

同三十三年 (1958) 御鎮座一千二十五年記念に神楽殿を新造し、
同五十八年 (1983) に御鎮座一千五十年記念事業として拝殿や楼門を改修し、
社務所や会館等を新築しました。


◇所在地

熊本県熊本市西区春日1丁目8−16

◇交通アクセス(最寄りの駅)

九州新幹線 熊本駅


< 北岡神社 ホームページより >
http://www.kitaoka-jinja.or.jp/



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神社めぐり 1809 遥拝神社(豊葦原神社)

2021-11-16 07:40:13 | 占い
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今回は  遥拝神社(豊葦原神社) です

御祭神

 國常立尊
 国狭槌尊
 豊斟渟尊
 泥土煮尊
 沙土煮尊
 大戸之道尊
 大苔辺尊
 面足尊
 惶根之尊
 伊弉諾尊
 伊弉冉尊
 天照皇大神

 天忍穂耳尊
 瓊瓊杵尊
 彦火々出見尊
 鵜草葺不合尊

 建磐龍命
 阿蘇津姫命
 国造明神

相殿

 仲哀天皇・應神天皇・神功皇后

『八代郡誌』によれば「天平宝字二年(758)天地地祇十六柱を勧請し、
神護景雲二年、阿蘇三座の神を合祀して村の氏神とす」とあり、
創建の年代については、『熊本県神社誌』も同年を記している。
『八代市史』では、名和義高が後醍醐天皇より元弘の恩賞として、
八代の荘を頂き、建武二年(1335)河内義真が地頭代として八代に下向した。
義真は荘園を守るため居城を古麓の上り山一帯に築き、
八代城下に用水の取り入れ口として杭瀬を作った。
これが遥拝堰の起こりで、これら用水施設の総鎮守として、
南岸の高田山の麓に賀茂宮を勧請し、用水の守護と五穀豊穣の神と尊んだとある。

『八代郡誌』には、「征西将軍懐良親王、高田御所御在館の時、
常に当社より吉野の行在所を遥拝せられ、社殿の修復を営み、
随従の諸士に命じて石段四八段を献納せしめ給う。
故を以って遥拝宮と称す」とある。

現存の石段に、いろは一二三等の文字の刻みが今なお残っている。
しかし、征西府最後の高田御所に御在館あったのは良成親王であり
この宮に参拝され、吉野の皇居と阿蘇宮を遥拝して、
国家の安泰を祈られたのは良成親王ではないかという伝えもある。

『球磨神社記』によると、戦国時代、洪水で流され、
前期の杭瀬に引っかかった球磨遥拝大明神の御神体が、
賀茂神社に祀られているのを知った相良公が田畑を寄付し、
遥拝宮としたとある。このことは『八代郡誌』に「相良義陽公(第二五世)
当社を崇敬せられること深く、神領二二九石、山林六町を寄付し、
古麓・平山両城の祈祷所となせり」とあるが、これと関わりあるのかもしれない。

天正年間、小西行長により社殿等は焼却せらる。
僅に御神体のみ白石神左衛門藤原惟照、社山に遷座す。
寛永十年(1633)細川忠興公より社領が寄進され、社殿が再建された。

慶安元年には拝殿、承応元年には本殿を改築、元禄十三年に鳥居建立、
嘉永五年には本殿・幣殿・拝殿・社務所が改築された。
社号は賀茂宮から、木綿葉大明神・遥拝宮・そして明治維新後、
豊葦原神社と改称し村社に列された。
それらを詳明する資料が現存するかは知らないが、
立ち木鬱蒼の境内地は、今も由緒の古さを偲ばせる。


◇所在地

熊本県八代市豊原上町3011

◇交通アクセス(最寄りの駅)

九州新幹線 新八代駅


< 遥拝神社(豊葦原神社) ホームページより >
http://www8.plala.or.jp/youhai/



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神社めぐり 1808 箱﨑八幡神社

2021-11-16 00:08:07 | 占い
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今回は  箱﨑八幡神社 です

御祭神

應神天皇(オウジンテンノウ)
神功皇后(ジングウコウゴウ)
武内宿禰(タケノウチノスクネ)

島津家始祖忠久公が初めて鎌倉より山門院野田へ下向の途、
筑前博多の沖で逆風に遭い、まさに難破しそうになり、
筥崎宮に請願して難を免れ、無事山門院荘之浦に着船できたので、
当社を勧請したと伝えられる。

最初の勧請地野田より米之津名護浦、
次に沖田(今和泉六月田)、更に現在地には文明の頃
薩州家二代島津国久公が遷したという。

又一説には、弘安四年の元寇の時、本家島津氏の命で
薩州家三代島津久経公は箱崎の津に出陣し、
筥崎宮に参拝して一心に異賊討滅を祈願され、
殊勲をたてられた。よって八幡宮の御分霊を奉戴して凱旋し、
薩州出水郷(当社)と隅州吉松郷の二ヶ所に勧請して
国境の守護神として厚く崇敬されたとも伝えられる。

永禄六年薩州家六代義虎公が再興したが、
豊臣秀吉の薩摩入りによって出水が直轄領となった時、
当社と別当寺の成願寺も破壊され、
慶長四年義弘公の朝鮮の役の功により出水が復されると、
十八代藩主家久公が別当寺とともに再興した。

昭和九年までは例祭の浜下りに、
前の鎮座地名護浦まで神輿と甲冑の武者行列があった。
明治十五年、氏子相計り義金を以て社殿が造営された。
その後、明治・大正・昭和の約百年を経て再び改築の期を迎え、
昭和五十五年、氏子有志の募金により新社殿が、
また、昭和天皇御在位六十年奉祝事業として、
平成元年十二月に社務所及び参集殿が、伊勢神宮御鎮座二千年、
さらに今上陛下御在位十年の奉祝記念事業として、
平成十年秋に日本一の八幡大鈴(直径三・四m、高さ四m、重量五千kg)を
吊る神門が、氏子崇敬者の奉賛金により竣功された。
さらには、敬宮愛子内親王殿下ご誕生記念事業として、
平成十五年一月には当社に伝わる三十六歌仙と
神楽面が拝観できる宝物鈴殿が造営された。



◇所在地

鹿児島県出水市上知識町46

◇交通アクセス(最寄りの駅)

九州新幹線 出水駅


< 鹿児島県神社庁 ホームページより >
https://www.kagojinjacho.or.jp/shrine-search/area-hokusatsu/%E5%87%BA%E6%B0%B4%E5%B8%82/1010/




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神社めぐり 1807 薩摩国一の宮 新田神社

2021-11-13 05:50:31 | 占い
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今回は  薩摩国一の宮 新田神社 です

御祭神

◆本祀一座

天津日高彦火瓊瓊杵尊
(あまつひだかひこほのににぎのみこと)

◆配祀二座

天照皇大御神
(あまてらすすめおおみかみ)

正哉吾勝々速日天忍穂耳尊
(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)

新田神社は神亀山(しんきさん)という亀の形をした小高い山の上にあります。
まつられている神様は天皇様のご先祖にあたるニニギノミコト様を中心として、
ミコト様のご家族の神様、食物の神様、山の神様などたくさんの神様がおられます。

古い言い伝えによりますと、遠い神代の昔、高天原(たかまのはら)に
いらっしゃいました太陽の神様アマテラス大神様が孫にあたる
ニニギノミコト様に私たちの住んでいる地上の世界を治めるように
お命じになりました。その時に稲穂をいっしょにお持ちして
お米をつくるようにおっしゃいました。
『斎庭稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく)』といいます。
そこでニニギノミコト様はたくさんの神様をおつれになり
今の鹿児島県の霧島にあります高千穂(たかちほ)峯におりられました。
『天孫降臨(てんそんこうりん)』

そこではじめてお米をお作りになり、
続いて同じく今の鹿児島県の南さつま市にあたる
笠狭宮(かささのみや)にうつられ、
山の神様の娘であり大変美しいコノハナサクヤヒメ様と結婚されてその後、
海路東シナ海を北上されて川内の地にこられました。
川内にお着きになられたニニギノミコト様は、
この地に立派な「千台(うてな)」すなわち高殿を築いてお住まいになりました。
川内(せんだい)の名はこの「千台」からきています。

やがてニニギノミコト様はおなくなりになられて、
お墓がつくられました。これが今の「可愛山陵(えのみささぎ)」です。
そしてそのニニギノミコト様をおまつりするようになったのが
新田神社のはじまりといわれています。

もともとは社殿がなくお山そのものが神社であったとも伝えられ、
新田神社の「新田」という名前には、ニニギノミコト様が
川内の地に川内川から水を引いて新しく田んぼをおつくりになった
という意味がこめられています。新田神社の名前が古文書ではじめてでてくるのは
平安時代で、当時は「新田宮」と称していました。
このころには薩摩国(さつまのくに)の守り神様として
朝廷からも深い信仰をうけていました。

今から八百年程前、承安三年に火災があり、
それまでお山の中腹にあった社殿が焼け失せてしまいましたが、
この時も朝廷や幕府に伺いをたてまして現在の山頂に再興されました。
島津氏が薩摩国に封じられましてからは歴代藩主の崇敬は殊に厚く、
四百年前の慶長年間に島津義久公により現社殿のもととなるものが造られました。

明治時代にはいりましてからは、
皇室の御崇敬を賜り、明治十八年に国幣中社となり、
大正九年に昭和天皇様が皇太子の時御参拝いただきまして
より皇族の方の参拝が九度におよんでいます。


◇所在地

鹿児島県薩摩川内市宮内町1935-2

◇交通アクセス(最寄りの駅)

九州新幹線 川内駅


< 薩摩国一の宮 新田神社 ホームページより >
https://www.nitta-jinja.or.jp/



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